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イベリア半島「百鬼昼行図」
最初に、このシリーズの過去の投稿で誤った記述があったことをお知らせし、訂正とお詫びを申し上げたいと思います。
まず、オプス・デイの創始者、ホセ・マリア・エスクリバー・デ・バラゲーについて、『イベリア半島「百鬼昼行図」その4』で
★「2002年は彼の生誕100年で、この年の10月にバチカンは彼を福者(聖者に次ぐ聖人の位)に祭り上げた。」
と書きましたが、これは
☆「2002年は彼の生誕100年で、この年の10月にバチカンは彼を聖者に祭り上げた。」
の誤りでした。バチカンは1992年にすでにバラゲーを福者にしています。それにしても、彼が死んだのが1975年ですから、その27年後の列聖というのは異常な早さ、といえます。
次に、同じ投稿中のLa Gran Inversión」からの引用の部分で、
★prelatura personal(英語ではpersonal prelature)を「私的な高官」と訳しましたが、
☆日本のカトリック関係者の間で「俗人区」と訳されています。
これは意訳でしょうが、この集団が、例えばイエズス会やフランシスコ会などのような修道士の団体ではなく、一般信徒中心にできていてその中に僧侶がいる団体であることから来ているのではないか、と思います。そこで私も今後はこの「俗人区」という言葉を使わせてもらいます。
以上の訂正とお詫びを申し上げます。
ところが、実を言いますと、もう一つ根本的で決定的な間違いを犯してしまった可能性があるのです。それは、『イベリア半島「百鬼昼行図」』シリーズの随所で、オプス・デイやヨハネ・パウロ2世に「保守的」「カトリック原理主義の」という修飾語をつけてしまったことです。私が、その政治的な側面ばかりを追っていて思想内容まで十分に見ていなかったためです。
一般的にはこのカルト集団と現ローマ教皇は「超保守的」というように形容されていることが多いのですが、しかし前回までのシリーズを投稿した後、落ち着いて宗教関係のサイトを調べていくうちに、その性格と成り立ちについてさまざまな疑問が持ち上がりました。またスペイン語の資料の中に、創始者のホセ・マリア・バラゲーはスペインの「改宗ユダヤ人」の子孫であり「かくれユダヤ教徒」である、というものがあります。もちろんヨーロッパにはどこでも根強い反ユダヤ感情があり胡散臭い団体や個人には「ユダヤ的」というレッテルを貼る傾向があるので簡単に受け入れるわけにはいかないのですが、それにしてもこのカルト集団には奇妙な点が多すぎるのです。
つまり、これはとても『カトリック原理主義』などと言えた代物ではなく、『保守的』どころか『カトリシズムからの逸脱』さらに『カトリシズムへの破壊活動』というべきではないのか、その性格と成り立ち自体を考え直さねばならない、と思い始めたわけです。
したがって今回は、このカルト集団の疑惑を持たれる基本的な性格についてお送りします。
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イベリア半島「百鬼昼行図」 その7:オプス・デイはカトリック内の「ユダヤ勢力の代理人」か?
(a)カトリックの変貌
『聖なるロザリオ
いまも昔もロザリオが 強力な武器であることに変わりはありません。 内的戦いに勝利を得るため そして人々を助けるために。 自分の言葉で聖母を称えなさい。 あなたが種を称え 償いを捧げることを神はお望みです。 聖母への麗しい信心と愛のわざによって 世界中に平和と喜びを「ふり蒔かれんことを」。』
これはオプス・デイの創始者であるホセ・マリア・エスクリバー・デ・バラゲー(以降、エスクリバーと略す)自身が1968年に作ったとされる「聖なるロザリオ」という文句である。これだけ見ても、大部分の人にとっては普通のカトリックの坊さんのお説教、としか映らないだろう。しかし、もしカトリックに詳しい、それも1962−65年の第二バチカン公会議以前のカトリックをよく知っている人なら、この中の『自分の言葉で聖母を称えなさい』という個所を見てハッとするかもしれない。
問題は、わざわざ『自分の言葉で』と書かれてある点なのだ。第二バチカン公会議以前のカトリックでは、ミサでの典礼は基本的にラテン語が使われ、子どもでも、ちょうど仏教徒がさっぱり意味が分からなくてもお経を暗記するように、ラテン語の祈りを暗記させられた。また日本の密教と同じように、心と作法は常に一体化し、ある厳格に決まった作法によって精神を高め祈りを深め神秘的な世界に参入することが可能だ、とされていた。聖母を称えるに際してわざわざ『自分の言葉で』が添えられてあるのは、そこに重大な意味があるからなのだ。それは、この公会議でのカトリック教会の変貌を徹底化し根付かせること、である。
第二バチカン公会議(1962−65)とは、それまで独善的・閉鎖的・排他的で伝統固執の宗教だったカトリックを「社会の進歩」に合わせて「改革」しようという会議で、時の教皇はヨハネス23世であった。以前と全く違ってしまった主な点は、
@それまでラテン語が主だった典礼の言葉や聖歌を各国語にし、ミサなどでの作法を大幅に改革した。例えば、ひざまずいて祈る必要がなくなった、それまで必ず司祭の手で信者の舌の上に置かれていたホスチア(キリストの聖体を現すパン)を、信者が自分の手で取って口に入れてもよいことになった、など。
A神秘性を可能な限り薄め、教会と聖職者の超越性を否定し、教会を「平等化・人間主義化」した。
B他の宗派や宗教との対話が進められ、教会一致運動(エキュメニズム)によるプロテスタントや正教との接近、ユダヤ教やイスラム教など他の宗教との協調を進めた。特に、ユダヤ人から「キリスト殺し」のレッテルをはずした。
