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(回答先: 偉大な文明の痕跡【GA site】 投稿者 ほっくん 日時 2004 年 6 月 19 日 00:47:45)
アトランティス大陸の謎
第6章 1部 ナスカの地上絵 洪水伝説
http://kubota.cside.com/hdgasite/atlantice11.html
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■ 不思議なナスカの地上絵
謎といえば、いまだに世界の考古学者を悩ませているものに南米ペルーのナスカの地上絵がある。
巨大な鳥、クモ、その他の動物を地面に描いた理由は、いまもってわからない。地上最大のいたずら書きともおもえるこれらの絵は、動物だけではない。線状の跡も無数に残されている。長さ数キロにもわたって伸び、交叉しているこの不思議な線型模様は何を意味するのか。古代の航空機の滑走路だという説もあるが、それにしては造りがあまりにも無秩序だ。
もちろん、この線型模様もけっして自然にできたものではなく、どうみても人工的なものである。ただし、動物の絵は地面に浅い溝で描かれているので、飛行機で観察するには、溝に薄い影のつきやすい早朝か夕方がよい。
ナスカの地上絵を最初に発見したのはアメリカの考古学者ポール・コサク博士で、博士はこれを見て、「世界最大の天文学書」といったのである。
どこの遺跡でも、ライフワークとして研究するために現地に住み着いて数十年間研究調査する学者がいる。メキシコのパレンケに住居を構えて、古代マヤの研究に打ちこんでいるアメリカ人、マーリ・ロバートソン女史がそうである。
ナスカにも1932年にドイツ人女性考古学者のマリア・ライへ博士がペルーを訪れて地上絵にとりつかれてしまい、1946年にはその近くに家を建てて、1983年に世を去るまで、地上絵と線型模様の研究を続けた。
彼女は地上絵を、「ペルーまたは世界のもっとも考古学的価値のある記念碑だ」と考えていた。そして各絵の巨大なサイズと完ぺきなプロポーションなど人間業ではないような技巧に感嘆し、古代のペルー人が空を飛ぶことができなければとうていできない仕事だ、と述べたのである。
だがこの地上絵は、むしろ太古にやってきた別の惑星の飛来者にたいする標識ではないか、という説の方が現在では優勢だ。というのは、地上からはけっして見えず、空中からしか識別できない不思議な絵模様は、空中からの指示によって描かれたとしか思えないからだ。
地上絵が1万年以上もほとんど無キズで保たれていることは驚異的なことだ。ひょっとすると、アトランティスかムー大陸の高度な文明をもつ人びとの子孫がこの絵に関係したのではないだろうか。
ペルーにはこの他にも、サクサワマンの巨石防壁やマチュピチュの空中都市遺跡などがあるし、隣のボリビアにはティワナコの太陽の門を含む古代の遺跡がある。
これらはプレ・インカ(インカ以前)というよりもむしろインカ帝国時代の遺跡と思われるが、それにしても、これだけの築造技術をどのようにしてマスターしたのかは不明である。こうした巨石文化は遠い太古から中南米に伝わっていたのだろうか。もしそうだとすれば、最初にだれが伝えたのだろうか?
