司会: | ...
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渡辺: | 皆様、ご心配して頂いた方々、あと、支援のためにいろいろ動いて下さった方々には心から感謝致したいと思います。
あまり私スピーチ得意じゃないんですけれども、そうですね、まずあの、イラクに、イラクで身柄を拘束されたときどういう状況だったかというところからお話したいと思います。
最初、私たちの場合はですね、最初の三人とは状況が違いまして、彼ら三人の場合は明らかに待ち伏せをされているような形で、いわゆる誘拐されたという風に言っているんですけれども、私たち二人の場合はそれとは状況が違います。
というのは、もともとですね、ファルージャの周辺地帯に取材に行くという道の課程でですね、いわゆる武装勢力といいましょうか、彼らが活動している範囲内のチェックポイントにはまってしまったという形になります。
というのは、彼らは戦闘状態を行っているレジスタンスのコマンドーなので、自分たちのエリアを守るため、あるいは、戦闘状態の中でのスパイが入ってくることを警戒するために、各ポイントポイントにチェックポイントを置いています。
それはいわゆるアメリカ軍とか日本の自衛隊が考えているようなチェックポイントの形とは若干違うとは思います。
彼らはゲリラ組織ですので、たとえば民家を利用したりとか、あるいは通行人を装ったりとかっていう形でもチェックポイントはあると思います。
ただ私たちはそういった状況に対する知識が若干不足していましたので、自分たちでも気づかないまま彼らのチェックポイントの中に入ってしまったということだと思います。
そして彼らは常に外国人のジャーナリストに対して警戒していましたので、その中で私たちが彼らに拘束されたと、いうことです。
彼らは私たちを捕まえた理由としてですね、こういうことを言っていました。
「君たちを捕まえたのは特に君たちが憎いからとかそういう訳ではない。ただ、君たちの国の政府は私たちの国イラクに、軍隊を派遣している。だから私たちは日本人である君たちを捕まえたのだ。」という風に彼らは言っていました。
で、何故ですね、これは良く聞かれるんですが、何故私たちが武装勢力から釈放されたのかと、いうことをよく聞かれるんですが、
特に彼らはそのことについて私たちには伝えてはおりませんが、他のですね、捕まった方々で、殺されてる方々もいらっしゃいます。
殺されたジャーナリストの方の例をとりますと、だいたい殺された方は自分たちの護身用のために拳銃を持っていたりとか、あるいは不審な動きをしたり、自分の、なんていうんですかね、自分のIDを偽って嘘をついたり、そういうことをばれたりとかね、そういうことがあると大体殺されてしまうということがありました。
私たちの場合はもう何も銃も持ってないし、自分達の経歴とかは全部素直に話していましたので、まず殺されるということの危険性はあまり感じなかったですね。
(カット:英訳部分はカットされてる模様)
あ、それとですね、私の場合はですね、ちょっと経歴が複雑でしたので、そのことについては正直に彼らには言えません、言えないことがありました。
というのは、私の経歴が元自衛官ということがありましてですね、このことを言ってしまうと、いかに説明しても通用しないと、彼らの、その場の雰囲気からちょっと判断しまして、これだけは言えないなと、思いましてそれは控えてましたけども、ただ自分のイラクに来ている活動の内容とか、そういったことだけはしっかりと話しました。
で、そうですね、それだけではないと思いますけども、私はどうしても最後まで「お前は絶対スパイだと思う」という風にみんなから言われてまして、なんで、どういう基準でそういう風に思っているのかということがですね、よく分からなかったんですけれども、
多分、思うにですね、自分の感情をなかなか私は出さなかったというか、なるべく喜怒哀楽をそこで表さないような形をしていましたので、おそらくおかしいと思われたんだと思います。
ただ、一緒に捕まった安田さんの場合はいろいろ子供とコミュニケーションをとったりとか、腕相撲をしたりとかしてですね、空手を教えてあげたりとか、そういうこともやっておりましたので、そこらへんはなんかこう、フレンドリーな関係を作っていたのだと思いますが、私のほうはちょっとあの、そういう、この場のシチュエーションをどう対応していいものか分からなかったものですから、自分から進んであの、なんていいましょうか、自分の感情を表に出すということがありませんでした。
ただ、最後の決め手になったのは、どうも私がほんとの最後の最後になって、これは殺されるかもしれないというときになってですね、えーなんでしょうね、ほんっとにもう最期だっていうときにやっぱりあの自分の感情をどうしても抑えることができなくて、あのなんていうんでしょうか、やっぱり、死にたくないというようなことも、ことをですね、言葉ではないんですけれども、あのーなんていうかな、まぁ、うーん、感情で示しましてですね、それはあのなんていうかな、やっぱり、人間ですので、そういう状況になれば涙もでますし、泣くこともありますが、