C労働や仕事などの「地上」の活動に重点が置かれ、各教会が幅広い社会活動に参加するようになった。
といったところだろう。もちろんユダヤ教との「和解」に例の「ホロコースト」が重要な役割を果たしたことは言うまでもない。たとえばアウシュビッツでユダヤ人の身代わりになって死んだ、とされるコルベ神父の話はよく引き合いに出される。また、ローマがナチスに歩み寄ったことへの反省が表明される。
この会議以来、パウロ6世、ヨハネ・パウロ2世は一貫してこの第二公会議の路線を進めている。そしてオプス・デイこそがこの「改革」に最も積極的なばかりか、この公会議の以前からカトリックの伝統を変えようと画策し公会議の先導役にさえなっていたのだ。
(b)オプス・デイの「自己紹介」
ここでご覧いただきたいのは日本でオプス・デイが経営する学校、精道三川台小・中学校(長崎県)のサイトから「第二バチカン公会議の先駆者 ホセマリア・エスクリバー」という文章である。
喉の奥がむず痒くなるようなおべんちゃらの言い回しやカトリック独特の表現などを少々我慢して読んでいくと、この集団の基本的な思想が読み取っていける。全文を読む気の起こらない人は次の抜粋・引用個所だけにでも目を通していただきたい。カトリックの伝統に詳しくない人にとっては少々分かりづらいかもしれないが。
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「第二バチカン公会議の先駆者 ホセマリア・エスクリバー」
http://academic1.plala.or.jp/seidomik/centenary/5.html
【抜粋・引用開始】
・・・・
1939年に初版が出された『道』でも、確信をもって明白に繰り返されています。「あなたは自らを聖化する義務がある。あなたにも―。聖化とは司祭や修道者だけの仕事だと言う人がいるのか。主は例外なくすべての人に、『天の父が完全であるように、あなたたちも完全な者となりなさい』と仰せられたのである。
・・・・
私たちは、地上のすべての道、すべての身分、すべての職業、すべての正直な仕事が神的になり得ると言うのです。
・・・・
こういうことをお話しするのは、エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人の中には、第二バチカン公会議に参加した多くの国の大司教や司教方が含まれていたからです。
・・・・
一つに集まったこの民、キリストの神秘体は、この地上において、世の終わりまで、すべてのキリスト者を通して、頭(キリスト)による贖いと聖化の継続します。全員がそれぞれ固有な状況において人々を神のもとへ連れてゆくよう招かれているからです。
・・・・
エスクリバー・デ・バラゲル師は、人間の仕事とは聖化される現実、聖化すべき現実、聖化する力をもった現実であると、常に繰り返してきました。
・・・・
私たちが召されているこの聖性は皆に同じであって、司祭が信徒よりもより上であるとは言えない。信徒は二流のキリスト信者ではないからである。
・・・・
エスクリバー師は「人々の良心の自由(思想・信仰の自由)」を尊重しました
・・・・
オプス・デイではカトリックであろうがなかろうが、常にすべての人のために場所があります。私は教皇様からエキュメニズムを学んだのではありません。
・・・・
自分の仕事の聖化に努めることによってキリスト教的完全(完成)と使徒職実行を望むこと、現世的な現実の自律を尊重しつつ、その中に入り込んで生きるが、それらを観想的な魂と精神で扱うこと、オプス。デイ(ママ)においては、個人の人格、霊魂内の聖霊の働き、神の子として人々がもつ尊厳と自由をまず尊重すること、共通善を尊重するという条件の範囲内で正当なイニシアティブを認めること、以上のような点を始め、その他、私たちの生き方と働き方こそ容易に双方の接点となるもので、離れた兄弟たちはその中に一致の教理的前提となることがらを見つけています。
・・・・
【引用終わり】
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第二公会議以前の熱心なカトリック信徒なら卒倒するような内容だろう。
★かつてのカトリックの特徴であった世俗を超越した厳格な教会ヒエラルキーは否定される。
★かつては「救済」の唯一の方法論であったカトリックの教義に優先して、『人々の良心の自由』が尊重され『すべての人のために場所が』あり『共通善を尊重するという条件の範囲内で正当なイニシアティブを認める』ようになっている。
★必然的に、エキュメニズム(教会一致運動)や非キリスト者の取り込みと連携が積極的に行われる。
★「この世は罪に満ち人間は罪人であって、キリストの十字架上の贖いを信じることによってのみ救われる」という伝統的な教義は、『自らを聖化する』『人間の仕事とは聖化される現実、聖化すべき現実、聖化する力をもった現実』『現世的な現実の自律を尊重し』『全員がそれぞれ固有な状況において』救われる、と書き換え・付加が施される。
★要するに、もはや、かつてカトリックの重要な「売り物」であった「原罪」「悪魔」「奇跡」、特に「天国」への関心は、見えないほど遠くに追いやられている。
そしてこの内容がほとんどそのままバチカン第二公会議の決定事項になっているのだ。
これらのオプス・デイ自身の言葉から浮かび上がることは、このカルト集団とバチカンの目指すものが実は「この世の王国」であり、キリストが3ヶ月の断食の末に悪魔によって山の上から見せられたとされる地上の栄華だ、ということであろう。(余談だが、バルセロナの北西側にティビダボという山があり、ここから全市内が展望されるが、この「ティビダボ」というのは上の場面で悪魔がキリストに言った「お前に与えよう」という意味のラテン語から来た、といわれている。私ならば・・・喜んで!)
