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改憲論議によせて 内田雅敏さんに聞く [SENKI]
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/231.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 11 日 20:32:30:dfhdU2/i2Qkk2
 

――イラクへの自衛隊派兵が強行される中、派兵推進派からも派兵反対派からも改憲論議が高まっています。本紙も憲法問題を特集してきたわけですが、護憲派を代表する弁護士の内田さんとしては、憲法をめぐる現在の情勢をどのように見ていますか。

■国境警備隊は必要だが

★『SENKI』での議論を読んで思うことは、自衛隊を解体・縮小して軽武装の沿岸警備隊・国境警備隊に再編していくという考え方はいいと思います。軍隊は持たないにしても、警察活動は絶対に必要なわけだから。しかしここでは反戦派の憲法論議が前提とすべき点をいくつか言わせてもらいます。

 まず自衛権について。自衛権の中身について触れていないのには不満が残りました。自衛権の中味については、現行憲法の解釈として3つの見解があります。1つは憲法9条は自衛権をも放棄しているという見解。2つ目は、自衛権は放棄してはいないが、武力による自衛権の行使は認めていない。3つ目が、武力による自衛権も認める。

 国家の基本権として自衛権があるとしても、武力による自衛権の行使は認めない。これは1つの哲学です。1931年からの15年戦争を経験した日本は、「もう戦争はこりごりだ」と武力による自衛権の放棄を選択したというのが僕の考えです。戦後50数年の中で、何度も憲法9条を変えようという動きがありました。しかし、その度にそれが阻止されてきたのは、まさに平和憲法が広く日本国民に受け入れられ、根付いてきたからではないか。そうした方向性に従って、僕は武力によらない自衛権の行使を指向するべきだと思う。『SENKI』も論じている人間の安全保障という考え方です。

 「国際貢献が大いに必要だ」という意見にも賛成です。問題は国際貢献をどういう形で行うかです。様々な紛争がありますが、その原因の根本には、南北問題や貧困が存在します。たとえ国連憲章に基づく行動であったとしても、果たして武力行使が本当に紛争の解決になるのかどうか。問題は残ります。

 国連が決議した場合には日本も積極的に関与する、場合によっては武力も行使すべきだという考え方があります。だが果たして日本は、そうした方向に一挙に進んでいいのかどうか。僕はそれを一番疑問に思う。なぜなら今の日本には、教科書問題があり、小泉首相の靖国参拝の問題がある。過去の戦争責任の問題、植民地支配の問題は全く克服されていません。そうした問題がアジアの人々との関係で真に清算されないかぎり、たとえ国連決議があったとして日本には自衛隊を派兵する資格がないと思う。

 「国際貢献は大いに必要」という誰も否定できない議論と、「国連の決議があれば自衛隊を出さなければならない」という議論を結びつけるのは、あまりに短絡的な気がします。『SENKI』での議論を読んでいると、決してそうは言っていないと思うのですが、そういうふうに短絡的に見られる危険性があるんじゃないか。

――たとえ国連決議があってもケース・バイ・ケース、是々非々で対応する。PKOに参加する場合でも自衛隊ではなくPKO専門の国連待機部隊を派遣して警察的役割をはたすのがいいのでは、というのがブントの基本的な見解なのですが。

■戦争責任の清算が前提

★その場合でも僕は、歴史認識の問題が極めて重要だと思う。今から10年近く前に総理大臣や大統領をやめた人たちが集まってOBサミットというのが開かれました。その時の議長はドイツのシュミット元首相。このOBサミットで、ドイツも国連常任理事国入りすべきだという意見が出た。その時、シュミット氏は議長であったにも関わらずわざわざ発言を求めて、「ドイツは常任理事国入りをすべきではない」と言った。なぜか。

 当時はまだ冷戦崩壊直後ですから、例えば東欧に混乱が起きた時、国連決議で軍隊を派遣することになったら当然常任理事国であるドイツも軍隊を派遣しなくてはならない。しかしそうするとかつてのナチスの悪夢との体験から東欧諸国の人々との間に軋轢が生じる。逆にもし軋轢が生じなかったならばそれはもっと大変なことになる。戦後の50年間ドイツがやってきたことは一気に崩れてしまう。ドイツが常任理事国入りするのはまだまだずっと先でいいと、シュミット氏は議長だったにも関わらず、あえてそう発言した。僕はそれが非常に印象に残っています。

