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C型肝炎の感染拡大を招いたといわれる、GHQ(連合国軍総司令部)が日本の全国民に強制した天然痘の予防接種「種痘」の真の目的はどのようなものだったのか検証した。
肝臓がんの死亡率を都道府県別で調べたところ、西日本地区の死亡率が明らかに高いことがわかり、この結果は、C型肝炎患者が西日本地区に多いことを裏付けている。
C型肝炎の感染爆発が起きたとされる1940〜1950年代、日本は戦後の混乱期にあった。特に西日本地区の港は、海外から連日、引き揚げ者が殺到していて、その港の位置は、肝がんの死亡率が高い地域と重なり合っていて、当時の記録によると、引き揚げ者たちからさまざまな伝染病が発生していた。
特に天然痘は感染力が強く、高熱と豆粒状の疱疹(ほうしん)が表れ、死亡率はおよそ30%と恐れられていた。
このころ、日本の公衆衛生を管理していたのは、GHQだった。GHQは、どのような天然痘の対策を取ったのか。
第2次世界大戦後の外交文書が保存されているメリーランド州のアメリカ国立公文書館にある膨大な資料の中から、当時GHQが日本政府に命令した記録文書を発見した。
その記録文書には、「日本政府は直ちに、下記の天然痘対策を取ること。ホテル、休憩所など、連合軍のために運営されているすべての施設で働く日本人全員への種痘。天然痘が報告されている全地域の市民への種痘」と記されていて、この命令は、1946年1月16日の日付で出され、直ちに実行に移された。
種痘は注射器を使用せず、「ランセット」と呼ばれるメスのようなもので、肩の皮膚に傷をつけてワクチンを接種する。
もし、血液が付着したランセットを連続使用すれば、C型肝炎ウイルスの感染が起こると考えられる。
1946年から引き揚げ港のある佐世保で、医療監督者の任務についていた元GHQ軍医のジョン・エックバーグ氏(83)は、「(器具を使い回した)可能性はあるが、わたしの知る限り、器具は変えていました。そうでなければ、1人の患者から次の患者に感染してしまう可能性があるので、日本人に注意するはずだからです」と話した。
ランセットの連続使用を否定したエックバーグ氏だが、彼はあくまでGHQの監督者で、自ら種痘を行ったわけではなかった。
そこで、終戦当時に種痘を行った佐賀に住む嘉村 修医師(93)に話を聞くと「(種痘は)血が染み出るくらいの程度だとよく言われます。(ランセットを1人ずつ替えることは)あまりなかったなあ。受ける方は(腕を)消毒して待っているわけなんだけど、こちらの方は、どんどん植えていったわけですから。『ダーッ』と並んで、『はい次、はい次』と...」などと話した。
ランセットを連続使用していたと明言する嘉村医師は、当時のビルマで終戦を迎え、日本に引き揚げてすぐに、GHQの命令で種痘を行ったという。
GHQは、日本政府にまず、引き揚げ港のある西日本周辺で重点的に種痘を行わせ、その後、全国に対象を広げていった。
歴史学の権威であるフレッチャー大学院のジョン・ペリー教授は、当時の占領政策を「日本人が感染したら、接触する米軍にも感染してしまう。だからGHQは、日本の国民の健康や福祉に感心を持った。これは、人道的な問題である一方、安全保障の問題だった」と語った。
当時からアメリカでは、集団での予防接種はなく、個人個人が診療所で接種を受けるのが常識だったが、GHQは、日本では効率を優先させて、大勢を1カ所に集め、集団予防接種を行わせた。
以後、この方法は日本に定着し、1980年代まで連続注射「回し打ち」が行われる環境をつくった。
肝臓病専門医である東京女子医大講師の長谷川 潔医師は、集団予防接種について「かからなかった人っていうのは、予防したからかからなかったというわけじゃなくて、単に、運が良かっただけである」と指摘した。
多くの日本人が肝炎ウイルスに感染する危険があった集団予防接種の回し打ち。その原点は、GHQの占領政策にあった。
http://www.fujitv.co.jp/index2.html