現在地 HOME > 掲示板 > 戦争47 > 180.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
サッチャー、メージャー、ブレアへと続くイルミナティ政権
デーヴィッド・アイク 訳・本多繁邦 【究極の大陰謀】三交社
◎ひたすら超長期的人類奴隷化計画(アジェンダ)のために働く独裁者トニー・ブレア
一九九七年五月一日の選挙でトニー・ブレアがイギリス首相となって以来、イギリスはクーデター状
態だ。法律では、首相は内閣と協力して国家運営に当たり、説明責任を持つとなっているが、ブレアは
「大統領」のように、選挙で選ばれていない「顧問」と組んで自分の計画を進めている。ブレア内閣の
前北アイルランド担当相モー・モーラムは、おべっか使いの腰抜け揃いで陰では自分の利益ばかり考え
ている連中(それがブレア「内閣」だ)のなかにあって、ただ一人信用できる人物だった。
政府を離れたモーラムはBBCの『内閣の内幕』で、「トニーは首相というより大統領のように振る
舞っていました。あの状況では内閣自体が死んでいます」と発言した。首相との関係では、選挙で選ば
れていない顧問たちのほうが内閣以上に力を持っていると言い、「彼らが内閣の代わりをしているよう
でした」と語っている。
----------------
トニーはわずかな仲間、つまり顧問たちとだけで決断をします。まるでアメリカの大統領です。
内閣へ戻すということをせず、閤僚の意見を聞こうとしません。本当に国民の支持や議会の支持を
得ようと思ったら、もっと多くの人を決断に関わらせるべきです。
--------------
ナチのドイツと同じように、ブレア総統に逆らう発言は許されない。言論の自由と意見表明の権利は、
発言内容にブレアが同意した場合にのみ認められる。ナチのドイツと違う点は、ドイツでは総統への反
逆者は暗殺されたが、ブレアのイギリスでは人格が殺されるということだ。
ブレア内閤に入った頃のモーラムは「みんなのモー」だったが、上からの命令に逆らうようになると
「狂ったモー」に変わった。モーをこんを言葉で呼んだのは、副首相のジョン・プレスコットだが、
ブレア政府のピエロの一人で、毒舌で有名な男だ(しかし私には間抜けにしか見えない。外務大臣の
わら人形ことジャック・ストローもいるが、私はプレスコットがナンバー1のピエロだと思う)。
ブレアの実態は独裁者で、《九・一一》以後はまさに白分が法律という状態だ。先に上げたBBCの
ドキュメンタリーにより、ブレアの「戦時内閣」では、選挙で選ばれていないアリステア・キャンベル
がメディア戦略を取り仕切り、新しく任命されたサリー・モーガンが政府関係を押さえていることが明
らかになった。
元タブロイド新聞の記者だったキャンベルは、文官として給与を支払われている。政治的には中立と
いうことになっているが実は労働党支持で、ブレア・サークルでの役目は、ニュースや事件をねじ曲げ
て「ボス」に最も光が当たるようにすること、国民がブレアの計画に沿って世界を見るように仕向ける
ことだ。
しかし、こういうことを聞いても私は少しも驚かない。私の目には、ブレアの顔に大きく「こいつを
信用するな」と書いてあるのが見えるからだ。私はこの感覚を、ブレアが首相になるずっと以前から抱
いていて、これまでの著作や講演会で、ブレアはイルミナティがその目標に奉仕させるために権力につ
けた男だと言ってきた。
彼らの目標には、イギリスを欧州単一通貨に引き込み、ポンドを捨て、独立国イギリスをヨーロッパ
のファシズム超国家に吸収することが含まれている。そのことは私が何年も前に文章にしたが、ブレア
はまさにそのとおりのことをやっている(それを助けているのが、チャールズ・ケネディ率いる、あの
情けない自由民主党だ)。単一通貨ユー口を支持する者は、選挙で選ばれない銀行家どもによる金融監
獄をも支持することになる。銀行家どもは、世界支配を目指すイルミナティの超長期的人類奴隷化計画
のために働いているのである。
◎プレアはイルミナティ100バーセント出資の「選ぱれし者」
アンソニー・チヤールズ・リントン.ブレアは一九五三年五月六日、スコットランドのエジンバラで
生まれた。父親のレオ・ブレアは、イルミナティの一大教育センターであるエジンバラ大学で法学講帥
を務めていた。
その後は大聖堂で有名な産業都市ダーラムで育ち、オーストラリアでも三年を過ごしている。ダーラ
ム・コリスター・スクールで学んだ後、エジンバラに戻って「名門」フェティス・カレッジに入学し、
次いでオクスフォード大学に進んだ。卒業後は、勅撰弁護人で労働党に影響力を持つアレクサンダー・
アーヴィンの法律事務所に就職し、産業雇用法を専門とする法延弁護士となった。
同じく弁護十のシエリーとはこの時期に出会い、一九八○年に結婚、ユアン、ニッキー、キャスリン、
レオの四人の子どもをもうけた(最後のレオは二〇〇〇年五月一十日生まれ。イギリスで首相制度が始
まって以来、一五ニ年目にして初めて現職首相に生まれた子)。
なお、ブレアの兄で勅撰弁護人のウィリアム・ジェームズ・リントン・ブレアも「普通の家庭」から
法律の世界に人った人物で、世界銀行および国際通貨基金の顧問を務めている。
ブレアは一九八三年にダーラムに近いイングランド北東部のセッジフィールドで下院議員に当選し、
以後は急速に労働党の頂点へと駆け上がる。保守党のマーガレット・サッチャーとその跡を継いだジョ
ン・メージャー(現在カーライル・グループのヨーロッパ代表)の時代には、労働党「影の内閤」で要
職を歴任した。
ある時点でトニー・ブレアは、ある強力な勢力「選ばれし者」となった。当時の労働党党首ジョン・
スミスが心臓発作で突然死亡し、その二四時間後には、すでにイギリス中のマスメディアが後継者はブ
レアと決めつけていた。そうした報道をきっかけに、久しく政権を離れていた労働党内でブレア支持の
波が起こり、労働党をダウニング街へ連れ戻すのはこの男しかいない、という空気ができあがった。こ
うして一九九四年七月、ブレアは労働党党首に選出された。
イルミナティに選ばれた者だけが参加するビルダーバーグ・グループの会議(アテネ近郊のヴォリア
グメントのホテルで開かれた)に初めて出席してから一年後のことだった。ブレアは労働党内のあらゆ
るレベルでの支配権を握り、恐るべき中央集権的独裁体制を敷いて、党全体を、白分の計画一(=イルミ
ナティのアジェンダ)のための自分専用の道具に作りかえた。もちろん、そのブレアも陰の存在に操ら
れていて、発言のすべてを決められているのだが……。
マスメディアの大衆宣伝機構(プロパガンダ)を背景にしたブレアは、一九九七年五月一日の
総選挙で地滑り的勝利を
収め、四四歳という、史上二番目に若いイギリス首相となった(最年少は一八一二年の小ピット)。私
はその数カ月前の講演会で、次のイギリス首相がブレアだということだけでなく、選挙が五月一日にな
ることも言い当てた。五月一日はイルミナティの儀式暦の上で非常に重要な日付だからだ。(『大いなる
秘密』参照)。イギリスでは、総選挙の日程を決定するのは現職の首相だ。この場合は保守党党首のジ
ョン・「カーライル・グループ」・メージャーがそれに当たる。五月一日を選んだのはメージャーだった
のである。
デーヴィッド・アイク 訳・本多繁邦 【究極の大陰謀】三交社