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神浦 元彰氏のホ−ムペジ「軍事通信員報告」http://www.kamiura.com/report.htmlを覗いていたところアカデミ−賞ドキュメンタリー部門でノミネートされ,その後オス カーを受賞した「Fog of War」とマクナマラ元米国防長官に関する記事が出ていましたので
投稿します。
-ボストン通信員(ボストン近郊在住)
神浦さんへ: ボストン近在の00という者です.
今を去ること59年前の1945年の3月,日付が9日から 10 日にかわった直後,東京の下町は米軍のB29爆撃機を主体とする焼夷弾中心の絨緞爆撃を受けました(いわゆる東京大空襲)。当夜の空襲による死亡者は10万人を超えると推定され,現在墨田区横網2丁目にある東京都慰霊堂は( http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=70&mode=detail ),関東大震災における陸軍被服廠跡界隈での犠牲者と当該空襲の犠牲者を併せて慰霊するために昭和26(1951)年に設けられたものです。
ところで,2月8日付の「Re:メールにお返事」のコーナーで,米映画「Fog of War」についての質問が掲載されていました。御存知の通り,この映画は今年の米映画のアカデミー賞のドキュメンタリー部門でノミネートされ,その後オス カーを受賞しました。ノミネート直後の1月31日,読売新聞のウェッブ・サイトに同社の寺田正臣記者による当該映画の主役であるマクナマラ元米国防長官へのインタヴュー記事が掲載されています(『原爆投下必要だったと思わない…マクナマラ氏に聞く』: http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040131i301.htm [既に有料化でアクセス不可?])。ちなみに,元防衛庁官僚の太田述正氏のコラム(メイル・マガジン: http://www.ohtan.net/column/index.html )の常連の方は,昨春カンヌ映画祭に当該映画が出品された頃,彼の3回シリーズのコラム,「マクナマラの悔恨」で
http://www.ohtan.net/column/200305/20030530.html
http://www.ohtan.net/column/200306/20030606.html
http://www.ohtan.net/column/200312/20031221.html
こ の映画が取り上げられていたことを記憶されていると思います。この映画は元々商業的成功を企図したものではないので,アメリカでの公開は,普通の映画館で はなく,大都市に展開している独立系映画専門チェーン等で上映されるに止まっています。わたしは近所の独立系の名画座で1月末日の公開初日に観ました。上記J−RCOMコーナーで触れられていたように,映画の大要は当該映画の公式サイトで( http://www.sonyclassics.com/fogofwar/ )見れます.当該映画でマクナマラ元米国防長官が主張する11の教訓とは,
Lesson #1: Empathize with your enemy
Lesson #2: Rationality will not save us
Lesson #3: There's something beyond ones's self
Lesson #4: Maximize efficiency
Lesson #5: Proportionality should be a guideline in war
Lesson #6: Get the data
Lesson #7: Belief and seeing are both often wrong
Lesson #8: Be prepared to reexamine your reasoning
Lesson #9: In order to do good, you may have to engage in evil
Lesson #10: Never say never
Lesson #11: You can't change human nature
です。映画館内の観客を見回してみると,私以上の年齢でヴェトナム戦争をリアル・タイムで知っている中年以上の世代だけでなく,10代,20代の客もそれな りにいました.米国人の観客にとって,彼の口から生の声で聞きたい最大の関心事は,多数の戦死者を出しながら勝利できなかったヴェトナム戦争における彼の 省察や懺悔であり,そのような事柄が映画の中心というのが私の事前予想でした。
このような事前予想に一部反して,マクナマラ氏が明らかに 個人的感情がこもった悔恨を示しているのはヴェトナム戦争の部分ではなく,日米戦争中の日本の諸都市への無差別爆撃でした。11の教訓の中,5番目のもの は彼が日米戦争中一将校として関与した体験に基づくものです。東京大空襲を始めとする日本の諸都市への爆撃(原爆投下を含む)を細かく追った映像が挿入さ れるなど(日本の各被災都市とそれとほぼ同サイズの米都市名,被災率などを早回しで送るなど)それなりの時間が割かれていて,この体験が彼にとって未だに 何か蟠りがあるものと推量されました。更に,日米戦争中,彼の上官であったカーティス・ルメイ将軍とのやりとりを回顧したくだりでは,将軍自身が生前述べ ているように,「もし米国が当該戦争で敗者になっていれば自分が戦争犯罪人として裁判にかけられていたはず」という認識があったことが触れられていました (ルメイ将軍は,日本都市への無差別空爆との絡みで,「全ての戦争は不道徳であり,もしそれが気になるようでは,良い兵士ではない」と言い切っています: http://www.pbs.org/wgbh/amex/bomb/peopleevents/pandeAMEX61.html )。
