★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ35 > 1107.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
ダビニオンとソニー(「日本を壊滅するダビニオン戦略」)
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/1107.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 6 月 19 日 03:20:28:ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 石原莞爾と北一輝 投稿者 愚民党 日時 2004 年 6 月 18 日 23:41:47)

http://www21.ocn.ne.jp/~wiper/morita/top.html



「文藝春秋」1992年2月号より
--------------------------------------------------------------------------------
「日本型経営」が危ない
「良いものを安く」が欧米に批判される理由
盛田昭夫(ソニー会長)

 私は昨年の11月に、経団連訪欧ミッションの一員として平岩会長のお供をし、ドイツ、ベルギー、オランダ、イギリスの4カ国で政府ならびに産業界の要人と意見交換をして来ました。オランダのハーブにおいては、ヨーロッパの大企業の集まりである欧州ラウンドテーブルの主要メンバーとディスカッションを行ったわけですが、その中にはボルボ会長のギレンハンマー、フィリップス会長のデッカー、フィアット社長のアニエリ、そしてアグファ会長のレイゼンなど有名なビジネスマンがおり、大変に有意義な意見交換を長時間にわたって行うことができました。また、ヨーロッパからの帰り道に平岩会長と一緒にアメリカにも立ち寄って、アメリカン・エクスプレスのロビンソン会長や、モトローラのフィッシャー会長、コダックのウイットモア会長などのトップビジネスマンとディスカッションを致しました。そのような話し合いを通じて、私は様々な新しい刺激を受け、日本企業のあり方について今までと多少違った考え方のヒントを得たような気がします。

 特に私にとって印象深かったのは欧州生産の自動車をめぐる議論でした。欧州の自動車業界首脳は「輸入車もEC域内で生産された日本車も欧州の産業に与える影響は同じだ」として日本企業の現地生産についても何らかの制限を加えるよう主張しました。私は最初にこれを耳にしたとき、これほど勝手な主張はないと思いました。私のところも欧州の10カ所に工場を持っており、ヨーロッパで売っているテレビなどはほとんどヨーロッパ製で、英国ブリジェンド製のテレビは輸出貢献企業賞であるクィーンズ・アワードを3回も頂きました。ですから私たちは、ヨーロッパに直接投資をしてヨーロッパの企業になればそれで受け入れられると信じていましたし、どうすればヨーロッパの企業になれるのかを一生懸命考え、生産に限らずあらゆるオペレーションを現地化し、権限も本社から大幅に委譲してきました。また現地の各子会社もそれぞれのコミュニティーで良き企業市民となるべく努力を続けています。私はこうした取り組みをグローバル・ローカライゼーションという全社的なスローガンにし、まさにソニーの全世界的プロジェクトとして機構改革、意識改革を進めてきました。現地人がマネージーし、現地人が作って、部品も出来るかぎり現地調達して、品質も価格も優れたモノを作れば立派に現地企業と言えるはずで、それでもダメだというのは極めてアンリーズナブルな議論であって、むしろ先方が反省し一層の努力をすべきなのだ、と考えていました。

サッチャーさんとの議論

  先頃サッチャーさんが日本に来られた時、朝食をご一緒する機会がありました。彼女はうわさに違わずシャープな方で、話もなかなか面白く、日本で台風を経験できると楽しみにしていたのに、たまたま台風が東京をそれてしまって残念だといったような話をされていました。「日本の台風よりあなたの方がよっぽど台風だ」と私は喉まで出かかったのですが、それをグッと我慢して一緒に食事をしました。その時に彼女の方から「ミスター・モリタ、何か私の国にアドバイスはないか」ということでしたので、「私のアドバイスは、あなたの国をエンジニアが尊敬されるような社会にして頂きたいということです」と申し上げました。そもそも物理学の基礎はイギリスにあり、私はイギリスのサイエンティストを尊敬しております。現にイギリスではサイエンティストは非常に尊敬されています。しかしその一方で、エンジニアはあまり尊敬されていません。エンジニアはサイエンティストより一段低いと思われているわけです。そういうことが気になっていたので、私は「エンジニアが大事にされない国に本当の工業は発達しません」という話をしました。アメリカも昔はヘンリー・フォードやトーマス・エジソンなど多くのエンジニアがおり、尊敬されていたわけですが、今ではビジネススクールを出た人や、ロイヤーばかりがもてはやされ、エンジニアは極めて影が薄いのです。アメリカの中でもウェスティングハウス、モトローラ、ヒューレット・パッカードなどのようにエンジニアが創立し、エンジニアがいまだにトップマネジメントにいる会社は、今も立派な業績を上げております。そう見てきますと、本当に製造と技術に通じた人間がトップマネジメントにいれば、製造業はうまく行くということが言えると思います。ですから私はアメリカに行った際も、サッチャーさんに会った時も、イギリスでもフランスでもそのことを力説しております。現にエンジニアが尊敬されているドイツはあれだけの工業力を持っているわけです。「日本の産業界を見てください。中心はエンジニアです」と私は言っているわけです。そしてエンジニアが長い間努力をして、非常に良い物を生産してきたことが日本の産業を支えてきたのだ、と私は思うのです。ですから本当に一生懸命働いて、良い物を大量生産して、安い値段で供給することのどこが悪いのか。しかも日本のメーカーは出来るだけ現地で現地の部品を使って生産すべく努力している。どこに問題があるのだ、という思いでした。