また、上の文章の中に「エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人の中には、第二バチカン公会議に参加した多くの国の大司教や司教方が含まれていたからです」とあるのだが、この「エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人」とはいったい誰なのか。
(c)伝統保守カトリックからの告発
もちろん文字通りの伝統的・保守的カトリシズムを守り抜こうとしているグループもある。次にご覧いただくのは、その中の一つ、聖ピオ十世司祭兄弟会に属し、現在マニラに在住しているトマス小野田圭志司祭のサイト「マニラのeそよ風」から、「FSSPX Japan 掲示板より 2002年 No.6」というページである。
ピオ十世は1903年から14年にかけてのローマ教皇であり、この聖ピオ十世司祭兄弟会はあくまでも20世紀初頭までの教皇が定めた伝統的なカトリシズムを守り通そうという正真正銘の「ウルトラ保守派」であり、スイスのルフェーブル大司教(故人、第二公会議の結果に真っ向から反対し、バチカンの許しを得ずに司教を任命したかどで破門された)を創始者と仰いでいる。このルフェーブル派はヨーロッパのカトリック、特にフランスではまだ非常に力を持っており、どうやらオプス・デイは彼らを目の敵にしているらしい。
この文章で小野田師は、丁寧で遠まわしな表現ながら、厳しくオプス・デイと第二バチカン公会議を非難しており「革命的」とまで言っている。(伝統的カトリックでは「革命」は常に反教会的・悪魔的な動きなのだ。)
キリスト教に興味の無い人をうんざりさせるような神学論争はともかくとしても、少なくともオプス・デイが「保守的」カトリックとは全くかけ離れた、文字通り「革命派」である事実がここでも浮かび上がるだろう。これも非常に長文なので、主要な部分のみを抜粋して引用させてもらうことにする。興味のある方は全文をどうぞ。
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「FSSPX Japan 掲示板より 2002年 No.6」
http://immaculata.fc2web.com/library/sspxbbs/sspxbbs6.htm
【抜粋・引用開始】
・・・・
オプス・デイは、カトリック教会の脈々と伝わる聖伝を大切にするか? 初代教会から伝わり、教会の教父たちが説いていたことをオプス・デイは、信じて大切にするか? 聖なるカトリック教会が認可した修道会の会憲・会則が説き、聖なる説教者たちが説いたことを尊重しているか? 聖トマス・アクイナス、聖ボナヴェントゥーラ、聖イグナチオ・ロヨラなどの教えを大切にするか?
それとも、教会の聖伝を軽視し、教父たちや聖トマス・アクイナス、聖イグナチオには物事がよく分かっていなかった、と言う態度を取り、ルネッサンスに始まるようなリベラルな精神を尊重するのか? そしてそのような考えを「新しい霊性」と呼ぶのか?
または、カトリック教会の聖伝に従って司祭職を尊び、平信徒とは全く別の高貴な召命と見なすのか?(例えばトマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』にあるように)
それとも、司祭職というのは付属的なもので平信徒も司祭も同じ「召命」であると考えているか?
・・・・
あるいは、教皇様たちが(例えばピオ11世が『モルタリウム・アニモス』の中で)説いたように、アシジの諸宗教祈祷集会のようなエキュメニズム運動・宗教多元主義に反対するのか?
それとも、現行のエキュメニズムと宗教無差別主義・宗教多元主義に諸手をあげて賛成し、王たるイエズス・キリストの社会統治に協力しないのか?
・・・・
そして、「仕事というものは、完璧の域まで立派に仕上げられるのでなければ、それを聖化するのは難しい。この完全さがなければ、必要な職業的威信を獲得するのはほとんど不可能である。この職業的威信こそ、エスクリバー師が『人々に仕事を聖化し、キリスト教信仰の諸要求に生活を合わせることを教える教壇である』と譬えたものである。」(p45−46)ということが、福者エスクリバー師の考えであるとなると、オプス・デイの精神というのは、自分に職業としての仕事があり、しかもそれを完璧に失敗もなく果たすことの出来る正にエリートたちだけのものであるという印象を受けます。
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オプス・デイの霊性は「革命的」だと自分で言っているのですから、きっと革命的なことは間違いがないのだと思われます。その革命的な点はもっと別の所にあると思われます。それは第2バチカン公会議の革命的な点ではないでしょうか?
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これはどういうことかというと、歴代の教皇様たちの訴えて続けてきたカトリック的な解決策ではなく、教皇様たちの排斥してきたエキュメニカルな解決策を目指すと言うことではないでしょうか?もしこれが本当であるとすると、これこそ、オプス・デイの革命的な霊性だと言わなければなりません。
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メンバーの多様性
(a)「ヌメラリー」というのは、使徒職に専念するため独身を守るよう神の召し出しを受けた聖職者と信徒(男も女も)であって、・・・
(b)「アソシエイト」というのは、オプス・デイの精神にのっとり独身を守って、一生を神のために捧げる一般信徒である・・・
(c)「スーパーヌメラリー」というのは、「ヌメラリー」や「アソシエイト」と同じ召し出しを受け、自分の身分を変えないで神にすべてを捧げる一般信徒で、独身のものもあれば結婚しているものもいる。
(d)その他、オプス・デイのメンバーではないけれど、祈りと寄付と仕事によって使徒職活動の助けをしている「協力者」が存在する。彼らもオプス・デイの霊的富に与っている。彼らはオプス・デイとは不可分の固有の会を構成している。協力者はカトリック信者でなくても、また、さらに、キリスト信者でなくてもよい。」(p102−103)
「これらの活動(「共同の使徒職活動」のこと)は、社会的地位、人種、宗教、イデオロギーに関係なく、すべての男性・女性に開放される」(p120)
宗教、イデオロギーに関係なく解放されている「使徒職」というのは、ここでは一体どういう意味で使われているのでしょうか?非キリスト者も「オプス・デイとは不可分の固有の会を構成している」というのはどういう意味なのでしょうか?オプス・デイの創立者は、すでにアシジの諸宗教祈祷集会のようなものを考えていたのでしょうか?