ただ、一緒にいる彼の手前、その場で泣くわけにもいきませんので(笑)、あのー、へへへっ(笑)、えーとまぁ、そうですね、「ちょっと顔を洗わせてくれ」と、いう風に言ったりとかしましてですね、あの、廊下、部屋の外にあるあの、桶があるんですけれども、そこに水が汲んでありましてそこでまぁ、顔を洗いまして、そこでまぁ、顔を洗うなりして、なんていうかまぁ、一応ですね、まぁ、本当にもうギリギリの、場合でしたので、状況下でしたので、まぁ、そういうこともやって、
まぁ彼らも多分見て、多分分かったと思いますね、「あ、こいつ顔洗ってるけど本当は泣いてるんだな」という風に思ったかどうか知らないですけど、まぁでもまぁそういった状況もありまして、それでなんとなく感情を、自分の本当の気持ちというが出ちゃったなという風に思ってました。
(カット)
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渡辺: | それで結局私たちは解放されたわけなんですけれども、解放されてからがですね、自分たちの身の上があまり信じられなくて、えーと、本当にあのー、自分たちは自由になれたんだろうかとか、またどこか別な場所に連れて行かれるんじゃないだろうかとか、そういう不安はありました。
そしてそれはもちろん、あの、イスラムのモスクで解放されたときもそうでしたが、本当にここで解放されたんだなという実感はその場ではあまり沸いて来なかったですね。
まぁ、それで本当にまぁ自分たちが解放されたんだという実感が沸いたのは、アンマンでメディアの方達を相手に記者会見をやったときに、言いたいことが言えるようになったなということで、それで本当に自由になったというそういう実感が沸きました。
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安田: | こんにちは。この度日本に帰国しました、安田純平と申します。よろしくお願いします。本当にあの大勢の皆さんにご心配頂きましてこの場をお借りしまして改めて感謝したいと思います。ありがとうございました。
まずですね、今回どうしてあの地域に行ったかというところをですね、まずお話したいと思うんですけども。
四月に入りまして、ファルージャ周辺でですね、米軍の激しい掃討作戦が始まりまして、一週間程度で数百人が死亡したというふうに報道ありましてですね、そうした中であの3人の人質事件が起きたと。
私あの、バグダッドの市内で反響といいますか、市民の皆様の意見を聞いてまして、その中で「おまえあの3人の日本人を心配して来たんだろう。」と。「それは分かる。」と。もちろん「心配である」と。
一方でその、「何百人と死んでいるイラク人のことはどう考えるのか」ということを言われまして、もちろん私としてもですね、3人の皆さんをとても心配しましたけれども、その一方で現場にいる私としましては、その、イラクでもともと何が起きているのかと、もともとのその本質をですね、そのファルージャ周辺で起きている掃討作戦があって、それを背景にですね、今回の3人のケースがあるだろうと、いうのを考えましたので私としてはその現場、何が起きているかというものをですね、見なければいけないだろうと考えました。
その中でファルージャ周辺というのは米軍が包囲をしてまして、入るのは難しいだろうと。
で、その一方でそのさらにですね、ファルージャだけではなくて停戦期間中もその周辺の村々にも空爆をしていると、いうことで周辺地域からも住民が逃げてきていると、言う話を聞きました。
ということで、どの当たりまで、緊張状態が続いているのかと、あるのかと、いうものをですね、まず周辺をこの偵察しようということで出発しました。
もちろん最終的な目標というのは、ファルージャなんですが、今回につきましては、まずは偵察しようと、あわよくばまぁ、先まで行ってみて、行けるとこまで行ってみようというのが今回の趣旨でした。
それでですね、住民がですね、アググレイブ周辺まで逃げているという話も聞いていましたので、その当たりであればまだ動けるだろうという甘い考えもありましてですね、えー、着きまして、実際はその戦闘地域の周辺の、準戦闘地域といいますか、そういう範囲に入ってまして、彼らの説明しました通り住民が検問というものを作ってましてその中にひっかかってしまったと、いうのが今回のケースだと思います。
拘束中の扱われ方なんですけども、まず最初に拘束した人たちというのは覆面をしてませんでした。
ほんとに一般の服装をしてまして、町中で全く、臆することなく普通に、当然のように拘束しまして、そのまま目隠しされまして車で15分ほど走りまして民家に移りました。
民家なんですけども、その、小さい子がお茶を持ってくるんですね。その小さい子というのは黙っていられないと思いますので、本当に隠すならば、子供はシャットアウトするとすると思うんですね。ということで、おそらくその地域の中で、えと、まぁ、公認といいますかですね、了解された行為なんだろうというのが前半部分の印象でした。
