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アメリカがイラクで困って国連に手伝えと抜かす欺瞞の極に奥大使の遺志を念達する。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/afterwar/art/031201M150_0202101E10DF.html
イラク・日本人外交官殺害 「復興のエース」失う−−情報錯そう、断定避ける外務省
奥参事官、国連の重要性強調
亡くなった奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官は在イラク日本大使館の中核的存在だった。小泉純一郎首相が「イラク復興支援に欠かすことのできない、中心的な役割を果たしてきた」と悔やみ、川口順子外相が「2人の優秀な部下を失ったのは痛恨の極み」と声を詰まらせたのも、奥、井ノ上両氏の確かな実績を踏まえてのことだ。
岡本行夫首相補佐官は今年9月、両氏の案内でイラクを視察した。その際、奥参事官はテロで破壊された国連バグダッド事務所跡にひるがえる国連の半旗を見やり、「岡本さん、これを見て引けますか!」と腹の底から声をあげたという。「中央公論」11月号への寄稿でこの経緯を紹介した岡本氏は、「肝のすわって使命感の強い」参事官を絶賛していた。
奥参事官は、イラク復興支援のため、日本政府が4月末から米英占領当局(CPA)の前身「米復興人道支援室」(ORHA)へ政府職員を段階的に派遣した中の第1陣だった。元々は在英日本大使館勤務だが、「明せきな頭脳とタフな精神力の持ち主」(外務省幹部)であることを買われ、難題山積のイラク復興支援の担い手に抜てきされた。
早大在学中の80年、外交官試験(上級)合格。81年、外務省に入省した後は元早大ラガーの行動派として鳴らした。90年からイラン、92年からは米国勤務。米国では1等書記官として日米自動車交渉に取り組んだ。00年には本省総合外交政策局の国連政策課長に就任、国連改革に取り組んだ。中東が専門だった野上義二元外務事務次官の信頼も厚かった。
奥参事官は外交専門誌「外交フォーラム」11月号に寄稿し、イラク復興における国連の重要性を強調していた。復興を通じて「米一極世界」が転換する可能性を指摘し、日本に「関与の余地がもっとある」と貢献を促した。また、外務省ホームページに「イラク便り」を70回連載。国連事務所テロで死亡した職員の血染めの名刺を掲載し、「遺志を継いで復興に貢献する」と決意を記していた。【白戸圭一】(毎日新聞2003年12月1日東京朝刊から)