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(回答先: 佐々木毅さんですが、灯台だったか潮だったかに、登場していたように思うのですが、 投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 31 日 16:18:04)
http://plaza24.mbn.or.jp/~nonfiction/puratonnojubaku.htm
プラトンの呪縛 (佐々木毅、講談社)
哲学と政治は両立するか?
目次
プラトンはファシストだった
プラトンの政治的解釈
プラトンと社会改良主義
プラトン像の転換
精神の国の王
ナチス体制化でのプラトン
プラトン批判の砲列
反近代的な反動的思想化
民主主義の恐るべき批判者
「閉じた社会」のイデオローグ
プラトン論争の波紋
近代思想の病理論
プラトンからアリストテレスへ
政治学の科学化と多元主義
警告者としてのプラトン
真理を体現するものなど存在しない
絶えず真理へと向かおうとする姿勢だけが存在する
そうした姿勢を哲学者という
哲学者は存在ではなく行為なのだ
哲学者は常に自己を
真理では無いという意味で否定的な存在として捉えるとすれば
彼は何かを決定することができるだろうか?
限定的な意味での真理を
真理とみなして決めてゆくしかないのだ
真理は未来の可能性に開かれており
その可能性には否定される可能性も含まれる
一人一人がその限界を自覚した上で
責任をもって
好きなように生きればよい
これで終わり
本当に?
多様な価値を認めるだけで
個人を
一人一人を尊重するだけで
それだけで
よいのだろうか?
何か統一的な
共通の
足場となるものは必要ないのだろうか?
プラトンが問いかけてくるのは
そういう問いだ
一人一人が好きなように生きればいいとすれば
哲学ってなんだろう
よく生きるとはなんだろう
(happyday)