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これによって、信徒に対しては盲目的従順を要求しています。しかし、その一方でオプス・デイは自由を強調しています。
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ポレッティ枢機卿の言ったように、だからこそ、オプス・デイの創立者は「公会議の先駆者として広く認められている」のでしょう。だからこそ、1992年、創立者の死後17年の後に、異例な早さで列福されたのも、そして27年後の今年の10月に、既に列聖されようとしているのも、第2バチカン公会議を正当化し、第2バチカン公会議後の教会の「模範」を提示するためなのかも知れません。
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つまり、もしも、福者エスクリバー・デ・バラゲルが言っていたように「多元主義を個人の自由の合法的結果として恐れずに愛さなければならない」(Entretiens avec Mgr Escriva de Balaguer, p 129)とするなら、「自由」が「真理」の前を一人歩きしてしまうのではないでしょうか。つまり、真理において一つになる、というのではなく、自由という最も重要なものの前には真理は口を閉ざし、多様性を認めるべきである、ということだからです。ここにおいてもオプス・デイの創立者が第2バチカン公会議の先駆者であったということを確認せざるを得ません。
・・・・
オプス・デイのメンバーであるジャック・ギユメブリュロンとの次のようなインタビューが1966年5月16日のフィガロ紙に掲載されたそうです。
「信教の自由について言えば、オプス・デイはその創立当時から、どのような差別もしていません。オプス・デイは全ての人と働き平和に生きています。・・・これは言葉だけのことではありません。私たちの事業は、聖座の許可を得て、非カトリック者を、キリスト者か否かを問わず全てを協力者として入会させるカトリック最初の組織なのです。」
・・・・
オプス・デイについて正確に知ることは非常に難しいと言いましたが、オプス・デイの会憲がオプス・デイの会員たちに秘密厳守を要求しているからでもあります。
・・・・
ドミニック・ル・トゥルノー師はオプス・デイに対する非難がその最初からあったことを書いています。「一九二九年以来、オプス・デイに対するいろいろな誤解や無理解が横行したのは・・・オプス・デイの根本的メッセージについての無知の結果であった。・・・ある日、エスクリバー師の著書『道』がバルセローナの修道女経営の学校で、公衆を前にして焼かれた。・・・また創立者は秘密結社フリー・メーソンを撲滅する目的を持った特別軍事法廷に告訴されたが、それは彼の誹謗者がオプス・デイを『ユダヤ教の流れを汲むフリー・メーソン』だとか『フリー・メーソンと関係を持つユダヤ教の一派』だとかと糾弾したからである。もっと後になって、聖座がオプス・デイを終局的に認可してからでも、エスクリバー師はローマの検邪聖省に訴えられたことがあった。」(p50)
・・・・
しかし、そのことを差し引いても、
オプス・デイがシヨン【19世紀に起こった新宗派:引用者注】と類似していること、
オプス・デイが(カトリック教会への信仰というよりもむしろ)オプス・デイとその創立者への信心を植え付けること、
オプス・デイが権力を得るためオプス・デイ絶対主義とその秘密主義、
モンシニョール・エスクリバーの知られざる側面が存在していること、
という危険をこの手紙は訴えているように思えます。
・・・・
聖なると自称しているこの組織のメンバーは、聖パウロが「天主の子供としての栄光ある自由」という喜ばしい精神のうちに生き、働いているのではありません。そうではなく、マインド・コントロールを受けたキリスト教のパロディーのうちに、彼らが「神父様」とか「私たちの父」と呼ぶ偶像の陰のうちに生きているのです。・・・
【引用終わり】
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この中で小野田神父は、『仕事を聖化』する際に『仕事というものは、完璧の域まで立派に仕上げられるのでなければ、それを聖化するのは難しい』とするオプス・デイの主張を、エリート主義だと見抜いている。実際、スペインにおいて彼らは社会的エリート以外は相手にしておらず、非エリートは結局「自らを聖化することのできぬ者たち」「統治すべき対象」でしかないのだ。
さらにその極端な秘密主義とともに、創始者エスクリバーが『彼らが「神父様」とか「私たちの父」と呼ぶ偶像』であって創始者への『盲目的従順を要求』する始祖崇拝的な態度という、キリスト教とは両立しがたい側面を始めから持っている。
そしていままでの二つの資料で分かる彼らの方針は、どうみても「キリストの十字架上の贖いを信じることによる霊魂の救済」を重視した伝統的カトリックの立場とは思えない。『職業的威信』など、カトリックが20世紀前半までは全くそっぽを向いていたことだ。また『多元主義を個人の自由の合法的結果として恐れずに愛さなければならない』とは、カトリックが何世紀も守り続けてきた教会の絶対的権威の全面否定なのだ。小野田師でなくても、以前のカトリックを知っている人なら、これはカトリシズムに対する破壊工作ではないか、と疑いたくなるだろう。
このオプス・デイの性格と第二バチカン公会議での「改革」を、カトリシズムの本質的な変化、「基本ソフト」自体の入れ替え、と見るべきか、それとも単なる「アプリケーション・ソフト」の手直し、とみなすべきか。もちろん小野田師は「カトリックの本質を破壊するもの」として非難しているわけだが、カトリック信徒の多くは第二公会議の決定を受け入れた。そしてバチカン自身はその変化によって政治的・社会的影響力を増大させ、「この世を手に入れる」野望を追求しつつあるようだ。