(カット)
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安田: | やはりその生活の場でですね、処刑であるとか、いうことは無いだろういう風に考えまして、まずその、子供の姿を見て安心しましたですね。
で、えー、一件目から一時間しまして、二件目の農家に移りました。農家というのが本当に見渡す限りの農場の中の一軒家、一軒家というか、ありましてやはり地域の人がこう、入れ替わり立ち替わりやってくると、いう状況でして、そこで一泊しました。
そこではですね、非常にこう食事もいいものがでまして、大皿にレース(ネース?)が山盛りになってチキンが乗ると。農場で収穫したキュウリとかトマトとかそういった新鮮なものが出てきまして、朝はですね、ホットミルクが出てきます。
非常にこう、食事に関しましては非常にこう、歓迎してるんだなという印象は受けましたです。
(カット)
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安田: | まずですね、その緊張状態というのはですね、あの非常にこう危険といいますか、いう認識がありましたので、まず「彼らのしている覆面の仕方を教えてくれ」という話から始まりまして、それからその、「農場の牛で乳搾りをさせてほしい」とか、そういったおかしな事をいろいろ言いまして、「こいつはなんかおかしなやつだな」といういう風にまず思ってもらおうという、努力は最後まで続けていました。
(カット)
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安田: | 農家の中で、そういう生活といいますか、ずっとおりましたので、まず、入れ替わり立ち替わりこう、訪問者がくると。
そうしますとこの地位の高い人は座ったままで、低い人は立って迎えるわけですね、で全員と握手をすると。
そういった中に小さい子も参加してまして、普段は雑用なんですけども、挨拶にはこう参加できると。非常にこの、小さな子が大人扱いをして貰える瞬間といいますか、本当にこう、部族社会にこう入り立てで、こう少しずつ勉強していくと、いうですね、その小さい頃からそういった秩序というのものを勉強しているのだと、いう、ま、背景といいますか、そういうものを見ることができました。
それから小さい、3歳だか5歳だかという小さい子もお祈りに参加してまして、お祈りのこの意味というのはおそらく分からないと思うんですけれども、小さい頃から参加して、集団の中で生活して、日々神に感謝すると、いう生活をずっと続けているということで、この、彼らのこの精神構造といいますか、いう中にこの部族社会というものと、信仰心というものが強く築かれていくと、いう背景というものが見られまして非常にこう興味深いなと、いう風に私は思い始めました。
(カット)
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安田: | そしてあの、背景を見ていきますと、よく抵抗しているのは一部のテロリストであるとかですね、もしくはサダム政権の残党であろうと、いう言い方をされるんですが、私たちが接した範囲ではですね、いわゆるその地域社会、地域に住んでいる住民達であると。
住民、住民ー、がですね、自分たちの社会といいますか、生活を守るために戦うのだという印象を私は受けています。
いわゆるレジスタンスと言ってもいいのではないかと、いうみなさんであろうと。
(カット)
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司会: | Thank you, ...one question, please...
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質問(英): | ...Japanese press ...
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字幕: | Q.メディアが人質バッシングしている理由はなんだと思いますか
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安田: | (ひそひそ)何故なんだろう…。私たちに言われてもねぇ…。
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渡辺: | …。
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渡辺: | 難しいなぁ。
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通訳(英): | Mr.Yasuda said ....I wonder why?
