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こんなニュースが飛び込んできた。
陸自、医療支援活動を開始=サマワ総合病院に医官−イラク復興、感染症対策で協力
防衛庁は19日、イラク南部サマワで活動している陸上自衛隊の派遣部隊の医官を同日、サマワ総合病院に派遣し、医療分野での人道支援を始めたと発表した。初めてのイラク人道支援活動となる。
陸自先遣隊がサマワ入りして1カ月、活動の拠点となる宿営地の建設が続いているが、防衛庁は現地からの医療支援に対する要望が強いとして、支援活動を前倒しでスタートさせた形だ。
部隊に所属する医官3人のうち2人が交代でサマワ総合病院の症例検討会に出席し、最新の医学的知見を伝達する。医官が直接に患者を治療する機会はない。
現地では小児を中心に肺炎やコレラ、赤痢などの感染症に対する医療対策が急務となっている。イラク人医師の技術レベルも高水準とされるが、陸自医官の最新の医学的知見を治療に役立ててもらう方針。 (時事通信)
[2月19日17時1分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040219-00000843-jij-pol
「小児を中心に肺炎やコレラ、赤痢などの感染症に対する医療対策」と聞いて、看過するわけにはいくまい。
肺炎は、「SARS(重症急性呼吸器症候群)」やペストを連想させる。「SARS」は、生物兵器としての効果が噂され、ペストは、生物兵器として厚生労働省もリストアップしている。
生物兵器テロの可能性が高い感染症について
http://www.mhlw.go.jp/houdou/0110/h1015-4.html
コレラ菌(Vibrio cholerae)も、赤痢菌(Shigella dysenteriae、死亡率は低いが)も世界中で生物兵器として研究されてきたものである。
http://wg-biz.com/spider/ex-seibutu-h.htm
なかでも、日本軍の七三一部隊は、これらの細菌兵器を使って、残虐な人体実験を行っていたことで知られている。七三一部隊は、ペスト菌、コレラ菌、赤痢菌をマルタと呼ばれる人々に感染させる実験を行っていた。
日本軍による人体実験
2. 何が行われたか
日本軍によって行われた人体実験(生体を用いた殺人的実験)には、次のようなものがあります【詳細については、テキストおよび参考図書を参照】。
(1) 手術の練習台にする
(いわゆる「手術演習」。生きた人を使って戦傷などの手術[虫垂切除、四肢切断、気管切開、弾丸摘出など]の練習をして殺す)
(2) 病気に感染させる
(ペスト、脾脱疽【炭疽】、鼻疽、チフス、コレラ、赤痢、流行性出血熱など。その目的は、未知の病原体を発見するため、病原体の感染力を測定するため、感染力の弱い菌株を淘汰し強力な菌株を得るため、細菌爆弾や空中散布の効果を調べるため、など、さまざま。被験者は死後に解剖されたり、感染確認後に生きたまま解剖されて殺されました)
(3) 確立されていない治療法を試す
(手足を人為的に凍傷にしてぬるま湯や熱湯で温める[凍傷実験]、病原体を感染させて開発中のワクチンを投与する、馬の血を輸血する、など)
(4) 極限状態における人体の変化や限界を知る
(毒ガスを吸入させる、空気を血管に注射する、気密室に入れて減圧する、食事を与えずに餓死させる、水分を与えずに脱水状態にする、食物を与えずに水や蒸留水だけを与える、血液を抜いて失血死させる、感電死させる、新兵器の殺傷力テストを行う、など)
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/〜tsuchiya/vuniv99/exp-lec4.html
七三一部隊の幹部たちは高額の退職金までもらい、官公庁、大学、製薬会社、自衛隊などに再就職をした。
自衛隊関係では、園口忠男、中黒秀外之、増田美保の名前があがっている。
■自衛隊衛生学校■
園口忠男(731部隊→陸上自衛隊衛生病学校、熊本大)
中黒秀外之(731部隊→陸上自衛隊衛生学校校長)
■防衛大学■
増田美保(731部隊→防衛大学)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/5845/731butai.html
このうち、園口忠男をネット検索してみると、こんな書物がでてくる。
「大東亜戦争陸軍衛生史」陸上自衛隊衛生学校編集
(BN07334520) 東京 : 陸上自衛隊衛生学校, [1968-1969] 9冊
監修:園口忠男, 坪井正人 ; 子書誌あり(1,2,7巻)
ISBN: (3) ; (4) ; (5) ; (6) ; (8) ; (9)
著者標目: 陸上自衛隊衛生学校
分類: NDC8 : 394 ; NDC6 : 394 ; NDLC : SC28 ; NDLC : GB544 件名: 軍医学 ; 太平洋戦争(1941-1945)
医学・衛生
1.軍陣防疫 / 北条円了[ほか著] ; 陸上自衛隊衛生学校編集. -- 陸上自衛隊衛 生学校, 1969. -- (大東亜戦争陸軍衛生史 / 陸上自衛隊衛生学校編集 ; 7)
2.戦傷外科総論 : 軍陣外科的活動 / 出月三郎[著] ; 陸上自衛隊衛生学校編集. -- 陸上自衛隊衛生学校, 1969. -- (大東亜戦争陸軍衛生史 / 陸上自衛隊衛 生学校編集 ; 2)
3.陸軍衛生概史 / 金原節三, 大塚文郎[著] ; 陸上自衛隊衛生学校編集. -- 陸 上自衛隊衛生学校, 1971. -- (大東亜戦争陸軍衛生史 / 陸上自衛隊衛生学校 編集 ; 1)
