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なぜか気になる「黄色いリボン」は、インディアン討伐米騎兵隊の恋人の歌だった。
知ってか知らずか、アメリカ人が見たら、日本は完全にアメリカの西部の出先になったと思うだろう。しかし、事実がすべてがそうなのである。
---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-16.html
『湾岸報道に偽りあり』
隠された十数年来の米軍事計画に迫る
(その16)第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか
[中略]
『イスラム報道』の表現によると「イラン事件の象徴とされた黄色いリボン」は、今度の湾岸戦争でも、アメリカ軍兵士の無事帰還を願って町角の柱を飾った。 「黄色いリボン」には近年の流行歌という新しい出発点もあるが、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の典型的な昔風西部劇映画に『黄色いリボン』があり、当時の私ら日本の子供の耳には「バッテンボー(罰点棒)」としか聞こえなかった「(騎兵隊の制服の)ボタンとリボン」というリフレインつきの主題歌があったことを思い出す必要があるだろう。歌の文句の終わりに誇らし気に調子よく響く「U.S.Cavalry 」(合衆国騎兵隊)の伝統によると、女性が黄色いリボンを髪に飾るのは、騎兵隊員の恋人だということを周囲に示すことなのであった。
と、ここまで書いたのちの一九九二年二月二十九日、ニューヨークで「湾岸戦争・国際戦争犯罪法廷」が開かれ、三月四日には、参加した日本代表団の報告集会が持たれた。集会の最後に指名されて、参加の感想をトツトツと語ったボランティアの中年女性の口からもれた一言に、私は突如ミゾオチを突かれる思いをした。
「とても強く印象に残っているのは、オパタ・マタマーという名前のインディアン代表の女性の話でした。アメリカでは湾岸戦争の兵士の無事帰還を祈って黄色いリボンを飾りましたが、あの黄色いリボンは、騎兵隊のカスター将軍が肩につけていたのが始まりだそうです。アメリカ人はアラブ人との戦いを、かつてのインディアン討伐と同じ感覚でやっているのだと、オパタ・マタマーさんは話されました」
私は、ヴェトナム戦争後に何冊か出た「インディアン討伐」問題の本を読んでいた。カスターは南北戦争で「特別少将」となったが、戦後の軍縮で中佐に格下げされ、スー・シャイアンの連合軍に敗れて死んだこと。アメリカ側で英雄扱いされたが、もともとは士官学校時代からの乱暴者で、戦闘自体も無謀極まるものだったこと。などなどを、かすかに記憶していた。これらの記憶の連鎖が、背筋を電撃のように貫いたのだった。あいにくと、古い蔵書は手元になくて確認しようがない。図書館で人物伝の資料を当たってみると、金髪を長くなびかせていたし、特別仕立ての軍服に金モールを飾っていたとある。確かに「金色」もしくは「黄色」のイメージだ。
アメリカ人自身による研究も『イスラム報道』の参考文献リストに載っているが、サイードは、騎兵隊による「インディアン討伐」以来のアメリカの「正義」が、その「悪魔化」主目標をイスラム圏に変え始めたことを、湾岸戦争の十年以上前の「誰も注目していない」時期から見抜き、警告を発していたのだ。サイードは、「一九八〇年夏、アメリカ人の代替エネルギー源についての考え方を述べるため、人目を引くテレビ広告」が現れた例を、本編の冒頭に指摘している。「ひと目でそれと分るアラブ服」、「ホメイニ、アラファト」……「『これらの人物』がアメリカの石油入手源をコントロールしているのであると、ドスをきかせて語られ」るというシロモノであったらしい。ところが湾岸戦争直後、NHKの石油問題特集で、まさにこの系統を継ぐアメリカのテレヴィCMが紹介された。サダム・フセインは白馬にまたがって、いかにも「西部劇のインディアン」さながらの好戦的な姿で現れた。これらの映像と音声による「心理戦争」の十年の経過は、日本ではまったく報道されていなかったのである。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------