こ のようなマクナマラ氏の日米戦争とヴェトナム戦争における対照的な立場のとり方,すなわち,普通の米国人が正当化できると信じ切っている日米戦争につい て,なぜ彼が戦争犯罪云々と懺悔し,多数の米国人が後知恵的に軍事的介入を後悔しているヴェトナム戦争について,なぜ彼が個人的な悔恨を示さなかったの か?について,アメリカ人は多分に肩透かしを食らった・裏切られたような気分になったのか,太田氏の上記コラム中で紹介されている米国人の記事の中には, マクナマラ氏が未だに往生際悪く国防長官時代の足跡についてあれこれ糊塗していると断罪しているものがあります(ウェッブ雑誌Slate掲載のFred Kaplanのもの: http://slate.msn.com/id/2092916/ )。このような対照的な立場について,太田氏は上記の3番目のコラムの中で彼の謎解きを披瀝しています。
国防長官時代のマクナマラ氏のヤヌス的スタンス,即ち,ケネディ政権末期においては南ヴェトナムからの撤兵を支持していたにもかかわらず,その後積極的軍事介入を忠実に執行,ところが戦争最中にジョンソン大統領と意見不一致で実質罷免的辞任,長官を辞めたにも関わらず,ニクソン政権になってもヴェトナム問題について積極的に発言しなかったという一連の謎については,この映画は答を提示していません。彼のコメントから推測すると,未だ公に出来ない国家機密や当 時の政権幹部同士の庇い合い・保身が未だ残っているようにも窺われました.また,国防長官時代,日米戦争中の上官であり,強烈な個性で内外共に知れ渡って いたルメイ将軍が空軍参謀総長に就任していて,このような立場の逆転がキューバ危機等の冷戦の真最中において,彼にどのような影響を及ぼしたのか(上記 Kaplan氏の記事中で指摘されているキューバ危機中における豹変[外交による解決からキューバ空爆への変化など]),というような点は映画で問い質さ れていません。
マクナマラ氏を60年代のリアル・タイムではなく,David Halberstamの"The Best and the Brightest"(邦訳:『ベスト&ブライテスト』)等の批判的著作を通して知った若い人々にとって,彼自身から過去の仕事についての説明を聞くと, また違った印象を受ける(価値判断は別として,それなりの一貫性が見出せる)のではないかと思います。第2次大戦以降のオペレーションズ・リサーチ (OR)の発展の歴史を見ればわかるように,今日の我々にとって常識化し,色褪せてしまったきらいのある「組織における,勘や思い込みではない,より客観 的なデータ収集に基づいた合理的意思決定過程・思考」というものは,今から半世紀以前の日米開戦の頃において,必ずしも常識化しておらず,未適用の分野が 多数存在しました(故堀栄三氏の「大本営参謀の情報戦記」が日本側の未適用の分野を例示していると思います)。そのような間隙分野のいくつか(独・日への 空爆,自動車衝突事故対策)で壮年時代のマクナマラ氏は彼持ち前の数量的才能を発揮したと言えます。もちろん,その後の歴史が示しているように,より客観 的データの収集や合理的手続きが,目的設定時における錯誤を補正・救済するものでもなく,また,感情を持った生身の人間の意思決定においては合理性では割 り切れない部分が多分に存在することが明らかになっています。Halberstam氏は,第2次世界大戦後の米国の2大失敗,(1)米自動車産業の競争力 の低下[マクナマラ氏は国防長官就任前はフォード自動車会社の社長],(2)ヴェトナム軍事介入での敗退,の双方に関係したクナマラ氏の「罪」の部分を厳 しく指摘してきました。私は「罪」を「功」と抱き合わせ(「罪」の前提としての「功」)で解釈しなければ,マクナマラ氏を含めたOR第一世代の限界・蹉跌 の全体像を把握できないのではないかと考えています。すなわち,かつての「功」が災いして後の「罪」を誘引する一因となった,「功」からの教訓抽出におい て誤りを犯した,あるいは経営学等で論じられている「学習棄却( unlearning )」が適切に行われなかったと見るべきではないか,ということです。
映画上映中,マクナマラ氏がヴェトナム戦争を振り返り,「単独行動主義は絶対駄目だ」と見得を切ったところでは,第2次イラク戦争という時局を反映してか, 観客の中から拍手が湧き上がりました。アメリカのMAZON.COMの情報では,今年5月11日に当該映画のDVD版が発売される予定です。
では,情報提供まで。
(神浦・・・懐かしいですね。昨年のイラク戦争の時を思うと、まるで銃弾の下をともにくぐった仲のようにメールを読みました。あのときは貴重な情報をありがとうございました。今は感謝の気持ちで一杯です。これからもよろしくお願いします。私が以前、米国のいろいろなベトナム戦争の指導者を取材したとき、なぜか当時のマクナマラ氏だけは取材を断りました。一度、マクナマラ氏に会っていろいろ聞きたいことがあります。)
http://www.kamiura.com/report.htm
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マクナマラのプロフィールについては、…
ハーバード大準教授から太平洋戦線に駆り出され、第2次大戦後、フォード社に入り、シートベルト普及の立役者等として活躍、社長に就任、 61年のケネディ政権発足とともに国防長官となり、次のジョンソン政権まで7年間在職、キューバ危機、ベトナム戦争に深くかかわり、68年から13年間、世界銀行総裁も務めた95年に出版した回顧録では、「ベスト&ブライテスト」と言われたエリート集団がなぜベトナム戦争を間違った方向に導いたかを当事者として暴露し、大きな話題を呼んだ。
マクナマラ回顧録―ベトナムの悲劇と教訓
ベトナム戦争は誤りだった。ケネディ、ジョンソン政権の国防長官として戦争を指揮した著者が、30年近い沈黙を破ってついに語った世紀の告白。当事者ならではの生々しい証言、未公開資料、極秘電報などで、アメリカが泥沼の戦争に入り込んだ経緯を再現しつつ、21世紀への教訓を探る。全米騒然のベストセラー。
04年1月31日付読売新聞のインタビュー
「原爆投下が必要だったとは思わない。賢明な選択ではなかった。ただ、戦争では、国の上層部がすべての動きを把握しているわけではない。これは私の強い印象だが、原爆投下決定を下したトルーマン大統領、マーシャル陸軍参謀総長、スティムソン陸軍長官の3人は、3月の激しい空爆で日本各都市がいかに大きな損害を受けたかを詳細に知らなかったのではないかと思う。原爆投下がなければ核競争の時代の到来は避けられたし、北朝鮮の現在の問題も起きていない」
http://tokeisopassion.jugem.cc/?eid=15