 ところがヨーロッパはそれでは納得しないのです。私は部品の調達率が問題なのかと思っていました。ところがいろいろ話しているうちに、どうもそうではないようなのです。では何が問題なのか、私は長い間議論をたたかわしているうちに、次のような意見が気になってきました。「あなたたちは我々と競争のルールが違うのだ」というのです。これは私にとってはショックでした。

良い製品を安く売るのは悪いことか

 私は戦後一貫してモノづくりの最前線に身を置き、革新的な技術と高い品質を誇る製品を日本のみならず、世界の消費者の元へ合理的な価格で提供していくことに、最大の努力を傾注してきました。これはなにも私どものソニーという会社に限らず、日本の多くのメーカーに共通して言えることです。 そして、「欧米企業に追いつけ、追い越せ」の大号令の下に、技術開発、製品開発、生産性向上、品質管理といった様々な側面に日本メーカーはあらゆるリソースを投入し、気が付いてみると、自動車・エレクトロニクス・工作機械など様々な分野で、日本製品は驚くほどの競争力を世界に誇るようになりました。高品質・高性能の日本製品は、欧米企業の同レベルのライバル製品と比較すると、価格も比較的安い。その結果、ライバルを制し市場において成功を収めてきたのです。

 しかしながら、こうした日本製品の国際競争力の高まりに呼応する形で、日本企業、ひいては日本に対する欧米諸国での風当たりはますます強くなってきているのが昨今の状況ではないでしょうか。日本の製品の欧米市場における圧倒的な競争力はいまや政治問題化し、その市場へのこれ以上の日本製品の進出を法的・政治的に阻止しようとする動きが欧米各国で勢いを得ている現状です。そして前述のように、日本を見る欧米の目は実に厳しいもので、各界からの声高な日本批判は連日のように世界のマスコミをにぎわしています。例えば、フランスのクレッソン首相は、「日本は世界征服をたくらむ侵略者」であると決めつけておりますし、また、米国のリヴィジョニストと言われる人々を中心に、日本は世界各国とは相容れないルールを持つ得意な国として日本異質論が展開されています。

 一方、こうした批判を耳にする日本企業のトップの側は、「一生懸命努力して、良いものを安い価格でいち早く提供することのどこが悪いのだろう」という疑問をぬぐい去ることができません。日本の製品の輸出がひところ「集中豪雨的」だと非難され、政府がメーカーに対して、そのような輸出を慎むよう行政指導を行ったことがありましたが、その時私は、日本の政府自ら「集中豪雨的」という表現を使って企業の行動を指導するということに反発を覚えた記憶があります。というのも、我々日本企業も欧米企業と同様に自由経済システムのもとで市場原理に従ってビジネスを行っているわけで、消費者の側が求めない限り、企業の側が「これを買いなさい」などと消費者に強制できるわけがないからです。すなわち日本の製品がそれだけ海外に出ていくからには、海外の人々からの求めがあるはずで、「集中豪雨的輸出」と言われた実態は海外市場の「集中吸引的輸入」ではないか、というのが私の考えでした。