もちろん、第二バチカン公会議自体がどこの力で召集されたのか、調べてみる必要がある。小野田師の言う通り、重要なのは『第二バチカン公会議の革命的な点』だろうし、だからこそ『公会議の先駆者』としてエスクリバーが2002年に聖人にされたのだ。オプス・デイには1962年当時では単独でバチカン全体を動かすほどの力は無かったはずだ。とすれば、この公会議を召集するように圧力をかけた者たち――『エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人』――とオプス・デイを作り育てた者たちが重なっている、と見るほうが自然だろう。
(d)オプス・デイの裏には「ユダヤ」がいるのか
ただここで、私はどうしても、このオプス・デイの性格とカトリックの変貌ぶりを、一般に「ユダヤ的」と言われる性格と比較してみたくなる。ユダヤ人は「天国」などそもそもから信じておらず、あくまでも「この世」でのユダヤ民族の救済と繁栄にしか興味が無い、と聞いている。上の文章にも、スペインでオプス・デイが『ユダヤ教の流れを汲むフリー・メーソン』『フリー・メーソンと関係を持つユダヤ教の一派』として糾弾されたことが書かれている。小野田師はこれには否定的だが、この思想内容からはそのように見られてもおかしくない面がある。もちろん私は小野田師と同じ立場に立つわけにはいかないが、しかし彼が言う『モンシニョール・エスクリバーの知られざる側面』には関心を持たざるを得ないのだ。
引用個所にもあるように、『オプス・デイは、キリスト者か否かを問わず全てを協力者として入会させるカトリック最初の組織』であり、『非キリスト者も「オプス・デイとは不可分の固有の会を構成している」』のである。当然、その「非キリスト者」にはユダヤ人とその「固有の会」も含まれ得る。さらに『宗教、イデオロギーに関係なく解放されている「使徒職」』というのであれば、つまり、ユダヤ勢力が、もし望めば、バチカン内に楽々と入り込んで合法的に「使徒職」を手に入れることができる、という意味にもなる。実際、この公会議の後バチカンに反旗を翻して破門されたルフェーブル師はゴリゴリの反ユダヤ主義者だったのだ。彼はバチカンの「親ユダヤ主義」に我慢ならなかったのだろう。
「ユダヤ勢力」というのは漠然とした言い方かもしれないが、『エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人』がユダヤ関係のある集団だと仮定したら、オプス・デイとバチカンを「カトリック原理主義」などと解釈していたのでは彼らにとっては痛くも痒くもない。まんまと「情報操作」のワナにはまってしまう。危ない、危ない。
阿修羅投稿者の皆様の中には、バチカン第二公会議、およびユダヤ主義について詳しい方がおられると思うので、以上の点に関してぜひ幅広くご意見をお伺いしたい。(お願いします。)
(e)「オプス・デイ=ユダヤ」を主張する発禁本
最後にスペイン語の資料から「オプス・デイ=ユダヤ」を主張するものをご紹介しよう。これは元々は、1994年にコロンビアのオリオン出版社から出された「オプス・ジュデイ(Opus Judei)」という本の一節である。著者は「ホセ・マリア・エスクリバー」というペンネームを使っており、正体は分からない。これはすでに各国で発禁本になり、ネット上ではこの本の最初の部分、オプス・デイの概説については英訳で見ることができるのだが、残念ながらユダヤ勢力との関係に関する章はまぜか「未訳」のまま読むことができなくなっている。
http://www.geocities.com/catholic_profide/jopus.htm
そして現在この本のユダヤ関係の部分にあったいくつかの文章を、スペインのあるネオナチ系グループのサイトで見ることができる。私があえてこのような資料を訳してご紹介する理由は、一つには、同種のテーマの資料が他のサイトで今のところ見つからないこと(個人的な投稿欄は別として)、次にはこの資料がかなり多くの「事実」について詳しく述べてあること、である。
おそらくユダヤとオプス・デイを一度に敵に回す、という「二重のタブー」に触れる「無謀なマネ」をするのはこの連中しかいないのだろう。ユダヤ勢力にしても、ネオナチの発言なら、それが当たっているとしても、さほど気にもしないだろう。ほとんどの一般市民から相手にされていないからである。むしろ、もし他の社会的に影響力のある人が彼らにとって耳の痛いことを言った場合「ネオナチといっしょだ」とパージできるので、彼らにとっては「利用価値」のある集団とさえ言える。逆にいえば、彼らの主張にも半分の真実はあるかもしれないし、信憑性を失わせるために意図的に一部の事実がリークされている可能性すらあるだろう。
また、一つだけ予備知識を持っていただきたい。スペインには15世紀まで20万人以上と言われるセファラディ・ユダヤ人が住んでいて、各地の経済を支える重要な働きをしていた。ところが1492年(奇しくもコロンブスが西インド諸島についた年)最後のイスラム王国グラナダが滅びた直後に追放令が出される。単に宗教的な理由だけでなく、スペインを統一したイザベルとフェルナンドのカトリック両王が、彼らの財産を巻き上げることで逼迫していた国家財政を立て直そうとした、ともいわれている。このとき約16万人のユダヤ人が財産を捨てて国外に逃れ、約5万人がカトリックに改宗した。その10年後に今度はイスラム教徒たちも同様の仕打ちを受けることになった。そしてそれ以降、無残の極みを尽くす異端審問の歴史が続く。また以後のスペインの経済的没落は「ユダヤ人の不在」が大きく原因している、と言う人もいる。(なお、このユダヤ人追放から500年後の1992年にバルセロナ・オリンピックが開かれた。)