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渡辺: | 多分私もあの、日本のメディアに聞きたいところなんですけれども、多分それは、彼らも仕事ですので、えー、なんていうかな、やっぱり日本政府の流れと、日本の政府の、なんていうんですかね、ポジションと別の流れの方向をやっている人たち、たとえば、自衛隊を支持できないとか、自衛隊をイラクから撤退させろと、言っている人たちに対して、そういう人たちに対するプレッシャーがあるのだと思います。
で、何故メディアがそういうプレッシャーをかける側になってしまっているのかというとですね、それはあの、すべてがそうではないと思うんですけれども、ただどうしても、日本政府の要望に沿った、日本政府のコントロールを受けているっていうところの、というのをまぁ、彼ら…、なんていうんでしょうかね、そういうコントロールを受けているんだと思います。
(カット)
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安田: | そうですね、この…、どうしてもこの、犯人側といいますかですね、相手側の要求というのが政治的な要求でしたので、
ご家族もですね、どうしても政治的な要求をせざるを得ないといいますか、その家族を心配するために、どうしてもその感情的になる面もあったろうと。その中でその、自衛隊は撤退して欲しいとかですね、いう表現をしたんだろうと。
私としてはその、家族は心配してますのでしょうがないだろうと思うのですが、どうもそうは思わない皆さんもいるようでですね、政治的な発言に対しては政治家であるとか、いろんなみなさんがご批判をし始めると。
そういった中でそういった意見が増えてきまして、増えてくるとどうしてもそれを、使わざるを得なくなると、いうのがメディアの、どうしても性格なのかなと。
それから、私の実家の周りにもメディアの皆さんが大勢いらっしゃいまして、「息子さんをイラクに送った、親の責任をどう考えるのか」と。
(一部から笑いが起こる)
いう質問をされまして、あの自己責任、あの、まぁちょっと、自己責任という言葉、私も理解してませんでですね、日本のこの自己責任というのは家族の責任も含めて自己責任、なんだろうかとかですね、いういろこの日本社会にわたくし興味を持ちまして、えー、へへっ(笑)
(一部から笑いが起こる)
自己責任という言葉がどこまで考えて使われているのかなというところですね、私もちょっと非常に、このー、難しいなといいますか、注意しなければいけないのかなという風に、私は思ってますけれども。
(カット)
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質問(英): | ..medias
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字幕: | Q.人質になった皆さんを日本国民はどう思っていると感じますか
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渡辺: | そうですね…。んー。まぁ、私はこの間、一度実家に帰りましてまた東京に戻ってきたんですが、その間電車の中でみんな私の顔を見て「あぁっ!」と言う人が結構居ましてですね、そういう人たちが時々私に対して話しかけてくるんですが、その「人質事件に対してどう思う?」とか言ってくるんですけれども、そうですね、彼らー、たとえば、年を取ったビジネスマンの方なんですが、
その人が言うには、なんていうかな、「やっぱり、三人の場合の、最初の親の言い方がどうかな」という風なことを言ってくる人も結構いました。
というのは「いきなり『自衛隊を撤退せよ』という言い方はどうか」という風に、疑問を持ったような言い方をしてくるんですが、私は全然そういうふうに、全然疑問、それを別におかしいとは全然思っていないですね。
なぜならあの状況下でまぁそういうことになってしまったので、まぁそれ自体は、親が言うことは全然おかしいとは思っていませんでした。
まぁ中にはね、そういう風に政府寄りな見解を持ったビジネスマンは結構いるかもしれませんけれども、私のところに来る電話だとか手紙、えー、たとえばインターネットのメールでもそうですけれども、すごい皆さん励ましてくれましてですね、「よく言ってくれた」と、あの、ね、「なんであんなことやったんだ」という人も中には居ますけども、政府に対して普段私たちが言えないことをまぁ、よくまぁあんなところで言ってくれたという風に、あの、やっぱ「ありがとう」という風な形で、激励してくれる人が沢山いました。
で、メディアはあのー、三人の家族とか、に対して「自己責任だ」だとか「お金を払え」とか言ってますけども、それはもうごく一部の人たち、一部のメディアだと思ってますんで、少なくとも私たち二人、私自身に対してはそれほどプレッシャーは感じてないんですが、あのー、そうですね、日本のやっぱり、社会の全体の流れからいえば、最近はどちらかというと、小泉政権は、あのー、どうい、微妙な立場というか、ぶれてますね、言い方が。
あのー、地方の都、知事とか、あのー、三つの知事でしたっけ?えー、三つの県の知事とかが、やっぱりあのー、政府のやり方、外務省のやり方、あー、「お金を払え」とか言っているのはちょっとおかしいんじゃないかと、三人に対する自己責任なんていうのはやっぱりおかしいよ、というようなことを言ってくるような人たちが、どんどんどんどん出てきています。
これからも多分、日本の世論がですね、どういう状況だったのか、三人が捕まったとき、あるいは5人が捕まったときはどういう状況だったのか、政府が本当は何をやってくれていたのかということが、だんだん情報として伝わってくると思います。
そうなった中で、日本の世論がですね、やっぱり小泉政権おかしいよと、アンタの言ってることはおかしいんじゃないかと、いうようになってくるとは、思いますが、これからですね、そういう状況、私自身も、NGO活動家ですので、そういう状況はつくって行きたいとは思います。
(カット)
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質問(英): | Can you....
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字幕: | Q.戦争や現状に対するイラク国民の反応は?
