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オバハンからの気まぐれ通信
(2004年03月)
■□■2004年03月31日(水)■□■
22日の深夜に日本から帰パ、翌日からスカルドゥやギルギットへ行く予定や、アフガニスターンへの予定でバタバタしていたら、珍しく体調を壊したようだ。発端は川崎市での報告会へ行った日からではなかろうか?
川崎市は従来の工業都市から抜け出し、新しく生まれ変わろうとしているが、これまで住んでいた人たちの生活に対し、初めて真剣に想いを馳せた。文字では知っていた「公害」や「川崎市の大気汚染」なるものへ。最近の川崎市はこれでも空気がきれいになったというが、煤煙などに対して免疫のないオバハンは気管支を痛め、喘息らしきものを引きずって帰パしたようだ。それがだんだんと酷くなり、喘息状の発作が出たら呼吸困難と、血圧の上昇で頭の血管がブチ切れるのではないかと思うほどの頭痛、そのたびに体中のエネルギーを消耗して、ここ何日かは何も出来ない状態が続いている。
日本の空気汚染とパキスタンやアフガニスターンの空気汚染は根本的に異なると実感した。汚れや埃には強いオバハンも、川崎の空気汚染??にはやられれたみたい。住んでおられる方々は本当に大変だと思う。
報告会や講演会など、今回の日本滞在でも各地では大歓待して頂いた。30年もの昔に日本を離れたオバハンには、日本各地が珍しくてならない。前述の川崎市のように、通過するだけでも見えてくるものがあるし、その街に対する興味や認識が新たになる。
TVや週刊誌で大きく報道されていた、自衛隊の基地−北海道・旭川に舞う、自衛官の無事安全を願うという「黄色いハンカチ」なるものも、自分の目で見ない限り理解が出来ないとばかり、我がままを言ってJRUの方にお願いして旭川まで連れて行って頂いた。
しかし、「やっぱり…なぁ…」というのが実感だった。
自衛官の無事帰国を願うという「黄色いハンカチ」、旭川の中心部と自衛官が立ち寄りそうなスナックや焼肉屋、自衛官の家にピラっと見えただけで、町全体からは探さないと見つからない程度のハンカチだった。それをあたかも街全体にハンカチが舞っているように報道するTV局や週刊誌など、など。石破長官の発案によるとか言われているが、安全と無事帰国を願うなら、初めから自衛隊を派兵するな!!といいたいし、報道と現実の違いを自分で確認して、オバハンはオバハンなりに「やっぱり…なぁ…」と、ますますの不信感を報道に対して増幅させている。
20日は東京で、自衛隊派兵反対などのピースウォークに娘とともに雨を押して参加。時あたかも桜開花の季節で、天気さえ良ければ、もっと多くの人が参加したことと思う。日本全国120箇所で計13万人の人が参加したというピースウォーク。こうした力を全国的に結集、一つにまとめて議会に強く働きかけたいものだと、この遠いパキスタンからも切に願っている。目的のためには利害を超えてまとまらなければ!
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■□■2004年03月23日(火)■□■
30℃もあるパーキスターンから雪の舞う仙台や、黄色のハンカチがピラっと舞う旭川、冷たい雨の中に集まった3万人の平和を願う人々の集まり「ピースウォーク」参加など、慌しい日本での17日間を終え、昨夜遅くにパーキスターンへ帰って来た。身体は正直なもので、早春の日本から夏のパーキスターンに順応するべく、そして時差を解消すべくオバハンの意志に関係なく「フル回転」のようだが、オバハンも負けず劣らずフル回転。溜まっていたメールを見たりお礼を書いたりしていたので結局、眠りについたのは未明近かったが、時差のせいでアザーン(礼拝への呼びかけ声)には目が覚めてしまい、またまたPCに向かっている。
そして6時半、朝靄の中を(難民キャンプといわれている)アフガン人の住む地域へ行ってみると、1年前にブルトーザーで壊された家々は僅かな隙間を残して建て直され、人々が通常の生活に戻っていた。逞しい彼らを喜こばしいと思いつつも、国連の難民帰還プロジェクトなるものには、ますますの疑問を持ってしまう。毎春のように、自国へ帰る彼らに対して費やされる莫大な「帰還費用」と称されるモノ。今までにいったい幾らくらい費やされたのか?その殆どが無駄になっていることを認めない国連関係者たち。
明日からはオバハンの現地活動が再開、とりあえず花満開のスカルドゥと、フンザやギルギットへ行って来ます。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/tushin15.htm