 日本社会が戦後補償や戦争責任といった歴史認識の問題を克服し、本当にアジアの中の一員として認められる社会になった場合に初めて、日本は国際貢献について国家として積極的に関与する資格を手にすることができる。その際、場合によっては自衛隊も出すという時代が来るかどうかは分からない。けれども今はまだ戦争責任の問題すら解決していません。自衛隊を出すなんてとんでもないことです。

 むしろ国際貢献という点では、NGOなどで様々な国際支援活動を行っている人たちがいっぱいいます。そういった民間の人道支援活動を、日本社会あるいは日本国家が積極的に支援すること、これが国際貢献の1つのあり方です。

 またドイツの話ですが、2001年ワイゼッカー前大統領が委員長をつとめるドイツ国防軍改革委員会は、「歴史上はじめて隣国すべてが友人となった」という報告書を作っています。ドイツは試行錯誤しながら、ナチスの戦争責任・戦争犯罪に対する謝罪と償いを積み重ねることによって、ヨーロッパの一員として認められた。その結果「ヨーロッパ共同の家」が実現しつつあると。この言葉も非常に印象に残っているのです。

 ドイツのように日本が、戦争責任・戦争犯罪の問題についてアジアの人々に納得できる解決ができたとき、初めて東北アジアあるいは北東アジアの「共同の家」が実現できる。しかし今の日本は、とてもそこまで達していません。

――「東北アジア共同の家」に異論はありませんが、憲法9条がありながら、なし崩し的に自衛隊の海外派兵は拡大し続けています。9条護持を掲げる護憲運動は、そうした動きを全く止められていない。

★保守勢力は、無茶苦茶な解釈改憲を続けてきました。確かに9条は解体されつつあります。けれども、9条自体が果たしてきた歯止めの役割を無視することはできません。もし9条がなかったら日本はベトナム戦争に参戦していたでしょう。自衛隊がベトナムに派兵され、殺し殺される事態になっていたに違いありません。

 もちろん僕は、9条護憲だけを言っていればいいとは思っていません。現実に存在する紛争の解決に向けて、どういう手当を講じていくのか。そういう新たな安全保障の問題について考えていく必要があると思っています。人間の安全保障・武力によらない安全保障を考えたい。

 先日、ある学者の次のような議論を聞いて、目から鱗が落ちる思いがしました。いま日本は、ミサイル防衛網を形成するなどして北朝鮮を封じ込めようとしています。しかしヨーロッパにおいて東欧が崩壊し冷戦が終わったのは、国境を閉鎖しなかったからです。逆に国境を開いた結果、東欧諸国から大量の難民が流出し、それが東欧諸国崩壊のきっかけとなった。北朝鮮に対しても国境を開けば、金正日体制のなかで呻吟している人達が出国してくる。北朝鮮内部の民主化運動も活発になる。北朝鮮から出てくる大量の亡命者・難民に対処するために周辺諸国の負担は大きくなるでしょうが、ミサイル防衛網にかかる5000億円という負担と比較すると、どちらが経済的に安上がりかという議論です。こうした考え方がまさに人間の安全保障です。

――「人間の安全保障」といっても、実際の紛争地域でそれを実施するためには、ある種の強制力、警察的な機能を内包する以外ないと思うのですが。

■進む安保の攻守同盟化

――憲法9条が天皇制とセットであるという問題についてはどうですか。

★9条自体が天皇制の問題とセットで出てきたというのはその通りです。9条は、天皇制の戦争責任を覆い隠す「イチジクの葉」の役割を果たしてきたという面は確かにあります。ですから9条と天皇制の問題との関連を訴えていくことは必要です。

 しかし国会の憲法調査会の議論では、天皇制論議なんてほとんど行われていません。憲法調査会は、あたかも新たな発見をしたかのように「アメリカの押しつけがあった、あった」と半年以上議論していました。アメリカの押しつけは明々白々な事実ですが、現在の改憲の動きも元を正せばアメリカから出てきたものです。今やこの「押しつけ改憲」の方が問題なのです。

 例えば、2000年10月のアーミテージ・リポート(「米国と日本成熟したパートナーシップへ」)は、「日本の集団自衛の禁止は、同盟国としての協力に制約となっている。この制約を除去することによって、より緊密で効率の高い防衛協力が可能となる」と言っています。日米関係を米英同盟に近い軍事同盟にしなくてはならない。そのために、9条の「集団自衛の禁止」を見なおさなくてはいけないとアメリカは主張しているのです。

