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処方箋さん、ご丁寧なレス有り難うございます。
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/768.html
新たにupされた野田生T遺跡出土の赤彩注口土器は前回の垣ノ島A遺跡出土注口土器にも増してすばらしく、見とれてしまいました。土器の全面を覆う文様(これが磨消縄文なのでしょうか?)は流れるような運動を感じさせます。後の尾形光琳の絵を思い浮かべました。あるいはケルトの文様にも似たものがあったように思います。
それからこの土器も漆の光沢がすばらしいですね。漆器をjapanと呼ぶように日本列島は古くから漆塗りの伝統があったことが分かります。(後世に土器に漆を塗る手法は伝わっているのでしょうか?)
天辺の摘みは何を表しているのでしょうか?鳥のようにも見えますが。青森の土器からは蛇の骨が発見されたという事ですから、或いは蛇をデフォルメした可能性もあるのでしょうか。
蛇は列島中で弥生以前には信仰されていたようですね。三輪山の神も蛇ですし、『常陸国風土記』に現れる「夜刀の神」というのも蛇神ですね。ヤマタノオロチも蛇ですし。蛇を土器に入れて酒を注いだとすれば蛇の持つ力を手に入れようとしたのでしょうか?
それにしても、upして頂いた精製土器は、「火炎土器」などから我々がイメージする縄文土器の荒々しい造形とは随分違うように思います。こうした造形は後の弥生土器(或いは北海道では続縄文土器)には継承されなかったのでしょうか?この問いは、これらの土器を製作した人々は後の蝦夷(えみし、えぞ)の祖先なのかという問いに繋がるように思います。
如何お考えでしょうか?