文中の「マラノ」は本来『不潔なもの』『汚い豚』の意味だが、表向きは改宗してこっそりユダヤ教の伝統を守る隠れユダヤ教徒を指す。また「コンベルソ」はいわゆる転向者だが、彼らも常に「マラノではないか」という周囲の疑いの目におびえていた。そして異端審問官には実はこの「コンベルソ」たちが多かったのだ。彼らは「マラノ」つまり本来の同胞たちを拷問にかけて殺害することで、自分の「キリスト教に対する忠誠心」を明かし、カトリック社会の中での地位を確保しようとしたのだ。しかしやはり「マラノ」「コンベルソ」というレッテルは彼らとその子孫に延々と付きまとうことになる。そして、オプス・デイの創始者であるエスクリバーはアラゴン地方の小さな町に生まれ育ったのだが、彼の一家が改宗ユダヤ人の家系だといううわさが以前からあるらしい。
この文章は非常に長いので抄訳とする。途中で退屈するかもしれないが、その場合はザッと斜め読みをしていただいたらよい。
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http://www.resistenciaria.org/judaismo/cripto5.htm
【抄訳開始】
オプス・デイとユダヤ人疑惑
著名な作家アルフレド・マルケリエはオプス・デイのメンバーについて次のように評価した。「彼らは『新しいキリスト教徒』だと思う。」この『新しいキリスト教徒』というのは、マラノとコンベルソ、つまり隠れユダヤ教徒、偽キリスト教徒を指す。彼の言葉は真実を言い当てている。
オプス・デイがカトリック教会に浸透したユダヤ組織であることを暴露しなければならない。1968年に、ソル・A・ローゼンブラットの告別式が、ニューヨークカトリック大司教テレンス・クーク【オプス・デイ会員:訳者】の出席の元、シナゴーグ「エンマニュエル」で行われた。彼は有名な弁護士で、先に死亡したNYの枢機卿スペルマン【オプス・デイだけではなくKKK、マフィア、マルタ騎士団などの多くの陰謀組織につながる「闇の法王」として有名:訳者】の顧問弁護士をやっていた。大司教は死者の遺徳を褒め称えて、シナゴーグの中でユダヤ教の儀式に最後まで付き合った。
カトリックの大司教がこのようなことをしたのは始めてであった。テレンス・クーク師はユダヤ人との深い親交を結んでいたのだ。ソル・A・ローゼンブラットは、ローズベルト大統領の時代にこの教団と友人になりマドリッドに大きな法律事務所を持った。このユダヤ人は、1964年にはスペインのマスコミと社交界でもてはやされ、オプス・デイの会計士でもあった。この金銭中毒の偽キリスト教の一派は有名なユダヤ人を財務の責任者につけたのだ。
1990年に「カトリックの伝統」誌がカトリックの雑誌として始めてオプス・デイとユダヤ人の関係を始めて取り上げた。「オプスとユダヤ主義、破壊活動の戦略」という題で、この集団の謎と様相を解く鍵を示し始めた。コンベルソの忠誠を持つ怪しげなウルトラ・カトリックとして登場しているオプスに、「非キリスト教徒」が浸透し、「そこには強大なユダヤ勢力があり、すばやい経済的繁栄とオプス・デイの財界での影響力をこれで説明できる」ことは、にすでに明らかである。かれらの秘密主義は、何かの強大な権力の存在を示している。
多くの識者によると、エスクリバーはさまざまなキリスト教の宗派、ユダヤ教徒、不可知論者などの「相談者」を受け入れた。彼は実に用心深く、オプスを通して、教会の中からカトリック教徒だけでなく反キリスト教の者のために教会の扉を開いたのだ。これは「協力者会員」を通して可能になったが、それは信仰心すらないものが教会を助けるなどという「トロイの木馬」である。オプス・デイの4つの会員のカテゴリー(ヌメラリー、アソシエイト、スーパーヌメラリー、協力者)は、何の疑いも持たれずにユダヤ人がいることができるためのものである。
オプス・デイとユダヤ勢力の関係の中で特筆すべきは、ユダヤ出身の枢機卿アグスティン・ベアだろう。彼はピオ12世の時【1939−58年:訳者】の法王庁の支配的な聴罪司祭であり、エスクリバーとの血と友情の結束で、バチカンとオプス・デイを結びつけた最高幹部の一人だった。このユダヤ人枢機卿ベアはバチカン第二公会議の推奨者であり議案の作者でもあった。それはオプス・デイを通して宗教的自由主義とユダヤ人に教会を開くものだった。
後にバラゲーは「オプス・デイではカトリックであるとないとに関わらず教皇(ヨハネス23世)に会わせている。エキュメニズムは教皇から学んだのではない。ベアの仲介によって、1950年以来、オプス・デイが非キリスト教徒であっても受け入れることを許されていたからである」と言うことができた。これは明らかにカトリック教会に打ち込まれたユダヤのくさびだった。
テクノクラートと呼ばれる者たち【フランコ政権後半の政治経済はオプス・デイに所属するテクノクラート達によって支えられた:訳者】は、アメリカのユダヤ人トロスタイン・ボブレンが1919年に著した「The Engineers and the Price System」という本のアイデアから来ているし、これまたユダヤ人のハワード・スコットによってテクノクラシーが推奨された。オプス・デイが政治・経済政策に適用した理論は、ウオルター・ラステントゥローチ、バセット・ジョーンズ、デル・ヒッチコック、アッカーマンなどのユダヤ人によるものだ。
オプスは、メキシコのアレナ・タペヤックの「グアダルーペの聖母」を祭るための新聖堂に、そのユダヤの刻印を押した。それは多くの批判を招いたが、何よりも冒涜的なことはその主祭壇がシナゴーグのそれと全く同じであることだ。この建設の裏にはオプスがいた。
