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「自由な討論」を議員自ら捨て去ってしまった日本
アフガン戦争でも、イラク戦争でも、
民主主義国家であるはずのアメリカでは、
自由な議論、自由な討論がすっかり消えてしまっていました。
その理由は、あの「9.11」のショックから、
「テロ撲滅」の空気が国中を支配してしまったからだと思います。
そんななか「愛国法」がすんなりと通過し、
ブッシュを批判する者たちは「非国民」扱いをされてきました。
これが果たしてアメリカなのか?
そのおかしさをいぶかった人は、きっとたくさんいたことと思います。
「自由な議論・討論」は、民主主義社会の基本です。
かのイギリスの元首相、サッチャーも、
「民主主義の眼目は、率直で力を込めた討論である」と再三力説しています。
しかし日本の議会を見た場合、そこに自由な討論があるとは思えません。
たしかにそれらしく「やり取り」はありますが、
質問に対して全く答えになっていなかったり、
時間制限で中途半端に終わってしまったり、
とにかく、どう考えても「自由な討論」、それもサッチャーが言うような、
「率直で力を込めた討論」など全く実現していないと思います。
いったい、なぜなのか?
これに関して、小室直樹さんは『日本の敗因』で次のように書いています。
………………………………………………………………………
戦後まもなく、新国会法が制定された。
その第78条にいわく、
「各議員は、国政に携わる議員に自由討論の機会を与えるため、
少なくても2週間に1回その議会を開くことを要する」
これは「自由討論」と呼ばれ、デモクラシーの鍵だ。
だが、ほとんどの議員がとまどうばかりであった。
1回目の「自由討論」は、低級で感情的なヤジに終始した。
これに対し、田中角栄議員は、
「明治陛下も、よきをとり、悪しきを捨てよと仰せられましたごとく、
他議員の発表はこれを聴き、しかして、その賛否は自由なのであります。
おのれのみを正しいとして、他を容れざるは民主政治家にあらず。
それをもし一歩譲れば、戦時下におけるあの抑圧議会の再現を
見るのであります」(第1回議事録:昭和22年7月10日)
と絶叫した。
しかし、多数の議員は聞く耳を持たない。
「自由討論」である国会法第78条は空文化し、実益なしとして、
8年後の1955年、国会法第次改正で削除された。
空文化するか、そうでないかは、議員たちの見識にかかっていた。
自分たちの見識のなさを棚にあげて、「実益なし」などとは、
よくもいったものである。
こうして、国会における自由討論の芽は、育てられることなく、
双葉のうちに摘まれてしまったのである。
………………………………………………………………………
もしも…新国会法第78条が規定したように、
少なくても2週間に1回議会を開いて自由に討論、議論し合っていたとしたら、
もう少しまともな「議会」が実現していたように思います。
少なくても、ものを真剣に考える習慣ぐらいはついていたでしょう。
しかしその後の議会は、意味不明の作文?を読み上げる議会となり、
それこそ、居眠りしたくなってしまいます。
そしてその「作文」は「役人」が書いているのですから、
議員は「立法の権利」を役人たちに取り上げられてしまっています。
★参考↓
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=402
「立法」の権利を放棄し、その義務を果たさず、
しかも「自由討論」を自らの手で葬り去ってしまった議員たちは、
あまった時間を「族議員活動」とか「選挙運動」に投じています。
また最近ではテレビなどにも顔を出してコメントしていますが、
そういった時間と意見は、本来「議会」の場で行うべきでしょう。
今回の「イラク派兵」で、もし国会法第78条が定めたような議論が行われたら、
国民の多くが納得できないまま「派兵」といったことはなかったでしょう。
「自由な討論を、自ら捨て去った日本の国会」は、
「歌を忘れたカナリア」どころでなく「悲しい」気持ちにさせられます。
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=422