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/001202kiyono.html
次に、陸上自衛隊衛生学校校長だった中黒秀外之を検索すると、以下の記事。
北海道立衛生研究所報(No11)
研究報告・調査報告・ノート
所報No.11 1960 「エゾ熱に関する調査研究」飯田広夫・奥原広治・中黒秀外之・近藤正文・松本 茂・岩永俊一郎・兵藤矩夫
http://www.iph.pref.hokkaido.jp/Kankobutsu/Shoho/11.htm
防衛大学に就職した増田美保にいたっては、ペスト感染の実行部隊の中心人物だった。
細菌戦による常徳のペスト被害
1、一九四一年一一月、湖南省常徳市(当時常徳県、以下旧称を用いる)でペストが発生し、翌年になって市街地(県城)のみならず、農村部と桃源県に波及した。一九四一年以前、これらの地域でペストが発生した歴史事実はない。
同年一一月四日、七三一部隊の航空班[ 増 田 美 保 ]少佐が操縦する九七式軽爆撃機から、ペスト感染ノミとそれを保護する綿・穀物などが投下され、県城中心の関廟街・鶏鵝巷一帯、および県城東門付近に落下した(次頁の地図参照)。
投下されたノミが直接人間を噛んだことから、常徳のペスト流行が始まった。ペストの潜伏期間を過ぎた一一月一二日から、ペスト患者が出始めた。関廟街に住む一二歳の少女(蔡桃児)が最初の犠牲者となった。同人は、広徳病院(長老派宣教病院)に運び込まれ、翌日死亡した。同院の医師譚学華と検査技師汪正宇は、すでに日本軍機から投下された綿や穀物を検査し、ペスト菌に形態学上類似している細菌を発見していたが、同人の解剖の結果、やはり同様の細菌が発見された。
さらに、一一月一三日から一四日にかけて三名の高熱、鼠径腺の腫れなどペストの症状を示す患者が死亡し、いずれも解剖の結果、ペスト菌に類似した細菌が発見された。
http://www.anti731saikinsen.net/shinsou/joutoku/joukyou.html
七三一部隊の残党たちがこんにちの自衛隊の感染症対策の基礎を築いたといっても過言ではないだろう。
こうした七三一部隊の流れを汲む自衛隊の医官たちは、2000年度から、アメリカの生物兵器研究の拠点・米陸軍感染症医療研究所で研修を受けている。
生物兵器への対処・ 防衛庁データベース
http://jda-clearing.jda.go.jp/kunrei/w_fd/2002/honmon/main/at1403020200.htm
感染症対策では、感染者の解剖も行われる。
イラクは、医療設備もない状況である。子どもの数十人くらいが治療を受けられないまま死んでいく国である。
だから、そこでアメリカ軍の医官や自衛隊の医官が子どもたちを医療実験のモルモットとして使い、不要な手術や解剖の対象となって死んでいっても、誰も疑うものはいない。イラクの医師たちも、アメリカや日本の医療に絶大の信頼を寄せており、変わった方法で「治療」や「処置」を行っても、疑われることはない。
すべて闇に葬ることもできる。
しかも、子どもたちの多くが湾岸戦争以降に生まれ、残留した劣化ウラン弾の影響を受けて、母親の胎内で育ち、成長している。日米の軍医たちにとっては、劣化ウラン弾の胎児・小児の成長に対する阻害的な「効果」を調べる絶好の機会なのだ。
イラクの場合はどうだか知らないが、過去の例でいえば、アメリカ軍の司令下で日本の軍事機関が戦争の被害を受けた住民を解剖した場合、次のようになるはずだ。
死んだ子どもたちの遺体は、ずたずたに解剖され、表面の皮と一部の骨だけ残して、臓器はすべてえぐられ、組織細胞は、米日両軍の軍事医学研究機関にバラバラに送られて消えていくことだろう。
以下の記事を読めば、納得できることだろう。
病理標本、米側が独自調査 第五福竜丸事件から半世紀
【ラスベガス(米ネバダ州)8日共同】静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が1954年3月、中部太平洋・ビキニ環礁付近で米国の水爆実験による「死の灰」(放射性降下物)を浴びた事件で、半年後に死亡した無線長、久保山愛吉さん=当時(40)=の遺体の組織の一部が米国に渡り、病理標本となったことが8日、米ネバダ州のエネルギー省(DOE)核実験公文書館に保管されている内部文書で明らかになった。
それによると、久保山さんの組織は、ワシントンの米軍病理学研究所(AFIP)で標本にされ、同研究所と米原子力委員会(AEC、現DOE)の専門家が死因を調査したとされる。
久保山さんの死因をめぐっては当時、「放射能症」と発表した日本側と「輸血による黄疸(おうだん)」と主張する米国側との間で大きな食い違いがあった。(共同通信)
[12月8日19時57分更新]
米放射能人体実験に死産児利用 日英豪からも骨提供か
(米ニュース)
放射能の人体実験で米政府が1950年代から1960年代に
かけて、死産児の遺骨を集めて利用していた米原子力
委員会(AEC)の「サンシャイン計画」で、実験に利用された
のは米国内の死産児だけでなく、日本や英国、オースト
ラリアの病院で集められた遺体も使われていた。
オーストラリア政府は7日、残留放射能の測定のために、
死産児や成人の遺骨が、遺族の許可なしに海外に運び
出されたと認めています。 トルーマン政権下で発足した
AECが、ロスアラモス国立研究所で行った「サンシャイン
計画」は、放射性落下物による被曝効果の調査を目的に
したもので、乳幼児にストロンチウムやヨウ素などを
摂取させ、骨内のカルシウム濃度との関連を調べる
などの実験を行っていました。
http://www.idaten.to/bbslog/b00105.html