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イラクで誘拐された人達に対して、日本国内では様々な批判・非難は勿論、中傷・誹謗・暴言までもが浴びせられている。それは家族にまで及んでいる。処がイラクから聞えて来る声にはそのようなものが一つもない。それどころか、高遠菜穂子さんを賞賛する声で満ちている。
イラク人にとって軍隊以外の外国人の入国は、歓迎すべきことだろうう(悪意を持ったものは別だが)。イラク人の日常がどんなものであるのか見て欲しい、出来ればそれを世界に伝えて欲しい。イラク人を困窮から救う手伝いをして欲しいという願いもあるだろう。これは人間として至極当然の願いだ。
入国して来た者は、イラク人が日常的に接している危険を共有することになる。彼らにとって危険を共有する者が増えるのを拒む理由はない。だから入国して来る人間を歓迎することはあっても非難する理由はないだろう。むしろイラク市民の味方になってくれる、より多くの外国人に来て欲しいというのがイラク市民のホンネではないだろうか。
となれば、この日本に誘拐被害者を虐めるが如き言動が溢れいていることなど、イラク市民は到底理解することは出来ないだろう。この両国を比べて見ると、イラクには「人情」を解する人々がいて、日本には「人情」を解する人々がいないような気がして来る(勿論、全員がそうだと言っているわけではない)。
かつては「お互い様」と言う言葉が飛び交っていた日本であるが、近頃はとんと耳にしない。代わりに「他人(ひと)の迷惑」と言う言葉が溢れているように思う。「お互い様」というのは「利害を越えた心情」から発している言葉のように思える。それに引き換え「他人(ひと)の迷惑」は「利害を優先」させる言葉ではないだろうか。
日本人がかつて持っていた「素朴な良心」を今問い直す必要があるのではないだろか。問い直すべき「良心」がないなら仕方のないことだが。(足尾鉱毒事件で闘った)田中正造の父親が彼に言った言葉が残っている。
「死んでから仏になるは要らぬこと、生きているうち善き人になれ」
誘拐被害者に容赦のない罵詈雑言が浴びせられている今の社会を見ていると、果たしてこの国に「善き人」がどれほどいるのだろうかと考えこんでしまう。
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