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安田: | えー、なかなかその、イラク人のそれぞれの立場によって違いますので、一概には言えづらい部分があります。
もちろん、少なくない人達がですね、この、サダム政権が倒れたという一点については、戦争を肯定するという言い方をする人が今でもいます。もちろんそれはいるんですが、その中でその、戦争による被害者というのも大勢いますので、そういう皆さんですと逆に、戦争によって家族を失ったと、戦争を肯定することはないわけですね。
それからその、今現在生活そのものが非常に厳しくなったと、いう方もおりまして、物価も上がってますし、非常に治安が悪いと、いうことで生活し辛くなったと。
サダム政権下ではものが言えなかったのは確かだと、だけども生活はできたんだと、そういう意味で生活しやすかった以前のほうがよかったと言う人もいますですね。
うーん、えー、そうですね、アメリカが入ってきて良かったと、いう意見はですね、今現在あまり聞くことが無くなりましたですね。
非常にこの、掃討作戦によって、理由も不明瞭なままに拘束されるとかいろいろケースありますので、そいった直接的ななんといいますか、不信感といいますか、恨みといいますかですね、いうものが少しずつ広がっているということと、その復興事業というのが実際ほとんど進んでないいだろうと、いう見方をしている人も多くてですね、何をしに来たのかと、本当にこう、こう…、まイラク人を殺すために来たんじゃないかという風に思うような人もいますので、なかなか、そうですね…
たとえば電気がですね、停電が多いのがですね、この、ま、アメリカの企業がメンテナンスをこう担当すると、いうなかで、部品をですね、自分の会社の部品に変えると、いうことで、このチェックの時間が非常にかかるとかですね、こう余計なこの、時間がかかってしまっていると、いうことで、電気の供給が十分でないと、いう人がいました。あの、メンテをしている人ですね。
その一方で、この電気の需要度が非常に増えてまして、電化製品が非常に売れてますので、両方の面で復興してないわけですね、電気に関しては。
そうなんですけれど、そのイラク人の中ではですね、やはりこのアメリカ人の復興というものが進んでないんだと、いうこの印象といいますか、いうものを持っているようでして、いろいろな問題というものをアメリカが入ってきたせいであると、いう見方をしているのかなというのもありますですね。
(カット)
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質問(英): | ...Japanese press...
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字幕: | Q.報道機関が記者をイラクから退避させていることをどう思いますか
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安田: | んー、まその、メディアがですね、スタッフを出しますと、フリーランスには仕事が回ってくるということもありまして、そういった事情もある訳んですけれども、あのー、そうですね…、やはり、今回のケースと似ていて、この、何かあったときに責任を問われると、いうことは個人であっても企業であっても問われると、基本的には100%に近いくらいにリスクが、えー、すいません、零に近い具合にリスクを下げられなければ動かないという、報道の目的と言うよりも、まずは、まー、企業で言いますと、社員を守らなければいけないということがまず大前提になってまして、その、報道機関であるということと同時にその企業であるというかですね、ということを優先させたんだろうと、まぁ、事情と言うことはそういう事情なんですけれども。
えー、そうですね…。やはりその、なにかあった場合にその責任をですねやはり、自分ではなくてその、フリーにかぶせるということも可能であるという、部分もあると思いますので(テロ朝か〜)、中にはですね、スタッフが撤退した以上フリーを使うわけにはいかないという風に判断したところもありますので、ま、それかなと。
やはりこの、現場の皆さんとお話していますと、現場のほうの取材をしたいという風に皆さん思っていらしたんで、やはりその、報道に関わる人間、としましては現場の取材をしたいというのが皆さん考えていて、それが必要であると、いうのがジャーナリスト個人の考えではないかなと、日本においてもですね。
(カット)
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質問(英): | ...Last Samurai(w)...
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字幕: | Q.日本の支援活動の宣伝をしてくれた人質に外務省は広報料を支払うべきでは?
