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デーヴィッド・アイク 訳・本多繁邦 【究極の大陰謀】三交社
ブッシュ政権に集う悪党ども
◎テロリストの追っかけ――二児の母ウェンディ・チェンバレン駐パキスタン大使
駐パキスタン大使であり、《九・一一〉以後急速に重要となった米パ関係において大きな役割を果た
しているのが、ウェンディ・チエンバレンだ。私が見た公式プロフィールでは、恥ずかし気もなく「二
児の母」と苦かれていたが、このレディはそんなものではない。何しろジョージ・W・ブッシュが任命
したのだから(いや、正確に言えばブッシュを操っている連中が、だ。申し訳ないが、私にはボーイ・
ジョージが外交決定をしているとは思えない。何しろ選挙運動中にもナイジェリアを大陸だと思い込み、
チェチェン、パキスタン、インドの大統領の名前が言えず、スロヴァキアとスロヴェニアを取り違え、
「グリークス(ギりシャ人)」を「グリーシアンズ」、東「ティモリーズ(ティモール人)」を
東「ティモーリアンズ」と言っていた御仁だ)。
ブッシュから、あの《九・一一》の数週問前にパキスタンに送り込まれるまでのチェンバレンは、国
務省の"国際麻薬取締法担当"副次官補だった。しかし、チェンバレンが有名になったのは、テロ集団
「ラオス愛国戦線」時代のラオスに大使として赴任していた時代のことだ。チェンバレンはラオスのテ
ロリスト独裁者たちと非常にウマがあっていたようだ。
「ラオ退役アメリカ軍人の会」の事務局長フィリップ・スミスは、チェンバレンのパキスタン大使任命
反対運動を繰り広げ、ラオ地方およびモン地方から追放されてアメリカ国内にいる三五万人からの強い
支持を受けた。
「パキスタン、アフガニスタン、そして南アジアの自由を愛する人々にぜひとも知ってもらわなければ
ならない。ウェンディ・チエンバレンの実績は、独裁者に対する徹底的かつ全面的な宥和政策である。
彼女はどんな将軍や独裁者でも必ず好きになる」。「ラオ退役アメリカ軍人の会」は二〇〇一年六月二十
九日付でインターネット上に公聴会宛の文書を流し、ラオス時代の「手柄」の一部を暴露して、チェン
バレンのパキスタン大使任命を承認しないよう呼びかけた。
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ラオ系、モン系のアメリカ人コミュニティーは、圧倒的多数が、ウェンディ・チェンバレンのパ
キスタン大使承認に反対している。チェンバレンのラオスでの実績は、全面的な宥和政策による悲
惨なものであった(二〇〇一年六月二十六口付ワシントンDC発AFP通信参照)。
我々は、恐怖と傲慢が支配したチェンバレン時代のラオスでの、同胞縁者の死を「決して忘れは
しない」。チェンバレンは将軍たちによる軍事独裁体制の魔手を強化するために働いた。ゆえに
我々は、貴公聴会が上院の場でチェンバレンの承認を「留保」され、強いメッセージを送られるこ
とを求める。人道に対する犯罪と、ラオ系およびモン系アメリカ人の縁者に対する重大な人権蹂躙
の黙認に関わった国務省関係者に昇進の道はない、とりわけこのような要職への道はないのだ、と。
さらに、上院公聴会においてチェンバレンに対して「留保」を突きつけることは、新たな対ラオ
ス政策が必要であるという重要なメッセージを送ることでもある。チェンバレンが盛んに推進した
ような弱腰の、悪事に手を貸す宥和政策では、多くの罪もない生命が失われるのだ、と。
チェンバレン大使はどんな将軍や独裁者でも必ず好きになり、必ず節操なく譲歩する。アメリカ
の国家安全保障上に大きな重要性を持つ国であるパキスタンの大使にはまったく不適格である。比
較的小さな第三世界の国であるラオスでさえ、チェンバレンは多くの人命を失うという大失態を演
じているのである。ラオスでのチエンバレンが「郷に入る」ことで、アメリカ大使としての品位を
落としたことにも注目するべきである。
夜のパーティーにはラオスの民族服を着て出席してパテトニフオの共産主義将軍らと過ごし、し
ばしば過度の飲酒をしては、軍事政権の誰彼なしにもてなして詔(へつら)った。それもすべて、合衆国およ
び合衆国市民の出費だった。ラオ系モン系アメリカ人の縁者たちが軍政の残忍な手にかかって死ん
でいくのを尻目に、チェンバレンはラオスの将軍たちに過剰にすり寄っていたのである。また、ラ
オス駐在中のチェンバレンは、モン族ラオ族と反体制派指導者たち合わせて数千人の虐殺を黙認し
た。
さらにシェンクアン、シサンボウン「特別区」、サムヌアその他のラオ版「収容所群島」を含め
た準閉鎖地域へは足を向けようともせず、地域再開放の働きかけもしなかった。こうした地域では、
モン族ラオ族数千に対して、軍部による弾圧と民族浄化作戦がおこなわれていたのである。
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こうして見ると、これもまさにブッシュらしい人事だと言える。事実、ラオスでのチェンバレンの行
動は品位に欠けるもので、そのために米下院は前例のない法律を導入することになった。下院決議第三
三二号は二人のモン系アメリカ人の失踪(しっそう)に関して、共産主義パテト・ラオの関係者
(=テロリスト)と
の協力を含めたチェンバレンの行動と手法に言及している。このレディが、《九・一一》とその後の
「テロとの戦争」で重要性を増していくパキスタンヘの大使という、重要ポストにブッシュから指名さ
れた人物である。
同じようにクリスティーナ・ロッカも、《九・一一》の数週間前にブッシュ(というかそのご主人様)
から南アジア担当国務次官補に任命されている。ここはアフガニスタン、バングラデシュ、ブータン、
インド、モルディヴ、ネパール、パキスタン、スリランカに対するアメリカの外交政策、外交関係に責
任を持つ部局だ。
ロッカはCIAのキャリア組で、その経歴は、少なくともレーガン―ブッシュ時代の一九八二年まで
さかのぼれる。ロッカもアーミテージ国務副長官と同じように、アフガニスタン―ソ連戦争でのCIA
作戦に関わっていて、そのときにCIAがオサマ・ビンラディンのテロリスト・ネットワークに資金と
武器を与えたのが今日に繋っている。ロッカは昔から、アフガニスタンとパキスタンでの問題について
強い興味を示していた。
デーヴィッド・アイク 訳・本多繁邦 【究極の大陰謀】三交社