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新聞紙にはあって、Web版にはない、表題の
>米を悩ます真の脅威 「民主主義なら多数派の我々」 権力照準
と、デスクメモを最後に追加。
米を悩ます真の脅威 シーア派 迫害の歴史 背に立ち上がる【東京新聞 特報部】
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040112/mng_____tokuho__000.shtml
米を悩ます真の脅威 「民主主義なら多数派の我々」 権力照準
眠れる獅子が目を覚ました。イラクで最大の人口を構成するシーア派だ。「民主主義は戦略だ。あえて(他派への)報復は控えている」。一人のシーア派青年の目が光った。連合国暫定当局(CPA)は昨秋、権力移譲のプログラムを発表した。しかし、シーア派は早期の「米軍撤退、総選挙実施」を掲げ、これを拒む。米国の真の脅威は彼らだ。(イラク南部ナジャフなどで、田原拓治、写真も)
■即時総選挙と米軍撤退要求
人は環境で、こうも変わるのだろうか。「この国で初めて、われわれが政治の主導権を握るんだ」。元情報省職員ムハンマド・フィーシャーン氏(37)は自信をみなぎらせた。
イラク戦争前の彼はうつむいていた。フセイン政権がスンニ派を優遇してきたためだ。貧しく、プレスセンターの隅で寝起きし、どこか軽んじられていた。
「情報省には十一年間いた。(シーア派ということで)差別され続けた。重要な仕事は自分より若いスンニ派の人間に与えられた。黙っているしかなかった」
それが、今では服装もこざっぱりとしてきた。「この戦争は正直、歓迎した。独裁者を倒した米軍に感謝してる。だが、もう帰ってもらって結構。約束では、彼らの任務は(イラク人による政権樹立の)地慣らしだったはずだ」
「民衆、中でも(イラク人口の65%を占める)多数派のシーア派は米軍を大歓迎する」。戦前、旧反政府組織「イラク国民会議」のアハメド・チャラビ代表(現統治評議会メンバー)は戦争を主導した米国の新保守主義(ネオコン)派にこう耳打ちした。彼も非宗教的ながらシーア派だ。
しかし、「歓迎」はすぐやんだ。いまや、彼らは公然と「反米」を口走る。
そんなシーア派の台頭は米国にとり受け入れ難い。同じ宗派のイランとの縁が濃くなる。すでにイラクのシーア派聖地はイラン人巡礼者たちでいっぱいだ。
■段階的移譲は『封じ込めだ』
米軍基地が散らばる湾岸諸国にもシーア派はいる。そこでも、彼らは政治的に劣勢だ。イラクでの同胞の台頭が彼らを刺激し、政情不安を招きかねない。
米国にとり、頭が痛いのは、自らが掲げた「民主主義」をシーア派が逆手にとっていることだ。単純適用すれば、多数派のシーア派が主導権を握ってしまう。
そこでCPAは昨年十一月、総選挙は憲法作成後、さらにそれまでの暫定議会選びなど数段階の権力移譲プランをイラク人側の統治評議会と合意した。シーア派には、同派に対する「封じ込め戦略」に映った。
統治評議会に加わり戦前から米国とは一定のつながりを持つシーア派組織イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の機関紙「アルアダーラ」編集長、アフマド・アルカリーム・アルジーザーニー氏は取材に対し、こう言い切った。
「憲法作成前に総選挙を実施すべきだ。CPAはイラク人が主役という原理を忘れている。旧政権時代に援助のため、国連が作った国民構成のリストがある。即時の総選挙は可能だ」
同じく統治評議会内のシーア派組織ダアワ党のアブド・アルカリーム・アルアンジイ政治局員はもっと辛らつだった。「統治評議会はもはや有名無実。ゆえに合意も意味がない。CPAからの権力移譲ではなく、総選挙で人民の代表を選ぶことこそが大切だ」
■4派共同歩調優先、精神的指導者担ぐ
一九九一年の湾岸戦争直後、シーア派は武装蜂起し、失敗した。今回はこうした冒険には出ず、自派へのテロにすら反撃しない。自制は本気の裏返しだ。
