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(回答先: ハットン卿がメーソンである状況証拠 投稿者 HAARP 日時 2004 年 1 月 31 日 01:02:40)
---| 非公式情報 :マスコミが報道しない事実|----
<http://www.mailux.com/mm_dsp.php?mm_id=MM3D384F43742FA>
ハットン委員会の報告書が新たな火種に
By STRANGELOVE
イギリス国務省の顧問だったデイビッド・ケリーの死とトニー・ブレア政権の情報操作疑惑を調査していた独立司法調査委員会は、ブレア政権を全面的に支持する報告書を公表した。ジェームズ・ハットン卿が委員長に選ばれた時点で政府擁護の結論になることは少なからぬ人が予想していたはずだが、それにしても擁護の仕方があまりにも露骨で、報告自体が新たな火種になるかもしれない。
1950年代、ベルファストのクイーンズ大学を卒業した直後からハットンは北アイルランドで法律家としてのキャリアを積んでいる。ちょうど、IRAの闘争が激しかったころで、検察側の人間だった彼はIRAから命を狙われていたようだ。
こうした仕事が評価されたのか、1988年にナイト、1997年には貴族(ロード)の称号が与えられた。そのハットンの名前を有名にしたのがチリの元独裁者、オーグスト・ピノチェトの事件である。
南米の独裁政権によって殺害、あるいは行方不明になったスペイン市民の事件を調査していたスペインの判事が1998年、イギリス当局へピノチェトの逮捕を要請、認められたのだ。この決定を下したホフマン卿を批判したひとりが問題のハットン卿だった。
また、ハットン卿はイギリスの情報機関MI-5の内幕を暴露したデイビッド・シャイラーの行動は公共の利益にならないと判断した判事としても知られている。ハットン卿は内部告発に否定的な人物だと言えるだろう。
今回、ハットン卿はブレア政権と対立関係にあったBBCに対して厳しい結論を出し、同放送局の会長らが辞職に追い込まれている。
しかし、どのように表現しようと、ブレア首相の周辺がイラクの大量破壊兵器に関する情報に手を加えた事実は消えない。しかも、同首相に間違った話を伝えたという情報機関自体にも疑惑の目が向けられていることを忘れてはならない。
昨年7月16日、死の前日にケリー顧問は情報治安委員会に出席してロッキンガムと呼ばれる情報機関について言及している。イラク攻撃を実現するために都合の良い情報を集め、イラクの大量破壊兵器はすでに廃棄されているとする別の情報機関の情報を封印していたと言われている。つまり、アメリカのOSPと同じ役割を演じていたというのだ。
ハットン委員会はこうした問題にも興味を示さなかった。ブレア政権は臭いものに蓋をしたつもりかもしれないが、ひび割れた容器からは悪臭が外に漏れている。
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