 ひとつ例をお話ししましょう。かつて日欧間で日本製ビデオの規制が問題になった時のことです。その当時のEC副委員長で私の友人でもあるダビニオン氏とある日議論していると、彼は「日本からビデオが集中豪雨的にECになだれ込んでくる」といって日本を批判するわけです。それに対して私は「何故日本に対して怒るのですか。ヨーロッパの人達がビデオが欲しいと思った時に供給できるのは主として日本メーカーしかないのです。だから日本から大量に買い付けが行われ、モノが出ていくのであって、日本企業を批判するのはおかしいのではないですか」と反論しました。そして次のような点を指摘しました。すなわち、日本の各メーカーは10年、15年前からカラーテレビの次はビデオの時代になると予想してそれぞれ開発に着手し、次々と関連特許を出願していたこと、その頃ヨーロッパのメーカーはビデオにはほとんど関心を持っておらず、開発に取りかかっていたのはフィリップスを始めわずかなメーカーでした。「従って、それから10数年経って、世の中の人達がビデオを欲しがるようになった時に、それを高品質・低価格で提供できたのは日本メーカーしかないから、日本から集中的に製品が出てゆくのです。だから、責められるべきはこれまで準備してこなかったあなた方ヨーロッパのメーカー自身であって、日本が集中豪雨的輸出をしたと文句を言うのはおかしいのではないですか」ということを私は申し上げたのです。「それでもわれわれは困るのだ」と彼がさかんに言うものですから、「それでは私にひとつ提案があります。ヨーロッパのエレクトロニクス・メーカーのトップと日本のエレクトロニクス・メーカーのトップとで毎年会合を開きましょう。しかし今の製品をいくらにするとか、今のマーケットを分け合うという話ではなく、10年先にどういう技術が重要かという話し合いをしようではありませんか。お互いに10年先の共通の見通しのもとに、各々が自力で開発努力をすれば、その成果についてはお互い文句は言えないでしょう」ということを言いました。しかしメーカー同士が集まると独禁法上問題があるので、両方の政府にも立ち会ってもらうことにしたわけです。こうして、ダビニオンEC副委員長と亡くなられました阿倍さん(当時通産大臣)との会談で『民生用電子機器に関する日・ECビジネス・ラウンドテーブル』という会議がスタートいたしました。私が日本側の議長をやりまして、ヨーロッパ側はフィリップス社長のデッカー氏がやりました。その後毎年集まり、昨年10月第8回が日本で行われました。将来にわたるいろいろなディスカッションをしております。次はヨーロッパでやることとなっております。

 第1回の時、日本側が10年先にこういうものを考えているというような話をしたら、その会合の後に先方から、「民生用電子機器のラウンドテーブルというけれども、あなた達の言っていることは民生用技術ではなく産業用技術である」という話が出てきました。われわれがその時彼らに言ったのは、「あなたがたはそんなことを言っているから駄目なのです。今、産業用技術と思われるものも、日本の家電メーカーは真剣に勉強し、研究しています。なぜなら10年先にはその技術も民生用製品に使われるからだ」という話をしました。

 このように、ヨーロッパなどとお互いの理解は進んでも、我々日本メーカーの頭の中には、先程も述べたような割り切れない思いは根強く残っているわけです。しかし私は、このたび経団連の訪欧でビジネスマンと意見交換し、さらにドロール委員長を始めとするECのリーダーの方々と話をする中で、こうした疑問を解くきっかけを見つけることができたような気がしてきました。ドロール委員長ほか、各国首脳、ビジネスマンの話を聞いていると、自動車、エレクトロニクス等、日本が強い競争力を持つ産業に対してヨーロッパの人々がいかに強い脅威の念を抱き、また日本企業に対してヨーロッパ企業との共存共栄をどれほど強く求めているか、ということが痛いほど伝わってきました。こうした声に十分配慮していくことが今の日本企業にとって最大のチャレンジだと思うわけですが、では具体的にどうしたらよいのか、私なりに考えた結果を述べたいと思います。

