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2004年06月15日
ミッシング・ペニス - 怪僧ラスプーチンの巨根をめぐって
【AFP】この度、ロシアに開設されたエロチカミュージアムにてロマノフ王朝の悪魔と呼ばれた怪僧ラスプーチン(グレゴリー・エフィモビッチ・ラスプーチン)の巨大なるペニスが展示され、大好評を博しているという。長さ凡そ28.5cm(ホルマリン漬けにされて多少縮んでいる)に及ぶこの巨大なペニスは丁重にガラス瓶に封入された上で展示され、今回の展示の大きな呼び物となっている。また同展示会のディレクター、イーゴリ氏によれば、このペニスはイーゴリ氏がフランスの古物商から凡そ現金83万円程で買い取ったもので、ペニスの他にラスプーチン自身による直筆の手紙なども入手したと話しているが、この驚くべきアイテムに証明書なりが存在したかどうかは明らかではないとしている(以下略)。果たしてこのラスプーチンのペニスは本物なのだろうか?何故なら、このペニスには凡そ1世紀に及ぶ謎が隠されているからである。
【 The Mighty Organ / Wilson's Almanac】ロシアはロマノフ王朝時代、黒い悪魔と呼ばれたラスプーチン。その凄絶な死に様をはじめ、数々の逸話を残すこの怪僧はまたロシア史きっての性豪としても知られている。事実、ロシア語に「放蕩」を意味する形容詞として”rasputnii”という語があるが、この語がラスプーチン(Rasputin)の名に由来している事は決して想像に難くない。
そしてここにそうした彼の性豪伝説を端的に示すある逸話がある。それはラスプーチンの死後、彼の象徴でもあった巨大なるペニスが死体から切り取られ、何者かの手に渡ったというものである。ラスプーチンの実の娘、マリア・ラスプーチンは父親のペニスをして勃起時は長さ13インチ(約33cm)であったと語っている。一体何故、彼女がそのような事実を知りえたのか理由は定かではないが、一説にはラスプーチンの死後、彼のペニスは遺体から切り取られ、彼女が記念として保管していたと言われている。
性豪の儀式
またマリア以外にもラスプーチンのペニスを目撃したものは多数存在している。ラスプーチンはしばしばサンクトペテルブルグの浴場を訪れる姿を目撃され、貴婦人から売春婦までを巻き込んで乱交まがいの儀式を行いたと言われている。ラスプーチンはそこで彼女たちの悪霊を追い払うとして儀式を執り行った上、更に性交を行っていたと言われているが、いずれにせよ彼が不特定大多数の女性と肉体関係を持っていた事は間違いがないようである。
またラスプーチンに熱烈な愛を抱いた熱狂的な女性信者もいた。オルガと言う名のその女性はラスプーチンのカリスマ性にすっかり魅了され、彼のことをキリストの再来として崇め、自らのことを聖母マリアであると考えたのである。オルガは自分の夫と子供を捨て、ラスプーチンを慕い続けた。ある時などはオルガはラスプーチンの巨大なペニスにすがりつき、ラスプーチンに激しくぶたれながら「あなたはキリスト、私はあなたの羊です、、。」と叫んだという。
これまで、ラスプーチンの死に関しては様々な説があるが(殺害はユリウス歴にして12月16日、グレゴリウス歴の12月30日、ユスポフ皇太子が首謀者となって行われたと言われている。詳細はこちらで)、彼のペニスを巡ってまた様々な説が存在している。それは死亡したラスプーチンの遺体からその巨大なペニスが切断され、放り投げられたという説、そしてもう一つは死亡以前にペニスが切断されていたという説である。
1920, Paris
より有力な後者に関して以下のような逸話がある。ラスプーチンの死後、彼のメイドであった女性が彼の部屋を掃除中、彼女は部屋の中でラスプーチンのペニスを発見した。そしてメイドによって保管されたペニスはその後、様々な人の手を渡り歩き、1920年、それはフランスはパリに突然現れる。
それはロシアから移民した一部のラスプーチン崇拝者の女性カルトがラスプーチンのペニスを保管し、まるでご本尊のように崇め奉っているというものだった。伝えられるところによれば、彼女たちはラスプーチンのペニスを木箱に入れて大事に保管し、また千切れた一部は信者らに与えていたという。そしてその後、そのカルトの存在を知ったラスプーチンの娘マリアは激しく憤激し、それらの事実を否定したのである。
