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戦後バグダッドの明暗 (Tokyo)
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投稿者 ああ、やっぱり 日時 2004 年 1 月 06 日 13:13:54:5/1orr4gevN/c
 

戦後バグダッドの明暗
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040106/mng_____tokuho__000.shtml

冬とはいえ、バグダッドの日差しはきつい。戦後の混乱が続く中、民衆の生活にもその光と影はくっきりと刻まれていた。旧政権が倒れ、関税機能がまひした結果、輸入で荒稼ぎする「にわか成り金」がばっこしている。一方、閉鎖された関税事務所には家賃高騰で住居を失った最貧層が寝起きしていた。焼け跡は勝ち組と負け組の冷淡な色分けで覆われている。 (バグダッドで、田原拓治、写真も)

涙ぐましいイラク人タクシー運転手の苦闘は過去の話になっていた。隣国ヨルダンとのトゥルビル国境。かつて、ここでは車を改造して別積みの燃料タンクを隠し、イラクではただ同然のガソリンを密輸する運転手とヨルダン税関との攻防が連日、繰り広げられていた。だが、そんな光景はいまやかけらもない。

「イラクではガソリン不足が深刻だ。公には二日で三十リットルの購入制限がある。闇市場で買えば、価格は二十倍だ」。傍らのパレスチナ人運転手があきれた口調で話した。バグダッド方向に十台以上のタンクローリー群が通り過ぎる。前後を米軍車両が護衛する。米軍も自ら使う油はサウジアラビアやクウェートからヨルダン経由で補っている。

逆に威勢を誇るのはヨルダン側の通関を待つ、バグダッドに向かうトラックの長い列だ。特に新車、中古車を満載したトレーラーの車列が目を引く。戦前には見たことがなかった。

「五月以降、もう五十万台はイラクに入ったんじゃないか」。ヨルダン側の国境職員が言う。「イラク側は車には戦前、60%の関税をかけていた。それがただになったんだ」

職員のたかりと煩雑な手続きで、悪名高かったイラク側の国境事務所は閑散としていた。重武装の米兵の後ろで「USイミグレーション」の入国印はほんの十秒で押された。

■衛星テレビや車扱い荒稼ぎ

国境でトレーラーに満載されていた車をバグダッドのアルバヤー地区で見つけた。ここでは百社以上のディーラーが密集して、巨大な展示場を開いている。

「戦前は月に十台もさばければよかった方だ。いまは、そうだなあ、四十台は堅いよ」。その一角でアッルールー(真珠)社のヌハード・アリー社長(45)は口元を緩めた。同社はドイツ車を中心に扱っている。

中古のドイツ製「BMW320」が米ドル換算で約三千五百ドル(三十八万円)で売られていた。戦前は五千ドルはしたという。アリー社長によると、同社はこの車をヨルダンのザルガ貿易区で二千五百ドルで仕入れた。

「売れ筋は千ドルから三千ドルの中古車だ。新車というわけにはいかない。客は特に金持ちというわけじゃない。中産階級さ。それにボロ車は維持費もばかにならない。新しい時代がきたんだ。買い物をして気分を変えたいのは当然だ」

「中産階級」といっても失業率は六割。多くの公務員は職を失ったままだ。だが、教師や医師たちは豊かになった。経済制裁を背負った旧政権下では、収入はせいぜい月に二十ドル程度。それが戦後、約百ドルまで上がった。彼らが顧客だ。

旧政権下では部品が入らず、フロントガラスの割れた車が普通だった。今はほとんど見かけない。

「日本車が一番人気なんだが、右ハンドルは法律で禁じられている。改造にはかなり金がかかるし、何とかならないもんかね」

車ディーラー以上に稼ぎまくっている人々がいた。電器商、特に衛星受信装置を扱っている業者だ。海外放送の受信は旧政権下では禁じられていた。関税と同時にそれもなくなった。

真新しい韓国メーカーの看板が並び、「バグダッド版秋葉原」の感もあるカラダ通り。アイサル・アブダッラーさん(38)は戦後、ここに店を開いた。

店先では、隣国シリア経由で到着したトラックから数百台の受信装置とアンテナが荷降ろしされていた。彼は受信装置の卸業者だ。

元は靴屋だった。副業で受信装置の闇業者もしていた。当時は捕まれば、懲役六カ月。二度ほど手入れを受けたが、逮捕は免れたという。「それでも戦前は正業と合わせて一日五百ドル程度の売り上げだった。それが、いまは一万ドルから二万ドルまで伸びた」
売れ筋は中国、韓国製の七十五ドルから九十ドル程度の受信セットという。これが数十単位で南部のバスラやカルバラなど地方の小売業者に次々と売れていく。

「もう数万台は売った計算だ。治安が悪いから店内と店外に二人ずつ、警備の人間を雇っているんだ」。実際、富裕商人の子弟を狙った身代金目的の誘拐事件は後を絶たない。これも戦前にはなかった現象だ。

日本社会に当てはめれば文字通り「億万長者」になったアイサルさんだが、言い訳めいた話もした。

「戦争を利用したなんて思わないでくれ。自分はサダム(フセイン元大統領)も米国も嫌いだ。今の抵抗運動は支持している。イラク人のプライドを踏みにじる米軍は消されるべきだ」

こうした商人たちは、いずれも多少の元手があったため成功した。一方、対照的なのは旧政権下で最貧層にあった人々だ。彼らにとって、旧政権の崩壊はさらなる窮状を招いている。

バグダッド市内のカスル・アブヤド地区。旧軍の徴兵センターなどの役所が点在する。職員はおらず、荒れ放題だ。その一つ、窓ガラスの割れた三階建ての関税事務所には、約八十家族が住みついていた。

離婚したシャヒール・アブドルアラールさん(43)は三人の子どもたちとここで暮らす。二十二歳の長男は露天商、十六歳の二男は靴磨きで一日数ドル分の日銭を稼ぐが、パンと少しの野菜を買えば残らない。肉はほど遠い。八歳の三男は知的障害を抱える。

■ガスボンベは数家族で共用

電気はない。厳寒期だが灯油もない。というのも、灯油の価格は戦後、約四十倍にはね上がった。調理用のガスボンベは、数家族で共用しているという。

旧政権は経済制裁下での最貧層の不満を和らげるため、家主に家賃の値上げを禁じた「家賃法」を施行していた。だが、これは戦後、消滅した。戦前、シャヒールさん一家も小さなアパートを借りていたが、家主が戦後、家賃の五割増を宣言。これがまかなえず、アパートを追われ、人づてに身を寄せた。

さらに戦前は、旧政権党バース党の地区組織を通じて、最貧層への「施し」があった。最低限の食料や祝祭ごとの寄付、加えて障害児への金銭援助も月に四ドル程度だったがあった。

しかし、こうした援助もバース党員が担った「モフタール」と呼ばれる末端の行政責任者の解任など、バース党組織解体を掲げる占領政策によりなくなった。

がらんとした旧政権の省庁に住みつく人々がどれだけいるのか、何の統計もない。地元紙の片隅には、半壊した旧テレビ局の建物で出産した若い母親の話が載っていた。

シャヒールさん一家を前に「言論の自由」を質問するのも、はばかられた。将来のイラクについて聞くと力なく、こう答えた。

「神様のみが知っているんでしょう。すべてが悪くなった。そして、新しい政府は何もしてくれない」

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