ユダヤ主義はオプス・デイの魂であった。エスクリバーは彼が経営するナバラ大学で「霊的生活の物質化」を説いたのだ。これ以上ユダヤ的なことがあろうか。ビルバオのユダヤ人ミケル・ゴッツォン・サンタマリア・ガライは1992年に新聞ABCにこう書いた。「私はオプス・デイの創始者からユダヤ人の子孫であることを誇ることを学んだ。キリスト教徒が第一に愛するのはユダヤ人である、と学んだ。」
エスクリバーとよく会っていたユダヤ人の中に、ウイーン大学教授で医者のジョセフ・ガングルバーガーがいるが、「仕事による罪からの解放と聖化」ということが重大な発見であるそうだ。その他に大勢の高名なウイーンやスイスのユダヤ人たちがエスクリバーにおべんちゃらを使いべた誉めしているのだ。エスクリバーはオプス・デイがキリスト教に汚染される危険を防ぎたかった。彼はいつも「我々は変革のために神から選ばれたイスラエルの末裔である」という言葉で始めて、その独善の思い上がった考えを少しづつ出していった。ユダヤ人の入会者は二重の意味を持つカバラ秘教の言葉でごまかすので注意しなければならない。またローマのエスクリバーから秘書に「ヌメラリアがやってきたときには豚肉の料理を出さないように」という規則が与えられた。
オプスが金銭的に豊かであることを正当化するために、聖書に書いてある、キリストが大金持ちのユダヤ人と一緒にいたことが引き合いに出された。彼らによればどんな生活状態も良いものなのである。
オプス・デイとユダヤとの共にいることは出版物を見ても分かる。彼らの出版社Rialfから出されたものには、例えばアルカラ大学の歴史学教授ルイス・スアレス・フェルナンデスの「中世スペインのユダヤ人」がある。この著者はスペインのユダヤ人問題の論客でありイスラエル大使館のエージェント、イスラエルでの文化交流会の推進などを行っている。この出版社からは駐スペイン・イスラエル大使自身の本も出されている。その他、ユダヤ種のスペイン人の本も多い。
オプスはユダヤ人同様、メディアと報道機関にいつも非常な関心を示す。出版社のほかにさまざまな雑誌社、ラジオ放送局を支配している。彼らは報道業界の大物フォンタン家を通して牛耳っている。またその一つであるSERラジオはスペイン・チェイスマンハッタン銀行の名義人ガリゲス家が握っている。スペイン以外でも多くの金を出版業につぎ込んでいる。例えばメキシコの雑誌ヘンテを出版するプレンサメヒカナである。またフランスのル・モンドの創始者で社長であるHubert Beuve-Meryはオプス経営のナバラ大学を訪れて公演した。
それにしてもオプス・デイとは何なのか。それを理解するためには彼らのユダヤ主義との緊密な関係を考えに入れなければならない。多くの点で隠れユダヤと同じ方向性を持っていることを理解できないあるいはしようとしなければ、オプス・デイは分からないのだ。そして彼らは組織的に日常的に隠してきたのだが、ユダヤ的な本質と隠れユダヤとしての起源の二つを知らねばならない。これはタブーであり、多くの人にとってそれテーマにしたり書いたり議論することは、反ユダヤ主義の現れとして被害をもたらすことになる。これは宗教的な疑問ではない。オプス・デイはキリスト教のうわべの下に本当の意志を隠している。その秘密主義と宗教的擬態を暴かねばならない。
オプス・デイとは何か。社会学的に言うと、擬似宗教の形態で従順な人間を獲得するためのコントロール技術であり包括的な手段である。この組織はメンバーを極端で厳格な方法で獲得して鍛え、人格を失わせ盲目状態とファナティックな無知に陥れる。
オプス・デイはその歴史を通して常にユダヤ主義を、つまり、文化の指導、信仰生活、政治と経済といったあらゆる分野でのすべての階層に対しての、独占を実行しようとしてきた。オプス・デイの倫理とは服従と従順、そして完全な遂行である。ちょうどラビたちがタルムードを作ったようにエスクリバーが書いた多くの規則を厳格に遂行することが、自分を聖なるものにするのに十分なのだ。
彼らは独自の論理を持っていない。それはキリスト教の着物を着たユダヤの論理なのだ。それらは二重の意味論を持っている。キリスト教の言葉とユダヤ主義の感覚と。隠蔽のテクニックである。だからオプス・デイはその歴史の始めから「フリーメーソンとつながるユダヤの一派」だ、と非難されていたのだ。
日本ではオプスのメンバーの多くはコンベルソである【意味不明、日本人ではなくカトリックの司祭として日本にいるスペイン人を指すのかもしれない:訳者注】。アメリカのメンバーにもユダヤ出身は多い。オーストラリアのユダヤ人ベン・ハネマン博士は、彼らが経営する大学を弁護するために新聞に論文を書いた。「私はユダヤ人でカトリックではなく社会主義者である。しかし私は、オプス・デイがいつもすばらしい仕事をしていると思う。オーストラリアはオプス・デイの貢献を必要としている。」そしてオプス・デイを信頼して子どもをその学校に入れているユダヤ人夫婦の例を引き合いに出した。
アメリカのオプス・デイのシンパで特筆すべき者は、イリノイコンチネンタル銀行頭取でニクソン政権の財務長官のユダヤ人デイヴィッド・M・ケネディ、「出版王」と呼ばれる一人のM・エリクソンである。フランスではオプス・デイは1995年に「総合文化と技術協会」を作ったが、その発起人委員会にはパリ大学の法・経済学教授ルネ・ダビッドや元大臣でフランス議会外交問題委員会会長のモーリス・シューマンなどのユダヤ人グループがいる。
スペインでは公的機関である「科学研究高等委員会(CSIS)」がオプス・デイの私有地になろうとしている。これにはロックフェラー財団からの協力がある。またフアン・カルロス国王が王子時代に影響を受けた本「社会変革における王制」を書いたオプス・デイのロペス・アモは、ユダヤ人レオナルド・フォン・シュタインの影響を強く受けている。
エスクリバーの著作「道」がヘブライ語訳されている、またアメリカでオプス・デイの会員にフリー・メーソン関係者が多いのは当然だ。ロマリオ・クリストバルのように、ある部分でメーソンとオプス・デイを同列とみなす作家も多い。