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渡辺: | まぁそうですね。確かに自衛隊に払ってもらいたいとは思います。
ただ、そうなっちゃうとあのやっぱり外務省も民営化してもらいたいと私は思うんですけれどもね。
あの、三人の人質が捕まった時点でですね、その、世界的にイラクの中で自衛隊がどのようなことをやっていたかとかということが、インフォメーションとして伝わってきて来るようになったというお話を伺いましたが、そうですね、自衛隊というのは、イラクの人たちから見たらですね自分たちの国に日本の軍隊が武器をも、日本の軍隊が、来ていると、いうことは、すごくですね、なんていうか、今まで信用していた国の人たちが、なんでそんなこ、アメリカのね、旗の下でもってそんなことをやるのかと、いうような人たちも、まぁ、います。
ただ、ごく一部のサマワに済んでいる、ごく一部の人たちは、日本の自衛隊が来てくれて、浄水活動もやってくれて、橋も作ってくれるんだろうなと、いうような期待もすごく持っている人たちも、ごく一部ですがいますが。
ただ、イラク全体からみると、やはりイラク人は、何故自分の国に日本の軍隊が来ているのかと、アメリカのコントロールで、アメリカと一体になって、何故来ているのかと、いう疑問の方がものすごく大きいと思います。
で、そういったなかで、積もり積もったこう、積み重ねてきたイラク人の不満なり、占領状態に対する不満、アメリカの抑圧に対する不満、そういったものと、そして、何故自衛隊、日本の軍隊が私たちを裏切るような行為をするのかというような不満、そういうものが積み重なって、今回の日本人の誘拐事件、というものが起きてきたと思います。
(カット)
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安田: | あ、えーとですね、イラクに投資したものが、実るかと、それが私自身にかかってまして、祈るようにがんばりたいと思っています。
えー、そうですね、自衛隊のPRになったというお話がありまして、(間違いを指摘される?)自衛隊違う?あーあー、はい(下向いたまま頷く)、…えーとそうですね。
んー、今回のケースで、えー、イラクの国内でもですね、その、えと今回のケースとからめてその、日本が何をしているかということとは、ニュースで流れてましたので、いわゆるその、場所によっては日本は、えー、企業が来ているのだろうというような勘違いも今でも一部ありますので、そういうところがまた、一つつづこう、解消されて、そうするなかで、本当に、では、イラクのためになっているのかということがですね、改めて今イラク人の中で考えられているのだろうと、思いますので、本当に、今後のこの日本政府の振る舞いに、よるのかなと、相手がどう判断するのかというところもですね、これからどうしていくのかというところも改めて、しっかり考えていかなければな、と思います。
(カット)
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質問(英): |
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字幕: | Q.解放された時の状況を詳しく教えて下さい
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安田: | そうですね、えーと、まずですね、えー、拘束されていた家を朝の7時頃に出発しまして、そのときは目隠しをされまして、乗用車の後部座席に座らされまして、外から見えないように伏せろと、言われて、出発しました。
で、一時間ほど走りまして、「降りろ」と言われて降りまして、「しゃがめ」と。で、そうしているうちに車が走り去りまして、でー、代わりの人が来るかと思いましたら、来ないと。で目隠しをはずしたところ、誰もいないと。
サッカーコートの半分くらいの空き地に放置されてまして、これは一体どこなのだろうという風に、まずとまどったという状況です。
で、すぐ後ろにありました門が開きまして、その家の方が来ましてですね、「中入れ」と、言われまして中入りました。
よくよく聞いてますと、その方というのはラマ教会のスタッフの方なんだろうなと、いうことでして、おそらくその拘束していた人の方から教会の方に連絡をつけて、その場所に落とすと、いうことで、事前にそこに待機して欲しい、ということを言ったんだろうと思います。
そこで朝食などを頂きまして、しばらく待ってますと迎えの車が来まして、そこに乗って教会のほうに向かうと、教会に向かう際も最初の十分ほどは目隠しをして見えないようにする、ということでした。
その落とされた場所なんですが、聞きますと市内の、市内であると、市内のほんとの村のはずれのほうであると、聞きました。
えー、そこで落とされまして、教会の方へ向かうと、いう話で車を走り始めましてですね、彼らが私たちを運搬中に米軍に見つかると、彼らが犯人であると思われると、いうことで米軍の姿を見かけるとこう逃げながらですね、教会まで運んだと、いうことですね。
おそらく教会のこのスタッフに渡されたのがその家だろうなと…、ですよね?(渡辺氏に確認)ではないかなと思ってます。
本当にこの、解放されたという風に感じたのは、うーん、そうですね、やはりそうですね、えー、家に落とされて、車で走り始めてこう、目隠しを外していいと言われて外すと渋滞に巻き込まれていて、これは間違いなく市内の真ん中のほうに向かってるなと、いう風に感じましたので、そのときはこれは本当に解放なんだな、という風に、私は実感しました。
(カット)
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質問(英): | Hello....