「だれを支持するか? そりゃ、ミルザ・アリー・シスターニ師さ」。バグダッド、聖地のカルバラとナジャフでシーア派の市民は政党指導者ではなく、彼の名を異口同音に口にした。
シスターニ師の主張は簡潔だ。「民主的な総選挙実施と米軍撤退」。同師はイラクに四人いるシーア派最高位聖職者の一人。イスラム革命を導いたイランの故ホメイニ師には批判的で、聖職者は政治に不介入であるべきという立場だ。本来なら慣れない役回りを彼がなぜ演じているのか。
シーア派には現在、主な政治組織として(1)イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)(2)ムクタダ・サドル師グループ(3)ダアワ党(4)アマル運動(指導者ムハンマド・タキー・モダレッシー師)の四派がある。
その関係はといえば、SCIRIとダアワ党はイランからの亡命帰り。だが、「彼らはサダムの圧政から逃げた連中だ。イブラヒム・ジャファリー(ダアワ党書記長)に至っては、帰ってくるやバグダッド・マンスール地区の高級住宅街に居を構えた」(サドル師グループの機関紙「アルハウザ」編集長、アッバース・ルーバイエ氏)など、とかく不評がある。イラン・イラク戦争中、亡命中のSCIRIがイラク人捕虜を拷問したという古傷もある。
一方、サドル師グループは「反米」を前面に統治評議会の向こうを張って昨年十月、「影の内閣」を宣言したが不発。「逆効果だったと反省しているはずだ」(SCIRIのアルジーザーニー氏)という政治的な未熟さがある。旧政権に殺された宗教指導者の血筋を引くSCIRIやサドル師グループとは違い、ダアワ党は知識人集団で人気に乏しく、アマル運動の影響はカルバラの一部のみだ。
SCIRI前議長のモハンマド・アルバークル・アルハキーム師が昨年六月、爆殺されて以後は、特に残った指導者たちはいずれも「帯に短し、たすきに長し」の面々。終戦直後は互いに足をけり合ったが、ここにきて「一時停戦」し、だれも反対しないシスターニ師を担ぎ出し、当面の局面をしのごうとしている。
■イラン型政体民衆は望まず
「亡命帰りや、わずか三十歳のムクタダ・サドル師にはなじみがない」(ナジャフの布商人)。市民にも組織の突出には懸念があり、シスターニ師に抑え役を委ねたという側面がある。
シーア派の主要組織は現段階では「将来の政体は民意を尊重する」と異口同音に話す。だが、本音では「民衆はイスラム法学者統治(イランの統治原理)を選ぶだろう」(ダアワ党のアルアンジイ政治局員)。
ただ、大半のシーア派民衆は「違う土地に同じ作物は実らない」(カルバラの弁護士)というように、将来の政治形態としてイラン型を望んでいない。
カルバラのシスターニ師事務所幹部サッバール・オムラーン・アルカルバラーイ師は「われわれは米軍撤退を平和的手段で呼びかけている」と話す。だが、「ポルノなど米国の文化的侵略は目に余る。シスターニ師が聖戦を呼びかければ、シーア派全体がそれに応えるだろう」という“脅し”も忘れなかった。
シーア派は、スンニ派やクルド人にもファンの多いシスターニ師を看板に各組織、市民、聖職者が「呉越同舟」して権力を狙う。二月から権力移譲のプログラムが本格化するが、シーア派と米国の緊張は必至だ。
冒頭のフィーシャーン氏はこう話した。
「シーア派の歴史は迫害の連続だ。今さら米国を恐れはしない。(旧政権主流のスンニ派とは違い)われわれに失うものはない」
◇イラクの宗教
イスラム教徒が人口の約97%を占め、うちシーア派が60−65%、スンニ派が32−37%。ほかにキリスト教、ユダヤ教などが3%。 ※イラク戦争前の資料
※デスクメモ
暗殺を意味する英語アサシンはシーア派に由来する。11世紀のシーア派暗殺集団が大麻を吸っていたことから、大麻のアラビア語ハシシが語源となった。これに対しイランでは別の解釈もある。はっきりしているのは、抑圧された過去の歴史からシーア派の殉教精神が強いことだ。アサシンを生む抑圧をなくすことこそ重要だ。(熊)