オプス・デイ会員で神父のニコラス・コボ・マルティネスは、その教団を疑い始め、ユダヤ主義との関連を感じて「喜劇的な偽善」「20世紀の大嘘」であるとの結論に達した。基本的にカトリック信徒であり、オプスの学生寮の食堂に十字架も聖画も全く無いのを見たのである。
世界主義もユダヤの特徴だ。オプス・デイも同様である。スペインの元公共事業大臣で会員のゴンサロ・フェルナンデス・デ・ラ・モラは「オプス・デイはどの国にも所属しない。始めから全世界的なものだ。」と語った。
オプス・デイとユダヤは混在している。新聞マドリッドに記事を寄せる会員のラファエル・クラボはニューヨークタイムズのスペイン支局にいるユダヤ人支局長と懇意である。エスクリバーは英国に行った際にはロンドンのラビの家に泊まっていた。(カンテロ氏が証人である。)またオプス・デイの会員はモサドと緊密な接触を持っていた。そしてあのホモのトーマス・マンはマドリッドのオプス・デイの宿舎に住んでいた。
一方でオプス・デイのシンパであるユダヤ人記者M・シュルツバーガーはNYタイムズにオプス・デイを「スペインとソ連の経済関係の扇動者」と紹介した。オプス・デイの偽テクノクラートと隠れユダヤは両政府の間で経済関係を模索していたのである。
それゆえ、オプス・デイの精神的影響下に陥る危険を述べたJean Boyermの警告を再度取り上げよう。「彼らは、地獄に落ちる魂を救い天国行きを確保すると言いながら、ユダヤ主義のエッセンスの染み込んだ無条件の信奉を繰り返し洗脳した後、聖化の口実の元で人々を変身させるのである。」
【抄訳、終わり】
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もちろんこれは、表紙にデカデカと「ハイル・ヒットラー」が書かれてある(ただし上記のUrlの画面から直接表紙に行くことはできない)ネオナチのサイトに収められている文章で、やはり「諸悪の根源はユダヤ、とにかくユダヤなら何でも悪」が貫かれているため、その理屈が誘導する方向には気をつけなければならず、書かれてある「事実」も他の資料との照合が必要だが、しかしなかなか興味深い点もある。特にオプス・デイとバチカン第二公会議をつなげたアグスティン・ベア枢機卿の存在は始めて知った。またオプス・デイの方針の中で、この世での「仕事を完璧な域にまで仕上げること」、「義務の完璧な遂行」などは、やはりユダヤ教徒には親しみを感じさせるものだろう。
それにしてもこの文章は訳しづらかった。疲れた。全体の論旨が全くといってよいほど纏められておらず、やたらと複雑な言い回しや数多くの同意語、同内容の表現による幻術的な繰り返し(これはこの抄訳では省いたが)にあふれ、読者の理解と納得を引き出そうとする配慮に欠けた、典型的な「悪文」なのだ。著者の正体は分からないが、洗練された知性の持ち主とは思えない。同一テーマがもう少しまともな著作家によって書かれておれば良いのだが、オプス・デイだけでもヤバイのに、これにユダヤがからんでいては、あえて手を出す者がいないのかもしれない。またそれだけヨーロッパの知識人には「ユダヤ・コンプレックス」がきついのだろう。
しかし問題はユダヤ人一般ではなく、恐らくは「ユダヤ的な」と言われているもっと巨大な勢力かもしれない。(それは私にとってはまだまだ仮定なのだが。)もしオプス・デイを育てバチカン第二公会議を準備して成功させた勢力があるとしたら、それは一体何なのか。それが現在以降オプス・デイとバチカンを通して何をしようとしているのか。謎が深まるばかりだ。私は、あえて早急に結論付けようとは思わないが、さまざまな方々の「仮説」を参考にしながら調べていきたい。また、私自身の今までのオプス・デイへの言及内容も一つずつ見直していかねばならないだろう。
(それにしても、バチカンとオプス・デイじゃ相手が悪かったかな。おまけにユダヤまで加わった。まともな調べ方じゃ通用しそうにない。困ったな。)
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イベリア半島「百鬼昼行図」過去ログ
その1:イラク人の血に群がる蝿ども(1)RepsolとCepsa
http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/1021.html
その2:イラク人の血に群がる蝿ども (2)その他の企業
(何と!あのレアル・マドリッドの会長の名前も!)
http://www.asyura2.com/0311/war45/msg/112.html
その3:「米西同盟の経緯=フランコの呪縛」
http://www.asyura2.com/0311/war45/msg/585.html
その4:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(1) バチカンを牛耳り中南米を操る悪魔的カルト集団
http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/126.html
その5:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(2) 米国中枢部に食い込む「バチカン=オプス・デイ」
http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/556.html
その6:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(3) アスナール政権=オプス・デイ政権、「3馬鹿軍団」の裏には?
http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/1019.html