日本企業のやり方

 通常、製品の価格は、材料費、人件費、研究開発費、広告費、などの生産・販売にかかるコストの積み上げと、需給関係をにらみながら決定されたマージンとの和で構成されます。従って、品質の高い製品とつくる場合、進んだ技術、良い原材料、良い設備、そして質の高い労働力が必要となり、生産コストは必然的に高くなります。さらに、株主への配当を高いレベルで保とうとすると、それなりの利益の確保が要求されるため、マージンを厚くする必要があり、製品価格を高くしなければならないのです。逆に、一般普及品の場合は低い生産コストですむようにし、マージンも少なくして、製品を低価格で供給し、そのかわり大量に販売するのです。これが、自由経済システムまたは市場原理のもとでの製品価格の決め方です。しかし、日本と欧米は同じ自由経済システムのもとにありながら、同レベルの品質の製品に対して、日本企業の価格設定は一般的に欧米企業より低くなる傾向があるように感じられます。それは何故でしょうか。

 日本市場では企業間の競争が非常に熾烈です。例えば、民生用電子機器の業界をみても、比較的すみ分けが明確でまた競争もそれほど激しくない欧米の市場環境に比べ、日本では、この狭い市場に、世界的な大企業がひしめき合い、競合する製品分野でしのぎを削りながら競争しているのが現状です。こうした市場においては競争はどうしても価格競争に集約してきます。そこで勝ち抜くには、大量生産によるコストダウンが大きなカギの一つを握ります。そのため、いきおい企業の側では大量に作った製品の販売先を確保するため、利益を犠牲にすることを覚悟で価格を引き下げてまでも売り上げを伸ばし、市場シェアをとることに重点を置く場合もでてくるのです。つまり、日本企業の価格設定のやり方は、市場獲得のために販売価格が先に決定され、その価格で売れるように、コスト、利益を削っていく方式がとられがちなのです。このような日本市場の特徴のため、日本企業の価格設定のやり方は欧米企業のものとは異なるものとなってしまいました。自動車、エレクトロニクスを中心に、国際的競争力を持つ日本メーカーは多く、海外市場でも日本メーカー同士がライバルとして競いあうのが現状です。そうすると、海外でもライバルの日本メーカーに勝つためには、日本市場と同様のやり方で競争せざるをえなくなってしまうのです。欧米企業の常識とは異なった日本のやり方をそのまま自分たちの市場に持ち込まれた彼らにしてみると、それは「侵略」であり、「我々の首をしめるのか」ということになってしまいます。そこが問題なのです。

 戦後の復興期において、GHQの指導による労働慣行の民主化の結果としてもたらされた終身雇用制は日本企業の経営慣行に大きな変革をもたらしました。これによって、企業のマネジメントと従業員間に「運命共同体」的意識が形作られ、労使間、従業員間で給与面で大きな格差を設けないやり方や、年功序列意識といった日本的な平等主義につながることになりました。さらには、「欧米に追いつけ、追い越せ」という共通の目標の達成のため労使が一体となって技術をみがき、生産効率を上げ、品質の向上に励むという欧米とは異なった企業風土を生み出すこととなりました。

 それに加えて、政府の産業振興政策の影響もあって、各分野で過当競争といわれるような熾烈な競争が行われるようになったのです。そのため日本企業は必然的に、その持てるリソースのすべてを競争に勝ち抜く諸条件整備のために優先的に振り向けざるを得ませんでした。即ち、企業の業績が好調で、利益が大幅に上がっても、企業はその利益を一層の競争力向上のため、研究・開発や生産設備等への再投資に振り向け、更には、景気その他企業を取り巻く経営環境の悪化に備えて内部留保に回すようになったのです。

 確かに、こうしたやり方は企業の体質を強化することに大きく役立ってきましたが、その半面、利益を従業員や株主、または地域社会などに還元していくという側面が陰に隠れてしまったきらいがあります。また、企業の活動を支えてくれる協力会社に対しても、自社の競争力向上を重視するあまり、時には無理を言ってきたきらいがあります。その結果、これらの企業にかかわる関係者の利益と経営方針との関係が欧米とは大きく異なってしまったようです。

 まず、従業員との関係では、労働時間、給与水準の面で欧米とは随分格差が広がってしまいました。1989年の年間総労働時間を比較してみると、日本が2159時間なのに対して、アメリカは1957時間、旧西ドイツは1638時間、そしてフランスは1646時間と大きな格差が存在しています。また、労働分配率を比較してみると、1980年から84年の5年間の平均でみて、日本の77.8パーセントに対してアメリカは80.3パーセント、旧西ドイツは88.8パーセント、そしてフランスは89.2パーセントと開きがみられ、欧米とは勤労者への成果配分の格差がみられます。