 2001年6月15日付けの『朝日新聞』の「私の視点」でジェームス・アワーという国防総省の元本部長は、こういうことを言ってます。「現在の日本は人為的な解釈に縛られて『柔軟性を欠いた防衛力』しか行使していない」。だが「日本の自衛隊はP3C対潜哨戒機、F15戦闘機、イージス艦というハイテク兵器をもっている。これらは『後方地域支援』に使われるべき装備ではない。日本の防衛を『日本周辺』と地域的に限定するのは無理がある」と。同じ年の8月30日、マービン・オットというアメリカ国立戦争大学教授も同じく「私の視点」で次のように論じています。「日本と米国は、東南アジア、南シナ海での共通の国益を確認し、それを守る共同戦略を練り上げる必要がある。作業が本格化すれば、日本は集団的自衛権の問題に、果断に取り組む必要が出てくるだろう」と。これらはすべて2001年9月11日の同時多発テロの前の話です。

 この年の3月23日付の自民党国防部会文書を読むと、アーミテージ・リポートそのままなのです。まず集団的自衛権の問題を見直す。さらに、日米安保体制の強化のために、日米の防衛技術協力・武器禁輸三原則の見直しを行う必要がある。今まさにその通りの事態が進んでいます。自民党は、武器禁輸三原則を見直し、さらに非核三原則の見直しまで言い始めています。

 9月11日の同時多発テロがあろうがなかろうが、こうした流れは一貫したものです。冷戦が終わってアメリカは、日本に軍事的な補完の役割を果たさせようとしています。イージス艦は、最近スペインが一隻保有しましたが、複数保有しているのはアメリカと日本だけです。イギリスもフランスも持ってない。自国の防衛のためだけなら、イージス艦のような極めて高い攻撃能力を持つ装備は必要ないからです。日本の自衛隊がイージス艦を4隻も保有しているのは、世界で戦争する米軍を支援するためなのです。

■日本は未だ米国占領下

――集団的自衛権に道を開くような改憲には絶対反対です。

★今の改憲の流れは、まさにその集団的自衛権の壁を突破しようとしています。どんなに憲法解釈をしても、集団的自衛権を認めるような解釈は不可能です。自衛隊法も第3条(自衛隊の任務)で、「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務」と定めています。まさに集団的自衛権は認めないということです。

 ところで集団的自衛権という言葉が、日本の法律関係のなかで一番最初に出てくるのはサンフランシスコ講和条約の5条です。サンフランシスコ講和条約は、1条において日本は主権を回復するとし、3条において奄美大島以南を切り離す。要するに沖縄等の占領継続を定めています。6条で、占領軍は遅くとも90日以内に撤退しなくてはならない。ところがこれには、二国間条約を結んだ場合にはこの限りにはあらずと「但し書」がついた。日本とアメリカの二国間条約=安保条約がすでに織り込まれているのです。

 さらにサンフランシスコ講和条約の5条は、日本は個別的自衛権と集団的自衛権を有するとわざわざ規定しています。「お前の国は個別的自衛権を有する。集団的自衛権を有する」なんて、わざわざ規定している平和条約はありません。サンフランシスコ講和条約がわざわざ集団的自衛権にふれているのは、6条の「但し書」=二国間条約と結びつけて日米安保条約を準備するためです。

 かくして安保条約に基づき、占領軍だった米軍が在日米軍と名を変え、日本の占領状態は継続されることになりました。要するに日米安保条約は、アメリカが日本の占領状態を継続するための条約、つまり占領法なのです。

 しかし憲法9条は、集団的自衛権を絶対に認めていません。日本の戦後においては、「戦争を放棄した憲法9条」と「軍事同盟としての日米安保条約」という、本来相容れない2つの法体系が奇妙に同居してきました。日米安保条約との同居による憲法体系の空洞化の歴史、これが戦後の日本の歴史でした。しかし9条による「集団的自衛権の壁」だけは、どんな憲法解釈をしたところで憲法を変えない限り絶対に超えられない。