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字幕: | 今回の事件によって日本のNGOは活動しにくくなると思いますか
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渡辺: | そうですね、まず、それをまず答える前に、イラクでの日本の外務省、イラク大使館の私たちに対する扱い方について少しだけお話したいと思います。
えー、まず、その先ほど言われました通り、私たちがモスクで解放されましてですねラマ教会の人たちが、がいむしょ、あ外務省じゃない、日本大使館に連絡して迎えに来るようにという話をしたんですけれども、私たちはあの、日本大使館に私たちの身柄を預けるということは、まず自分たちで、それはあの、「やめてくれ」と、「日本大使館と一緒に戻りたくない」と、いうようなことは言いました。
で、それは何故言ったかというと、それは私たちがこれまで活動してきたなかでいろんなイラクの人々、イラクの住民とですね、関係を持ってきて、取材の手助けをしてもらったりとか、日常生活の助けをしてもらったり、そういう人たちとの関係がありますので、もし私たちが日本の大使館なんかと一緒に行動しようものならば、今度ゲリラ側が、バグダッド市内に住んでいる私たちのお世話をしてくれたイラク人たちに何をするか分からない。
そういう状況も当然考えられましたので、私たちはとりあえず大使館と一緒には行かないで、まず最初に自分たちが済んでいたアパートに帰りたいというような気持ちを、ラマ教会の人に伝えたのですが、やっぱり大使館は大使館としてのメンツもあるでしょうから、どうしても私たちを連れて帰りたいと。
で、今大使館の人が説明するにはですね、「今イラクはとても危険な状態なんだよ」と。どこが危険なのかって。バグダット内、バグダッドの中がどこがそんなに危険なのかって私は不思議に思いましたが、まぁ、そういう風に説明をしましてですね、「外には出れないんだ」と、いうようなことも言っていました。
でも実際、私たちが捕まった後でも平気でバグダッド市内やサマワとかで活動している日本のNGO、あるいは日本だけじゃない、あの、世界中のね、アメリカでもそうですしドイツでもドイツ人でもそうですし、多くの国々のNGOやジャーナリストが活動しているんですから、そんな外国人にとって、そこまで日本の大使館員が危惧するような、危険性を感じるような状態ではないと、いう風にはもちろん思ってましたので、なんでそこまで考えるのかなと。
つまり、これは、日本のng、大使館、外務省、日本の政府の考えている、自分たちの意見、自分たちの政策に反対のことをやっているNGO活動家に対する、いわゆる締め付けである、という風に私は思います。
なぜならば、まず最初三名が誘拐されました。三名に対する誘拐の犯行声明がゲリラ側から出されましたが、そのなk、その犯行声明が「自衛隊を撤退せよ」それを受けた3人の家族がそれを(写メール音?)、犯人の要望を受け入れてくれと、政府に要求しました。
なぜならば、家族は当然自分の身内が助かって欲しい、と思います。生きたまま焼き殺されるなんてことは誰も望んでいないはすです。
ですから、それを正当な家族の権利として政府に訴えただけなんですよ。それを政府が自分たちの政策に反対する動きを日本人の家族が言っているという風に受け取ってしまったんですね。つまりゲリラ側の代弁者であるかのごとき扱いをしてしまったわけです。
それが、その後に続く、日本人の3名の人質が、戻ってきた後に続く彼らへのバッシングに繋がってきている訳だと私は思っています。それが自己責任論だとか「お金を払え」だとかいう、バッシングに繋がってきて、日本政府のNGOに対する弾圧になってきていると思っています。
ですから、まぁいいや、とりあえず、(通訳か司会に)すいません。
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質問(英): |
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字幕: | Q.イラクでの自衛隊活動について
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渡辺: | 私たちに対して、特に私に対してだと思いますが、政治家が「反日的である」と、いうようなことも言っています。
それについては私は別にね、「どうぞ言ってください」という感じで、「反日で何が悪いんでしょうか」という、そういうつもりですので、「ご評価して頂いてありがとう」と、そういうつもりですが。
それとまぁ一つ、自衛隊がサマワでどういう活動を、どのようなね、どのようなレベルの活動をやってきているかというようなことですが、今はね、今の状況はですね、多分、戒厳令というか、ものすごい厳戒態勢に入っておりまして、自衛隊は基地の中から一歩も出られない状況になっていると思います。
ただ、私が取材していた時期は、比較的、治安…、治安はサマワは悪かったですが、比較的ですねそのような、自衛隊に対する攻撃が無かったので、彼らも自由に外には出、自由にというかですね、まぁ、パトロールをしていました。
で、彼ら自衛隊が市内のパトロールということとか、あるいは自衛隊の幹部が、サマワの要人の家にですね、事務的な話し合いとか、あるいは何かの打ち合わせ、政治的な、打ち合わせとかですね、そういったことに行く場合は必ず護衛もついて行きますので、そういう護衛の動きとかよくウォッチング☆ミしてましてですね。
たとえば、あれが、あのような、護衛の仕方だとか、パトロールの仕方、警備の仕方を、あれをもし日本の国内でやったら自衛隊の立場、自衛隊のありかたというのは、多分ものすごい問題になると思います。