 次に、株主との関係では、日本企業の株式配当性向が欧米企業と比較して非常に低いことが指摘されています。具体的には、日本が30パーセントであるのに対して、アメリカは54パーセント、イギリスは66パーセント、旧西ドイツは50パーセントとその開きは歴然としております。

 また、取引先との関係では、セットメーカーと部品供給企業の関係を例にとると、欧米では両者の関係が対等であるのに対して、日本では一般的には長期継続的取引が行われて両者に安定的な関係が築かれる半面、納期や納入価格等の取引条件の面でセットメーカー側に有利なように決定されることが見受けられます。

 最後に地域社会との関係をみてみると、米国企業と比較して日本企業は地域社会への貢献に積極的とは言いがたいようです。手持ちの最近のデーターによれば、企業の寄付額は、対税引前利益比で日本が0.33パーセントであるのに対しアメリカは1.55パーセントと大きな開きがあり、両者の姿勢の違いをみることができます。

 このような経営理念の違いが、ひいては最終製品の価格の格差を生じさせ、欧米企業には到底太刀打ちできない日本企業の価格体系をつくり出しているのです。それが彼らをして、「日本はアンフェアだ」「我々を窒息させるのか」と悲鳴をあげさせる状況をつくっているのではないでしょうか。

豊かな日本を創るために何をしたらよいか

 我々日本企業のやり方に対する欧米企業の我慢が限界に近づいてきていることに加えて、今日では、限られた資源・エネルギーの利用の問題、環境汚染の問題が人類共通の問題として浮上しています。世界が今、力を合わせて真剣にこれらの問題に取り組まなければ取り返しのつかないことになる可能性があるのです。このことからも、欧米から見れば異質な経営理念をもって世界市場で競争を続けることは、もはや許されないところまで来ていると言えるのです。もちろん、モノづくりを経済の根幹に据え、よりよいモノを作り続けるため、エンジニアを中心として、製造業にかかわるあらゆる人達が研究と努力を続けてきた日本の企業風土それ自体には、数々の誇るべき点があるのです。しかしながら我々企業人は、これまでに経営の上で十分配慮してこなかった面がないかどうか、今一度我々の企業理念を真剣に考えるべき時なのです。そこで我々企業人は、まず最初のステップとして、次のようなことを考えていくべきではないでしょうか。
1)生活に豊かさとゆとりが得られるように、十分な休暇をとり、労働時間を短縮できるよう配慮すべきではないか?−−−旧西ドイツ・フランス並みへの速やかな移行は現実的ではないにしても、アメリカ並みのレベルを目標としてみてはどうか?

2)現在の給与は、企業の運営を担うすべての人達が真の豊かさを実感できるレベルにあるのか。貢献している人々がその働きに応じて十分に報われるシステムになっているか?

3)欧米並みの配当性向を確保するべきではないか?

4)資材・部品の購入価格、納期の面で、取引先に不満を持たせているようなことはないか?

5)企業および個々人が社会やコミュニティーの一員であることを認識し、積極的な社会貢献に努めるべきではないか?−−−コミュニティーの抱える諸問題を、企業が共に分かち合う覚悟を持つべきではないか。

6)環境保護および省資源対策に十分配慮しているか?−−−環境、資源、エネルギーは人類共通の財産であることを強く認識するべきではないか。

 現在の世界をみてみますと、先程あげた資源問題以外にも困難な状況が山積しています。東欧そして旧ソビエト連邦地域の政治・経済・社会的混乱をいかに収束させていくのか、また大きく広がった南北間の経済格差をどのように縮めていくかも難問として残されています。さらに、厳しさのます先進諸国の経済環境をどのように改善していくかも、大きな課題です。日本は世界経済のボーダーレス化の流れの中に深く組み込まれており、こうした世界規模の課題は、すべて日本の将来に大きなインパクトを持つものであります。

 ですから、問題の解決に取り組んでいくかを考えていくと、やはり欧米に日本を加えた三極が人的にも資金的にも、一致協力してリーダーシップをとらなければならないことは明らかであります。そのような世界的にクリティカルな時に、その三極の大事な一角である日本という国が、欧米から不信の目で見られているような状況は何としても変えていかなければなりません。そのための大事な一歩として、日本企業が欧米と整合性のあるルールの上でフェアな競争をしていくことが何としても重要なのです。