 ところが今、日本を占領状態においてきたアメリカが、今度は日本は集団的自衛権の問題を見直せと言ってきています。これは日本の自衛隊を米軍の一部に組み込み、極東の範囲だけではなくて世界中で日米同盟軍の軍事行動ができるようにするためのものです。集団的自衛権を認めてしまうと、米軍の世界戦略に日本の自衛隊が完全に組み込まれてしまいます。

■9条をどう実現するか

――憲法9条と日米安保条約が「相容れない法体系」というのはどうでしょうか。世界の多くの人々は、「日本は日米安保でアメリカに守られているから、憲法9条・戦争放棄なんて言っていられる」と思っています。むしろ象徴天皇制と9条、そして日米安保という3つが全部セットになって、戦後日本の対米追随が続いてきたのでは?

★ただね、9条成立時とサンフランシスコ講和条約締結時では情勢が違うのです。憲法制定は1946年の11月3日です。この時点では日本は、本当の意味における軍事的空白下にありました。日本というか沖縄を切り捨てたヤマト。当時アメリカは、ヤマトを軍事的空白状態にすることを本気で考えていたと思います。なぜかというと、当時のアメリカのアジア戦略は米中同盟でした。アメリカは中国と同盟してソ連に対抗する。この場合の中国は蒋介石政権です。だからヤマトは軍事的空白状態にしてもいい。そのかわり沖縄を永久的に軍事要塞化する。そうした戦略がアメリカにあった。

 ところがサンフランシスコ講和条約が締結されたのは51年(昭和26年)です。この時点では49年の中国革命によって米中同盟は破れています。それでアメリカは米中同盟から米日同盟に戦略を見直した。アメリカはヤマトをも軍事的な占領状態におくことを必要とするようになった。そこで日米安保条約が構想され、サンフランシスコ講和条約の5条、6条の問題が出てきたわけです。

 憲法制定時と日米安保条約締結時では、アメリカの戦略が違っているのです。ヤマトに関してだけですがね。だから全く最初から相容れない2つの法体系の同居が構想されていたわけではなかった。そういう意味では、憲法9条というのは、さっきも言ったように天皇制の戦争責任を覆い隠す「イチジクの葉」であると同時に、沖縄の切り捨ての上に成立したというのは歴史的事実です。

――一国平和主義以前に9条には「沖縄切り捨て」という問題があるわけですね。

★「一国平和主義」なんて言葉を軽々しく使ってはいけません。沖縄について言えば切り捨てられた沖縄の痛みを、戦後護憲運動はどれだけ共有化してきたでしょうか。沖縄切り捨ては、9条のもつ陰の部分です。またサンフランシスコ講和条約14条で日本は戦争賠償を免除されました。日本の再軍備と日米安保条約の締結と引き替えにです。その結果、日本の戦争責任・戦争犯罪が曖昧化されてしまった。そういった9条をめぐる歴史的な問題をきちんと認識し、それを克服していかなければなりません。僕は個人的には、そうした9条をめぐる歴史認識の問題をきちんとおさえた上で、戦争責任の問題、戦後補償の問題が解決できたなら、専守防衛の範囲内での必要最小限度の実力組織、沿岸警備隊・国境警備隊をもってもかまわないと思います。

 国際紛争については、その根本には、富の不公平の問題、貧困といった様々な問題があります。その問題にメスをいれていかなければ抜本的解決にはなりません。いま軍事費として使っているお金をそうした問題を解決するために使う。経済的にもそのほうがはるかに安上がりです。ところが、戦争で利益を得るグループがいるのです。エネルギー産業や軍事産業です。ブッシュはそうした勢力に寄っかかって戦争を続けています。そうしたことを見直していかないと、憲法だけを論議したところで何の解決にもならない。

 「9+25」という運動を知っていますか。9は憲法9条、25というのは憲法25条の生存権、9条と25条とを結びつけようという運動です。また憲法の前文には、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という条文もあります。確かに9条だけを後生大事に守っていれば、何か実現できるというものでもありません。9条は9条だけでは守れない。実現できません。

 憲法には3つの原理があります。主権在民と戦争放棄と基本的人権です。基本的人権と主権在民が守られて初めて9条の理念は実現できます。逆にいえば、9条の理念を実現するということは、基本的人権を実現し、主権在民を実現するということなのです。

(2004年3月5日発行 『SENKI』 1137号3面から)

http://www.bund.org/interview/20040305-1.htm

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