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★イラク戦争は9・11前に立案された/オニール前財務長官
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ブッシュは9・11の報告前にイラク侵略を計画していた
ロイター 1月10日 04:46 PM ET
http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml?type=domesticNews&storyID=4105718
ニューヨーク発/オニール前財務長官は新しく出る本のなかで、ブッシュ大統領は2001年1月、イラクに侵攻する決意で官邸に入り、その方策を探していた、と告発する。2002年12月にブッシュの経済チーム整理の一環として辞任させられたオニールは、政権内にいた主要人物として大統領攻撃を始める最初の人となった。
元ウォール・ストリート・ジャーナル記者ロン・ジュースキントの著書『忠誠への対価』を宣伝するCBSのインタビュー記事からの抜粋によると、彼は政権内の会議でのブッシュをたとえて「耳の聞こえない人間に取り囲まれた盲目の人」だと言う。
戦争を始めるためにブッシュはイラクが大量破壊兵器を保有しているという議論を利用したが、それは2001年9月11日以後の世界で制止されなければならなかった。そのような兵器はこれまで発見されなかった。
オニールは11日(日曜日)に放送される<60分>のインタビューのなかで、「まさしく最初から、サダム・フセインは悪人だと信じられていた」と語った。「アメリカ合衆国は決定したことは何であれ実行する一方的な権利を有するという先制攻撃理論は、私にとって、実にとてつもない飛躍である」と。CBSは金曜日と土曜日にそのインタビューの抜粋を公開した。
CBSの報道では、前財務長官ほかのホワイトハウス内の人物は、2001年の初めの3ヶ月に、ブッシュ政府がサダム・フセインを追放するための軍事力行使の選択肢を審査していたことを明らかにする文書を、ジュースキントに提供したという。ジュースキントはCBSに、「複数のメモがある」と語った。「『秘』と記されたメモの一つは『サダム後のイラクのための計画』と書かれている」という。
『イラク油田契約のための交渉相手』と題された別のペンタゴン文書は、イラクに関心を持つ40ヵ国の契約企業について述べている。
・戦争にむかって: オニールはまた、大統領は戦争を始める理由を見つける決意を促され、なぜイラクが侵略されるべきなのか国家安全保障会議で誰も質問しなかったことに驚いた、と本に引用した。「そうするための方策を見つけることが全てだった。そんな雰囲気だった」とオニールは述べた。
ホワイトハウスのマクレラン報道官はオニールの発言を却下した。マクレランは「われわれは彼の仕事を認める。書評を述べるのはわれわれの職務ではないが、オニールの世界はわれわれがアメリカ国民を代表してなしえた実際の成果を見つめるよりも自分自身の見解を正当化しようとしているようだ」と語った。
民主党の大統領選立候補者ハワード・ディーンは、ブッシュがイラク戦争を正当化するために虚偽を口実にしたと非難した。ディーンは声明のなかで、「国は当然知るべきであり、大統領は応える必要がある。イラク戦争を必要とした理由について、なぜアメリカ国民は誤ったデッテアゲの情報を提供されたのか。オニール長官のコメントは、これら未回答の質問に答えることが引き続き重要であることを明白に示している」と述べた。
オニールはまた、大統領は1時間続いた最初の一対一の会議で一度も質問しなかったと述べた。彼は<60分>のインタビューで、大統領とのやりとりがないので、彼のアドバイザーたちは「大統領が考えているだろうことを予感するよりない」状態に置かれた、と語った。ジュースキントの著書はオニールやホワイトハウス内の人物とのインタビュー、オニールが提供した1万9000件の文書にもとづいている。
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※関連 政権発足時から攻撃検討 イラク戦争、前米長官暴露
共同通信 [1月11日15時22分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040111-00000045-kyodo-int
【ワシントン11日共同】一昨年末に更迭された米国のオニール前財務長官が米CBSテレビのインタビューなどで、2001年1月のブッシュ政権発足直後から武力行使によるイラクのフセイン体制打倒が政権内で検討されていたと暴露していたことが10日明らかになった。大統領が一般教書演説でイラクなどを「悪の枢軸」と呼び、公式に外交・軍事の圧力を強めたのは02年1月だった。
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★抗議のイラク人6人死亡/英軍、イラク警察との衝突で
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AP通信 1月11日 (英字報道から関係部分のみ訳)
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20040111/ap_on_re_mi_ea/iraq&cid=514&ncid=514
バグダッド発/イギリス軍兵士およびイラク人警察が10日、イラク南東部の都市で武装し投石する抗議者と衝突し、6人の市民が殺害された。
バグダッドの南東200マイルに位置するアマラで発生した10日の事件は、失業に腹を立てた数百人のイラク人がアメリカ主導の占領当局事務所前で職を求めて集まったことから始まった。抗議者たちが熱気を帯び、群衆の中から射撃音がした、とイギリス軍の女性広報官は話した。彼女はまた、兵士たちは「群衆のなかで小さな爆発があったと報告を受けた」と語った。
攻撃を受けたと思ったイラク人警察は群衆に発砲したが、抗議者たちには当たらなかった、と彼女は言った。しかし複数の目撃者が、警察が抗議者数人を殺したと語った。イギリス軍兵士が警察を支援するために武装した車両で割って入り、彼女の話では少なくとも三発の爆発物が兵士に投げつけられたという。「爆発物を投げようとしていた」とされる一人の男は兵士に撃たれて死亡した。
群衆は分散したが、後に彼らの一部が戻ってきて、二発の爆発物を装甲車にむかって放り投げた。そのうちの一人を兵士が撃ち、明らかに負傷させた、と彼女は言った。緊張が続くなかで、もう三発が兵士に投げつけられた。
アル・ザハラウィ外科病院のサアド医師によると、6人が死亡し、少なくとも11人が負傷した。イギリス軍が5人の死亡と1人の負傷を報告されていると言った。イラク人警察とイギリス軍兵士には犠牲が出ていない。
一方、米第4歩兵師団の広報担当アバール少佐は、バグダッドの北方150マイルのキルクークで、ケンカの通報を受けた第173空挺旅団の兵士にイラク人警察二人が射殺された(9日)と発表した。二人はロングコートを着ていて、米軍兵士が来るともう一人の男と一緒に逃げ出した。米兵が三人に動くなと口頭で命じたあと、威嚇射撃をおこなった。アバールの話では、男たちが従わず、米兵は防御姿勢
をとって発砲したという。一人は拘束された。三人ともイラク人警察だと確認された。