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狂信の連鎖反応は核兵器よりも恐ろしいのは当然で核兵器を作ったのは裸の猿。
私は、今から9年前、以下のような「淡い希望」を記したが、今や危機一髪の状況である。
ネオコンと称される悪餓鬼どもは、「憎まれっこ世にはびこる」の典型である。「お人好し」、実は最も阿呆な自称平和主義者には、この連中は始末できない。
---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-69.html
『アウシュヴィッツの争点』
(その69)世界ユダヤ人評議会の「情報機関」としてのユダヤ人問題研究所
[中略]
最後に、イスラエル建国という途方もない国際政治工作をなしとげ、以上のような「神話」を半世紀も維持しつづけてきたユダヤ人の国際組織の全体像を見直してみよう。
ユダヤ人の組織として先輩格の世界シオニスト機構は、ナチ党と奇妙な共生関係をむすんでイスラエルへの移民活動を展開していた。その一方では、この共生関係とはまったく相反するユダヤ人の国際的な活動がおこなわれていた。すでに紹介した世界ユダヤ人会議のよびかけによるドイツ商品ボイコット運動である。『移送協定とボコット熱・1933』というパンフレットには、その間の複雑な、一見相矛盾する両組織の活動の実情がしるされている。
一九三六年には、世界ユダヤ人会議が発展的に解消し、恒常的組織としての世界ユダヤ人評議会が結成された。『移送協定とボコット熱・1933』では、世界ユダヤ人評議会自身が編集した評議会の記念誌、『離散の中の統一』をもとに、その歴史的経過を論評している。
それによると、一九三六年八月八日から一五日にかけてジュネーヴでひらかれた結成総会には、三二カ国から一八〇名の代表が参加したが、ドイツとソ連からの参加はなかった。この組織の方は、最初からナチ党の対ユダヤ人政策に正面からの反対を表明すると同時に、ドイツ商品ボイコット運動を推進する立場を明確にしていた。世界シオニスト機構のドイツ同盟は、一九三九年の開戦にいたるまで、ナチ党との「移送協定」にもとづいてドイツ商品の貿易ルートをひろげる努力をつづけたが、世界ユダヤ人評議会は、このドイツ同盟の活動を非難し、中止を勧告していた。
この両国際組織の関係の要約紹介については、すでに「まさに至難の技である。稿をあらためて検討したい」としるした。
[中略]
これだけの執念と実行力を持つ集団が、なぜ、もうひとつ志にたかい、人類全体の平和、平等、友愛の確立にむかわなかっただろうか。または、むかいえなかったのだろうか。憎しみをこえるのは、それほどにむずかしいことなのだろうか。それとも、国際金融資本の足かせが、それほどに重かったのであろか。問いかけたいことが、まさに山ほどある。
ユダヤ人のなかにも、アラブ人との連帯を真剣にもとめる人々がたくさんいる。その事実こそが、これからの世界を考えるうえでの唯一の救いであろう。まだまだ、やりなおしがきく人類社会であることを願いたい。心あるユダヤ人の有志の努力に期待しつつ、その努力に呼応することを、一日本人としてのみずからにも誓う。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------