 これまで日本企業は競争に勝ち抜くことに意を注ぎ、効率ばかりを追求するあまりに、企業活動に際して、前述のような諸側面を十分配慮して来なかったのではないでしょうか。今後、効率の犠牲となってきたこうした諸点を、企業は十分考慮し、適性なマージンを付加しつつ価格を決定していかなければなりません。そしてそのうえで競争力を維持していくことを心がけなければならないのです。このことが欧米と整合性を持った競争ルールの確立を通じて欧米の対日不信感を払拭し、グローバルな課題解決のための日米欧の緊密な協力関係を築き、ひいては豊かな日本の創造にも結びついてくることを、我々はしっかりと認識すべきです。しかし、小さな改革でさえ、いざ実行となると企業の側で二の足を踏まざるを得ないというのが実情ではないでしょうか。我々は厳しい市場環境のもとで引き続きビジネスを行っていかなければならないのですから、我々企業人が実際に意識を変えていくということは大変に難しいのです。

理想の実現に向けて

 日本の現在の企業風土では、敢えてどこか1社が改革をやろうとすれば、その会社が結果的に経営危機に追い込まれてしまうような状況が存在しています。そのためどこも積極的に動こうとしません。こうした自己防衛優先の意識が問題なのです。誰が率先して手本を示すかという話になると、経営者としてはなかなか勇気が出てこないのです。これは極めて難しい問題ではありますが、その実現に向けての企業の取り組みは少しずつ始まってきています。例えば、自分のところの例で恐縮ですが、我が社では最近、役員をはじめ全社員が、各人の希望に応じて自由に連続休暇がとれるフレックス・ホリデーの制度を導入し、個人のゆとりを拡大させようと取り組んでおります。また、入社選考に際して応募学生に出身校を問わないというやり方を導入しましたが、これなども個人の尊重につながる試みで、改革へのひとつのステップだと考えています。さらに省資源の観点から、頻繁なモデル・チェンジよりも、むしろ付加価値が高く長く使ってもらえるような製品を考えようとする開発現場の動きも、こうした流れに沿ったものです。いずれにしても、日本企業の経営理念の根本的な変革は、一部の企業のみの対応で解決される問題ではなく、日本の経済・社会のシステム全体を変えていくことによって、初めてその実現が可能になると思います。システムを変更することには勿論痛みが伴うわけですが、我々は何としてもこの変革を実現させなければなりません。この点で、統合に向けて自国の主権と利益をある程度犠牲にしてもその実現のための努力を続けるEC各国の姿は、我々に勇気と多くの示唆を与えてくれます。この度の経団連訪欧ミッションの折、私はEC各国の首脳が統合にいかに真剣であるかを知り、圧倒されました。この統合は単に市場統合のみを目指すものではなく、政治的・通貨的統合までをも視野に入れたものであります。あれだけ多くの民族、言語から成り、多様な価値観を包含するECがこの統合に向け、どれほどの自己犠牲を払っているかは想像に難くありません。

 先に申し上げたように、日本の企業は戦後、終身雇用制という新しい体制を築き上げ、労使が共に苦楽を分かち合うという運命共同体的な企業経営慣行を作り出しました。これは日本企業の歴史の中で極めて独創的なできごとであったわけですが、これだけの変革を行ってきた日本の企業人でありますから、外圧によることなく、自発的な努力によって新たなイノベーション、そしてブレイクスルーができるものと私は信じております。また企業人のみならず、株主や取引先、地域社会の人々を含め、企業に関わるあらゆる人々が一致協力して、このような変革への努力をしていくべきだと私は申し上げたいのです。

 折しも、宮沢首相も就任に当たり「生活大国」を目指すべきことを所信として述べられました。これは企業をも含めた日本の将来進むべき方向でもあります。その中で、我々企業人が前に述べたような変革を率先して行うことによって、この大事業に積極的に貢献できるとしたら、これは実に素晴らしいことだと思うのです。


http://www21.ocn.ne.jp/~wiper/morita/top.htm


 次へ  前へ

Ψ空耳の丘Ψ35掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。