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《 たにしのつぶやき 》、「小磯国昭ごっこ」、2000/10/22
http://homepage1.nifty.com/kikugawa_koubo/tanishi.htm
むかしむかしのそのむかし、と言うほどのむかし話しではない。小磯国昭という総理大臣がおったそうな。時は昭和の戦争中のことであったそうじゃ。太平洋戦争をおっぱっじめた東条英機という総理大臣の次ぎの総理大臣になったお人じゃ。このお人は「木炭自動車」とあだ名された、一年足らずの総理大臣であったそうじゃ。
この総理大臣がどの様に選ばれたか。そのてん末を簡単におさらいしてみようと思う。米軍に押しまくられて、ついにサイパン島が陥落すると東条首相に対する、世の風当たりが強くなり、宮中グループ(首相経験者、枢密院議長、内大臣など)による東条引き降ろしが成功した。
さて次ぎの総理は誰にしようかと宮中グループは会議を開いた。まず文官か武官か。戦争中であるから武官であろうと。それなら陸軍か海軍か。海軍には適任者がいなようであるから陸軍であると。
「陸軍軍人中の誰を推すべきかについては、殆ど見当がつかない。そこでこういうことが行われた。現役陸軍大将を任官順に調べて、それで人選を決めるというのである。そこで武官名簿か何かを操って見ると、上席が寺内寿一だ。……そういう風に、人物や手腕などということはお構いなしに、総理大臣を推薦するのかわからんようなことをやって、結局三番目に小磯が出てきた。……小磯が特に総理大臣として適任であると発言した人は誰もなかった……」。(若槻元首相の回想*)
この結果、三人の中から一人選んで頂きたいと昭和天皇に「奏請」したのである。そして戦争遂行に支障をきたす第一線の総司令官でない、朝鮮総督で陸軍大将の小磯国昭に白羽の矢が立ったのである。
「一国の首班が選ばるる道すぢとしては、あまりに偶然が支配し居る様に思わるる……凡そ主義主張、方針と云う如きものは考慮せられず、重臣の思い附きにいづるなり」(細川護貞*)。これが国難の真っ只中で国家の最高指導者を決定したあらましである。
まさに大変の中であっての、この様はのどかと言おうかずさんと言おうか、開いた口がふさがらぬとはこのことであろう。ご老人達の首相選出ごっこと言う他はない。しかし、現在の首相選びもこれと変わらぬ、決め方であった。歴史は繰り返す「小磯国昭ごっこ」が再現されたのである。どの人物が有能であろうか、どれほど智慧をそなえた者であろうか、ということよりも自分達の既得権を維持する為に誰が適当であろうか。これが全てである。
かっての日本では智慧のある者が世の中で一番評価されたのである。信長、秀吉、家康などは単に力だけで覇をとなえたのではない。群雄割拠する中で、智慧のある者に人心はよってきたのである。それが近代欧米諸国との接触により、彼我の技術力の違いに驚愕し、闇雲に欧米知識の習得が始まったのである。この為自分達が智慧ある者であることを忘れ、知識の落穂拾いに成り下がってしまった。
人類社会において最も崇められるものの一つは、ノーベル賞を持ち出す迄もなく「智慧」である。他にあるとすれば多分に宗教に占領されている「心」だけであろう。「政治とは心を包み込んだ智慧の結晶である」べきだと思っても、それは真昼のホタルのつぶやきでしかない様だ。
残念ながらと言おうか必然と言おうか、我が国の政治家選びの条件に「智慧ある者」を第一条件にする者はいない。なのにこの様な首相選びに「智慧」を持ち出すことは無意味というほかはない。と結論付ければこの論考も無意味となる。
だから「小磯国昭ごっこ」は繰り返される。また間近に見られることになるだろう。開き直ってこの「小磯国昭ごっこ」の繰り返しを楽しもうではないか。ヤケッパチになれるのも生きている証しだと。
*「ドキュメント『昭和天皇』」田中伸尚著(緑風出版)