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◆ 対米追従の是非を時間軸と空間軸に沿って論じる
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=61
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■CD−ROMに収録したマル激は第144回「対米追従に向こう側に何が見えるか」。中
村敦夫参議院議員を迎え、昨年12月21日に外人記者クラブで公開討論した。そこでは対米
追従の背景を時間軸と空間軸の二軸に渡って掘り下げた。
【対米追従を支える戦後史】
■昨年はイラク攻撃に始まり、イラク特措法を棚上げにした総裁選と総選挙を経て、自衛
隊派遣の現実化(先遣隊派遣)へという形で「米国ケツ舐め外交」に明け暮れた。だが96
年以降の日米安保見直しの大きな流れの中にあることを見逃すべからず。
■99年の悪名高き第145回通常国会。盗聴法・改正住基法・国旗国歌法・憲法審査会設置
法・ガイドライン関連法が通過した。当時の盗聴法反対の集会で繰返し述べたが、こうし
た流れは日米安保体制の見直しに端を発する。
■96年に橋本総理とクリントン大統領が出した日米安保共同声明。これに沿って97年に新
しい日米防衛協力の指針(新ガイドライン)が決まり、98年に周辺事態法案が国会提出さ
れた(旧ガイドラインは78年)。
■新ガイドインとは米国が極東で戦闘状態に入ったら自衛隊が兵站提供せよと唱う。兵站
は国際法上の戦闘行為。当然本土攻撃事態が想定される。この想定により有事法制や情報
管理法制が問題化する。他方で今はカネよりも情報が権益をなす成熟社会。
■対米追従ゆえに生じる本土攻撃事態の不安の下、対米追従を前提にした省庁利益を極大
化すべく、官僚が情報管理法制に向けロビイングする。それが第145回通常国会の姿で盗
聴法や住基法だけを見てはダメだ──そう私は四年前に言った。
■かかる対米追従の自明性は何に由来するか。戦後しばらくは「対米追従ルサンチマン」
の克服こそ「右」の本義。再軍備要求に抗うべく平和憲法を逆手にとって安保条約を締結
した吉田茂が典型だが、55年体制成立までは国民全体が本義を心得た。
■ところが岸信介の安保改定以降、安保は日帝による米帝追従の象徴と化し、9条さえ掲
げりゃ平和主義だと言うバカ左翼が出て来た。それが、9条を改正して自衛隊を出しさえ
すりゃ一人前という「憲法9条ルサンチマン」に駆られたバカ右翼を生む。
■ケツ舐め外交で自衛隊を出すのと、ケツ舐めをやめるのと、どちらが一人前か。国際常
識は言うまでもない。因みに自民党史では「対米追従ルサンチマン」を「9条ルサンチマ
ン」に優位させる立場を保守本流と呼ぶ。
■保守本流にとって対米追従は「あえてする」もの。吉田ドクトリンのごとく「肉を切ら
せて骨を絶つ」。だが田中角栄を最後に、その後襲った忘却の渦が「あえてする」保守本
流の志を風化させた。小泉はむろん岸信介の流れを汲む清和会の保守傍流。
■だが米国は日本のために存在せず。米国が日本のために行動してくれるよう心を砕くの
も大切だが、米国が将来中国を極東のパートナーと認める極端な可能性さえ想定してリス
クをヘッジすべし。私たちは戦後史も知らず忘却の淵に沈んだままでよいのか。
【二つの近代、どちらを選ぶか】
■それとは別に共時的選択の問題がある。米国「的なもの」に加担することが何を意味す
るかを正確に理解するべし。私たちは今、流動性から収益を上げることと、多様性あるコ
ミュニティ同士の共生の、どちらを優先するかを問われている。
■先頃NHKクローズアップ現代が諫早湾問題を扱った。水門閉鎖もあるが、地元海苔養
殖業者が用いる薬品が無酸素水塊を拡げて二枚貝を死滅させる。番組はヘドロ化した海を
映し、これでいいのかと訴えた。いいのではないか(笑)。
■貝漁で生活する漁師全員が海苔養殖に転業すれば済む話。琵琶湖のブラックバス問題も
同じ。在来魚種で生活する漁師全員が転業してブラックバスで食えば、在来魚種の死滅で
誰も困らない。
■生態系破壊で数十年後にどうなるか分からないと叫ぶ向きもある。そう。地球温暖化に
よる農作物収量増大のようないい事もあろう(笑)。そんなどうなるか分からないことを
云々するより、今あるシステムを合理的に回して食いぶちを拡げるしかない──。
■欧州人が米国的なものとしてイメージするのは、流動性(システムを回して食うこと)
を多様性(コミュニティ同士の共生)に優先させるこうした発想。これに抗って多様性を
流動性に優先させるのがEU的な思考伝統だ。
■成熟した近代には二つの道がある。流動性(収益)を重視する米国の道。多様性(共生)
を重視するEUの道。後者はそもそも亜細亜主義を嚆矢とする。二者択一ならずとも、ど
ちらを優先させるかの価値選択が米国追従の是非を決める。