現在地 HOME > 掲示板 > 戦争47 > 466.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: ビンラディン氏拘束、最短で数カ月内にと 米軍 [CNN]【ハッタリなのか、“共演”なのか?】 投稿者 あっしら 日時 2004 年 1 月 30 日 23:29:33)
2004.01.31
Web posted at: 17:05 JST
- CNN
(CNN) 米同時多発テロ首謀者とされ、消息が依然不明のアルカイダ最高指導者オサマ・ビンラディン氏の問題で、米政府が1996年9月から2001年夏までの間、アルカイダ幹部らを保護していたアフガニスタン旧政権のタリバーンに30回以上にわたって接触、身柄引き渡しを求めていたことが30日分かった。
うち3度は、ブッシュ政権が実施していた。米ジョージ・ワシントン大学が、情報公開制度に基づき、国務省に申請した外交電文で判明した。タリバーンとの接触の経緯を記述するメモは01年7月に作成されていた。
タリバーン政権は、同時多発テロ後の米軍事攻撃で、01年11月に崩壊している。ビンラディン氏は、アフガン国内に潜伏中とされ、米軍が今なお行方を追っている。
外交電文によると、米国とタリバーンのビンラディン氏に関する最初の接触は、96年9月18日にパキスタン・イスラマバードで持たれた。同市駐在の米大使館の政務担当官が出席、タリバーン外務省高官に対し、ビンラディン氏のアフガン滞在は好ましいものではないと主張した。
タリバーン側はこれに対し、テロ支援はしていないと強調、「ビンラディン氏に避難場所は与えていない」と述べたという。
また、米国は97年初期に、アフガン東部にあるイスラム過激派の軍事訓練キャンプへの訪問許可を要請。タリバーンは当初これに応じる姿勢を見せたが、訪問の実施は度々延期され、同年4月には立ち消えになったという。
98年8月には、アフリカのケニア、タンザニア両国で米大使館連続爆破テロが起きたが、ビンラディン氏の身柄要求はこの時期前後に加速した。米国は、両テロをアルカイダの犯行としている。
この後、米国は、ビンラディン氏がかかわる将来のテロに関して、タリバーンも責任を持つと警告。タリバーン側も、米国の要求に態度を硬化させ、01年7月2日の最後の折衝では、外務副大臣がパキスタン駐在米大使に「ビンラディン(氏)は無実である」との考えを強調したという。
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200401310015.html