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終戦直後の日本で共産主義者らに便宜を図ったとして、米陸軍省が一九五四年四月、神奈川県の米軍座間基地で自国の同省職員に対して開いた聴聞会の議事録が見つかった。当時、米国では東西冷戦を背景に「赤狩り」と呼ばれた共産主義思想の弾圧が行われており、これが日本の地にも及んでいたことが初めて確認された。
標的とされたのは在日米極東軍司令部の民間職員だったドン・ブラウン氏(一九〇五−八〇)。連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局情報課長を務め、対日メディア政策を統括。GHQ解消後、米陸軍に移籍したが、匿名の告発で、過去の日本の左翼系知識人らとの交際などが「国家安全保障上の利益に反する」とされた。
議事録は、ブラウン氏の代理人の弁護士トーマス・ブレークモア氏(一九一五−九四)が保管。ブレークモア氏が死後に日本に残した文書類の中から、占領史研究家の笹本征男さん(59)=東京都世田谷区=が見つけた。
議事録によると、聴聞会は五四年四月二十七日に座間基地内で、在日極東軍司令部の安全保障聴聞委員会が開いた。(1)GHQ情報課長当時、新聞や雑誌の用紙割り当てで共産主義寄りの出版物に便宜を図った(2)共産主義者、同調者と交際があった−などの告発事実を告げ、尋問が始まった。
交際相手には、女性の新しい生き方を中心とした評論活動をした石垣綾子氏ら日本人三人や、GHQ民政局次長として憲法草案をとりまとめたチャールズ・ケーディス氏、「ニッポン日記」の著者として知られるジャーナリストのマーク・ゲイン氏らが挙げられた。
ブラウン氏は「用紙割り当ては日本人の委員会が決め、自分たちには割当量に介入する権限はなかった」などと激しく反論。石垣氏らとの特別な交際も強く否定した。
告発を裏付ける事実は乏しく、議事録には審査結果の記録はなかったが、疑惑は晴れたとみられ、ブラウン氏は五〇年代後半まで在日極東軍に勤務。その後も日本に滞在し、七十四歳で亡くなった。
■古矢旬・北海道大教授(米政治外交史)の話 日本で赤狩りの聴聞会が行われていたとは初耳。米国の研究家にも知られていない貴重な史料だと思う。一九五四年は、マッカーシー上院議員が「陸軍にも『アカ』がいる」と攻撃した時期で、米陸軍省は外部の介入を避けるため、組織防衛として内部で忠誠審査をしたのではないか。
■米国の「赤狩り」 東西冷戦下の米国で猛威をふるったリベラル派などへの思想弾圧。米議会上院と下院に調査委員会が設けられ、大学、研究機関、映画界などで多数の学者、芸術家らが「共産主義者」のレッテルをはられて追放された。ジョセフ・マッカーシー上院議員の活動が有名で「マッカーシズム」と称された。1954年末、上院が同議員への非難決議を可決するなどして終息した。
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20040329/mng_____sya_____010.shtml