というのは、もちろん自衛隊の行動というのは日本の国内で、法律で、制限されておりまして、あのようなですね、銃を持って、銃を持って民間人に銃口を向けながらパトロ、あの警戒をしたりですとか、あるいは機関銃の銃座を、実弾を装填して町中平気で走ったりとかですね、そのようなことをもし日本でやったらどうなるのかなと、いう風にまぁ、ちょっと、思いまして。
私自身もまぁ、初めて、そういう、自衛隊がそのような行動をしているというのをサマワで見たときはちょっとびっくりしましてですね、「自衛隊もここまでやっちゃうのかな」という風な感じを、印象を受けました。
自衛隊のある患部が、町中のある著名人の家を訪れるときなんていうのは、その家の周りにですね、もう警備のための自衛隊兵士がですね、銃を控えて見張りについてるわけですね。
その脇を自衛隊の装甲車ががっちり守って、その装甲車の上では機関銃を構えた兵士が睨みを効かせているという状況でした。
で、いやぁこんなことまでやっちゃったら多分日本の国内ではものすごい問題になるだろうなという感じを受けましてね。
これを多分見たイラクの国民、イラクの民衆、あの人たちがですね、どう思うかですね。ま、当然こいつらアメリカと同じだなと、アメリカがやっているスタイルと同じ事をやっているじゃないかと、いう風にもちろん思うのは当然でしょうね。
で、ただ、まだ、かろうじてですね、自衛隊が、ま、米兵みたいな形で攻撃を受けていないかとか、あー、ま、もちろん、迫撃弾は飛ばしますけれども、まだ自衛隊員が直接、殺されたりしていないかということ、多分私思いますに、まだ自衛隊員は一度もイラク人に対して銃を発砲していないと、それがまぁかろうじて唯一の救いになってるんじゃないかなと、いう風に思います。
もしですね、イラクの、サマワにおける自衛隊へ攻撃がですね、もっと激化してきた場合、まぁ、私はちょっとあの自衛隊員がどういう行動を取るかですね、これからが、多分、あの、これからが、よく、注意して見ていく、監視していく必要があるんじゃないかなと、いう風に思っております。
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安田: | 今回、拘束されまして、銃口を向けられまして、スパイ容疑をかけられまして、銃口を向けられるというのは非常にこう気分が悪いんだなぁと、その疑われるというのは非常にあの気分が変わるものだなぁと、実感しまして、銃を持って支援をしているということにつきまして不満を感じる人というのは居るだろうと感じます。
それから先ほどの質問なんですけれども、NGOですね、日本政府として今後支援を増やすかということはあまり考えられないかなと感じていますけれども、一方でですね、たとえば今回のイラクにつきましては、日本、国として支持をした戦争であり、占領体制であると言う中でいろいろ影響は出ているわけですね。
その中で政府として支援、復興事業出来る範囲というのは、限られてますので、日本国の市民の中にはですね、そうではないこの、支援があるだろうと、いう風に考えて、NGOにかかわろうとする人も出てくるだろうとは思うんですね。
どうして現場で支援が必要であるかというところをですね、もっとしっかり議論をしなければいけない、はずなんですが、今回のケースではですね、イラクで何がおきているかと、いうところにあまり焦点が向かなかったと、いうところが若干あの残念だなという風に思っています。今後の議論を期待しております。
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江川紹子: | フリーランスのジャーナリストの江川です。拘束されていた間のことについてお伺いします。拘束者の日本政府に対する意見は分かったのですけれども、民間の日本人に対する感情はどうでしたでしょうか。そしてその感情が、お二人の待遇や、早期の解放に関係していると思いますか?
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安田: | そうですね、ヨルダンの親日感情といいますかですね、一般の日本そのものへの、こういうイメージというものは相変わらずいいんだろうなと感じました。
広島、長崎という話が毎回出まして、ああいった歴史があるのにどうしてこうアメリカに従うのかと。そういう考え方は相変わらずしてますね。
それから、私の車は日本車であると、いう話をし始めまして、最後はその日本はいいところかと、イラクと日本とどっちがいい見たいな話をし始めまして、で、この日本に対して非常に興味を持っていると、いう印象ありました。
今回の三人のケースのですね、ニュースも非常に流れましたので、その日本の一般市民がイラクで何かしらのこの支援をしようとしているんだと、いうイメージが非常に今回広まったんだろうなと、思ってます。
私はそのジャーナリストなので、半分やじ馬みたいなものなんですけれども、そういったその、実際の中でこのー、支援活動をしていらっしゃる皆さんが大勢いるということと、その、過去の日本とイラクとの歴史というかですね、いうところもいろいろ含めまして、非常にこう、いい印象をもってもらったんだろうなと。
で、実際その扱われ方からですね、あの含めまして、非常にこういい、丁重に扱われましたので、おそらくその日本人への、日本人へのですね、日本人、えぇ、そうです、日本人へのこのー、いい印象というものがあって、ああいった紳士的な対応をしてもらったんだろうなと、私は思ってます。
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司会: | Thank you very much...
(拍手!) |