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■ ノアの箱舟はアトランティスに関係がある
世界中の人びとが知っている太古の伝説に、"ノアの箱舟"がある。これは旧約聖書の創世紀に出てくる有名な物語だが、この大洪水は1万2000年前のアトランティスまたはムー大陸の沈下時の大変動を意味するのではないかという説も出てきている。
これについても近代になって多くの学者、研究家、探検家などが、旧約聖書に述べてあるアララット山を探険要した。この山はトルコの東端にある死火山で、高さは5100メートル。氷河におおわれており、項上付近がノアの箱舟の到着地点といわれている。
つまり、かつて先史文明が存在していた時代のある日、世界的規模の大洪水が地表を荒れ狂った。そして1せきの船が漂流して、この山に流れ者いたと伝えられているのである。たしかにこの高山の山腹には、大波を受けた跡や貝殻などの遺跡が発見されている。
この大洪水伝説は、旧約聖書だけではなく、多くの民族にも名前を変えて残されている。そしてこの数百年間に、ノアの箱舟を見たという報告がいくつも提出されているのだ。第一次世界大戦中、ロシアのパイロットたちはアララット山中の湖のなかにそれを見たと主張した。その後、ある探検隊がロシアのパイロットのいう湖でノアの箱舟を目撃したというが、その記録は消失してしまっている。
また第二次世界大戦中、ソ連とアメリカのパイロットたちが箱舟の写真撮影に成功したという。しかし現在、真実とされる写真は入手できていない。
米ソの冷戦中にトルコに駐留していた米空軍パイロットたちの問に流れたうわさによると、ソ連の上空を偵察飛行していたアメリカの∪−2機のパイロットたちが、ノアの箱舟の写真を撮ったというのだが……。
しかし1974年に、アララット山上空800キロの高度からランドサット衛星が撮影した写真には、山頂付近に異様な物体が写し出されていた。当時アメリカの宇宙委員会の議長で上院議員だったフランク・モスがその写真を調べて、本物の箱舟らしいと述べている。
アポロ15号の宇宙飛行士ジェームズ・アーウィン大佐もアララット山のノアの箱舟を調査した1人だ。彼は月飛行に先立って地球をまわる周回軌道を飛んだときに、中東の上空にさしかかってアララット山の箱舟に関心をもつようになったという。
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■ 古代の洪水伝説
ところで、北米、中米、南米の130種にのぼるインディアンの種族で、大地震と大洪水に関する伝説をもたない種族は1つもないといわれている。その他、世界の諸民族の古代からの言い伝えには、大なり小なり大洪水の物語が出てくる。
メキシコのアステカの古代文献である『太陽の歴史』には次のように書かれている。
「このとき空は大地と合した。1日のうちにすべては死滅し、山さえも水中に没して、水はセ氏52度にも達して春のあいだずっと動かずに残っていた」、「火の雨が降った。そしてたった1日で、あらゆるものが絶滅した。われわれの肉から生まれたものはことごとくほろびた」
火の雨というのは、火山の大爆発だろう。するとこの伝説では、大地震、火山の噴火、大洪水などが遠い昔に起こったことを語っていることになる。
ペルーやブラジルのインディオの伝説には次のような物語がある。
「ふたたび雷がとどろき始め、雷雨がにわかに始まった。昼の光と大地はさながらいちども存在しなかったかのようであった。ある人びとはどこかわからぬところにいる自分に気づき、ある人びとはどうしてだかわからぬうちに命を失った。なんとなれば、いたるところを想像しがたい混乱が支配していたからだ。水は、はなはだしく高く起こり、大地はことごとく水の中に沈んだ……命が助かったのは、ただ1人の男とその妻だけであった」。
大洪水でノア一家族だけが助かった旧約聖書の創世紀を思わせる伝説だ。旧約聖書というのはユダヤ民族の歴書にすぎないのだが、このなかでも大洪水だけが広く知られているのは、新約聖書とセットになって流布されているからである。
アメリカインディアンのカライバ族の伝承には、大地が一時に波にのまれ、火山の噴火に震動した時代のことが出てくる。またカナダにも、昔の原住民の言い伝えのなかに、大洪水伝説がある。それによれば、大洪水により世界が全滅し、海水が全土をのみこんでしまった。助かったのは数人だけで、彼らは獣皮で作った小舟に乗って高山の山頂に着いた、となっている。
1870年にメキシコのユカタン半島で発見された古代マヤの『チラム・バラムの書』はマヤの神官が書いた予言や神話の本だが、これにはマヤ族の祖先のことが書かれてあり、そのなかに、たいそう遠い昔に地震や噴火のために故郷が大変動にあい、ついに海にのみこまれたが、脱出して助かった人もあるという記述がある。