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http://www.asahi.com/paper/editorial.html
イラクに大量破壊兵器(WMD)の大規模な備蓄はなかった。米政府の調査団を率いたデビッド・ケイ氏が米議会でそう証言してから約3週間が過ぎた。
WMDの差し迫った脅威を理由に開戦したブッシュ米大統領、ブレア英首相とも批判を浴び、相次いで調査委員会を作った。米大統領選挙にも響きそうな情勢だ。
だが東京では、これを深刻に受け止めまいとする人がいるようだ。開戦の判断の基礎が弱かった事実があったとしても、独裁政権をつぶし、将来の脅威を根絶やしにできた。そもそもケイ氏が戦争は正しかったと言っている。やはり戦争の大義はあった――。そうした日本の政府の言い分を強く支持する有力紙もある。
確かにケイ氏は、イラクがWMDの開発計画まで放棄したわけでなく、将来深刻な脅威となりえたと結論づけた。戦争で世界が安全になったと思うかとの議員の質問には「間違いない」と答えた。
だが、こうした証言を鬼の首を取ったかのように取り上げて、戦争は正しかったと大義をすりかえるのはいかがなものか。
証言が米英両国内に衝撃を与えたのは、戦争を支持するケイ氏でさえ、WMDをめぐる情報が誤りだったことを認めざるを得なかったことの意味の重さなのだ。
脅威に発展する危険があると判断すれば、戦争も辞さない。ケイ氏の主張も、ブッシュ政権の先制攻撃論の文脈にある。だからこそ、危険を判断するための情報に誤りがあれば大変なことになる。ケイ証言が問いかけたのはそのことである。
WMDが見つからないことは、むろん開戦の大義を揺るがせる重大事である。しかし、イラク戦争で本当に問うべきなのは、そもそも先制攻撃論が正しいのか、ということなのだ。
国際法の土台である国連憲章は、自衛の場合と、安保理が承認した場合にしか武力行使を認めていない。数知れぬ戦争を重ねてきた人類が歴史から学んだ知恵だ。
それをねじ曲げればどうなるか。強国がみずからの判断で他の国を危ないと決めつけ、安保理の同意なしに戦争をすることを誰も止められない。それを懸念したからこそ、欧州をはじめ多くの国々が米英による早期開戦に異議を唱えた。
むろん、いまの安保理には能力の限界がある。テロやWMDの拡散、「民族浄化」のような危機に対して、どんな場合に武力行使が許されるのかという基準づくりが必要だ。そうした努力を通じて、米国を国際協調の輪に引き戻していく。これがいま最も求められていることであろう。