マリア・ラスプーチンは父の死後、ヨーロッパ、アメリカ、南米にてサーカス・パフォーマーとして活躍した後、カリフォルニアに落ち着き、1977年に78歳でこの世を去っている(彼女の墓はロサンジェルスにある)。彼女は生前、父親の汚名を返上するためにいくつかの本を著したが、現在伝えられるラスプーチンのパブリックイメージを見る限り、その試みは儚くも失敗に終わったと言えるだろう(また現在、彼は常に怪僧[Mad Monk]などと形容されるが、実際にはラスプーチンは僧侶ではなかった。実際には霊的指導者か、せいぜい巡礼者といったところである)。
1994, California
そして1994年、ラスプーチンのペニスは今度は海を越えてカリフォルニアに現れる。サンタクルズの古物商マイケル・アウグスチヌスがラスプーチンのペニスを発見したというのである。その年、彼はガレージセールにて出品されていた、サンタモニカ作家クラブの理事長ロベルタ・リップル博士の所有物の中にある奇妙なものを発見したのだ。それはラスプーチンの娘、マリア・ラスプーチンが残した三つの原稿だった。一つはロベルタ氏がゴーストライターとなって書き上げたラスプーチンの事を綴った伝記、もうひとつは小説、そしてもうひとつは「帝国の崩壊」と名付けられた未完の原稿だった。
しかし、アウグスチヌスはそれら原稿と共におかれた更に奇妙なものを発見した。それはベルベットのポーチに収められた黒くてしわだらけのまるで亀の頭のような物体で、そこにはメモが添えられていた。メモによれば、その物体はラスプーチンが自ら去勢したペニスであり、彼の死後、メイドがそれを所有していたが、後に娘のマリア・ラスプーチンに送られたものであるという。また、メイドはラスプーチンがペニスを切断する際、現場に居合わせたと書かれていたのである。
そしてそのペニスは1994年3月10日、アウグスチヌス氏によってロンドンに運ばれ、そこでオークションにかけられる。彼はその時報酬としてたった7万円程度を受け取ったが、一体誰がそのペニスを購入したのか知る事は出来なかったと話している。
こうしてまたラスプーチンのペニスはその足取りが途絶えるのである。
1995, London
しかし翌年の1995年、今度はラスプーチンのペニスはロンドンのデイリー・テレグラフ紙上の三面を飾ることになる。記事によれば、ペニスはヴィクトリア・ブラッキーなる人物がある医学系のセールで購入したもので、マリアの遺した原稿と共に購入したとされていた。しかし、記事はその後の科学者の調査の結果、彼女が購入したものはラスプーチンのペニスではなく、「ナマコ」であることが判明したと締められていたのである。
かつてカリフォルニアでラスプーチンのペニスを目撃したアウグスチヌス氏はその話を聞かされて驚き、こう語っている。
「うーん、、僕はペニスの専門家じゃないから何とも言えないけれども、、僕が見たのは一度だけだからね。ただ僕はいろいろな人にあれを見せたけども、あれは確かに皆が持っているのと同じ形をした間違いなくペニスのようだったけどね、、。」(写真はいずれも今回のサンクトペテルブルグのもの)
こうしてラスプーチンのペニスはナマコであるという結論と共に、再び世界から姿を消すのである。
一体、ラスプーチンのペニスは何処へ消えたのだろうか。一つの推測として、マリア、あるいはロベルタ氏が金儲けの為にナマコから偽造したという事も考えられる。しかし、マリアの父親に対する態度を見る限り、彼女が父親のペニスを偽造すると言った事は凡そあり得ないようにも思えるのである。またあるいは、かつてのパリにいたラスプーチンカルトのメンバーが「本尊」を捏造し、それが人の手を渡り歩いたと考えることも出来るかもしれないが、いずれも憶測の域を出ない。
そして今回のサンクトペテルブルグの展示である。今回ロシアに突然現れた、あの巨大なるペニスは果たして、本当にラスプーチンのものなのだろうか。あるいはまだ我々の知らない巨大なるラスプーチンのペニスは今なお、どこかで眠り続けているのだろうか。
真相は闇のままである。
http://x51.org/x/04/06/1535.php#more
【写真あり】ラスプーチンのペニスは30センチ(mosnews.com)
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/358.html