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(回答先: テスト: 郵政民営化 投稿者 やみ 日時 2004 年 9 月 01 日 23:25:05)
あっしらさん、はじめまして。
あっしらさんのご投稿は常々拝読しております。やぶからぼうで失礼しますが、以下の質問にご回答頂ければ幸いです。
以下に引用しますが、郵政民営化と国債に絡む話題で、田中某という輩が発言をしています。
この発言の内容は何を狙いにしているのでしょうか?
国債に化けている一般市民の貯金を日銀に移して、スーパー安心10年貯金とかいう名前で安心させておく。でも、その実、米国債(10 year Treasury Note等)に化けちゃっている、という構図になる可能性は考えられますか?
話題として既に取り上げているものでしたら、注意不足をご容赦ください。
7月20日に開催したシンポジウムで発表した郵政民営化についての報告書、そしてシンポジウムの結果、私が感じたことを述べたいと思います。前回に引き続きまして郵政民営化についての2回目の問題提起ということになります。今日は、焦点を簡保と郵貯で保有している国債の問題にあててみたいと思います。
現在日本の個人金融資産の1/4が郵貯・簡保という棚に置かれています。そしてこの巨額な郵貯・簡保によって、発行されている国債の1/4が保有されているということになります。国債は日々取引されているわけですが、誰しもどういう金融資産構成にするのかというときに、国債の流通利回りが大きな意味を持っていることはご存知のとおりであります。変なことがなければこれだけの収益率が上がる、しかしもしものときにはそれが裏切られるかもしれないというようなリスクが多い金融資産を持つ場合に、リスクが小さい国債の保有に比べて当然高い期待収益率を持つのが当然でしょう。そういう意味では国債の流通利回りというものが大きな意味をもっているわけです。これが資本市場において貫徹しない限りにおいて、国民の金融資産選択に歪みが生ずる可能性が非常に大きいというふうに考えられます。
問題は、この郵貯・簡保によって保有されている国債がこれだけ大量ですと、運用の改善を求める郵政公社の一挙手一投足によって、大きな値動きが起きてしまうという不安定性にあります。また公社の立場からいえば、あまりにも巨額であるがゆえに、売るにつけ買うにつけ、マーケットに影響を与えてしまう。自分はその他大勢のうちのひとり、という立場に立てそうにないのが郵政公社だという問題があるわけです。
郵貯・簡保の政府保証が今後外れるという民営化の過程を考えてみます。郵貯も簡保もバランスシートは相当程度ふくらみ過ぎているわけです。これが収縮していく過程を長期モデルといいましょうか、均衡モデルとしては皆考えているわけですけれども、その過程を本当にうまく設計することはできるのだろうかという問題があります。
私はこういう問題を考えるときにふと思い浮かべるのは、大英帝国の撤収過程です。一旦は7つの海を支配した大英帝国は、国力の総体的な低下とともに、7つの海から次第に撤収し、基本的には英国周辺というところにまで撤収をしていくわけです。アジアにおいても、香港とかシンガポールとかあるいはその他のネットワークも含めまして大きく広がっていたわけですが、これが次第に撤収していく過程がありました。ユニオンジャックの旗が降ろされながら撤収する。しかもその撤収を行っても英国本国にも影響が少なく、また撤収していく地域においてもあまり影響が出ないように、ということを設計することはかなり難しいことだったと思います。確かに英国人はこの撤収作戦というものを上手く仕上げたのだと思います。イギリス社会が根底から覆るような、あるいは不安定化するようなことはありませんでしたし、イギリスが撤収していった地域においても秩序が本格的に根底から乱れてしまうということは避けられたわけです。そういう意味では名誉ある撤収が完了したわけです。上手くいったと言えるわけですが、郵貯・簡保も実はそういう宿命を帯びているのではないか、というのが私の仮説です。現在のように個人の金融資産1/4、発行されている国債の1/4を保有する、こうした巨大な存在になることはそもそも意図されてはいなかったでしょう。しかし結果的にはこういうことになってしまった。でもここからは撤収を開始せざるを得ないわけです。
既に申し上げましたように、規模がもっとスリムなものに、バランスシートが収縮したものになりませんと、日本の資本市場に大きな影響を与え、結果として日本の資本市場を裏切ってしまう。われわれは高齢化社会を迎えておりますので、定年後に20年とか25年とか平均的にはあるわけですが、その期間はわれわれは投資家の目でわれわれの社会を見ざるを得ないわけです。ということは日本の資本市場がちゃんとした枠組みを持ったものでなければ、われわれの立場はいつ損なわれるかもしれないという危機があるわけです。
郵貯・簡保がその規模を大幅に、しかも粛々と収縮させていくというテーマはきわめて重いと思います。そしてそれがうまく設計できるのかという問題があります。先程の英国の撤収論との対比でいいますと、英国が撤収するときに秩序が大きく乱れなかったのは、他方でアメリカが世界の警察官として世界の秩序維持になにがしかの役割を果すという対価があった、そういうカードがあったからこそこれが実現したという面があるわけです。郵貯・簡保の撤収作戦とでもいうべき、郵貯・簡保のバランスシートの収縮過程において一旦はどこかで平和裡にといいましょうか、秩序を乱さないかたちで受け止める棚が要るのではないかというふうに考えております。
このテーマは非常に重いテーマでありまして、日本の資本市場を21世紀の初頭においてどういうかたちで改革していくのか、そのためにはどういう当事者がどのような役割を果すのかという非常に大きなテーマを今申し上げているわけです。私は日本銀行がこの役割を果たすということは有り得るのではないかというふうに思っております。それはこれまで郵貯・簡保についていました政府保証が外されることを通じて、あるいは完全な名寄せが行われることを通じてバランスシートがかなり小さなものになることは十分予想されることです。この場合、郵貯あるいは簡保の負債側も資産側も同時に収縮していくわけですが、このことは現在郵貯・簡保に保有されている国債が流動性を求めて、平たく言いますとマーケットで売られてそして他に回るかたちになっていくことが想定されているわけです。
われわれの社会は国債の発行量というものが大変大きなものになりました。そして累積残高についても極めて大きなものになっております。長期国債だけをとりましても、近々500兆円に近づくという水準になってきているわけです。これが郵貯・簡保の棚からマーケットに何の思慮もなく次々に放出されるということになりますと、やはり不安が起きることは間違いありません。既に全体として、現在日本の景気は回復基調にありまして、この回復軌道はしばらく続くというふうに考える人が次第に増えてきています。そういう意味でも国債の流通価格は下落しがちであり、それぞれ保有されていた国債が市場に少しずつ売りに出てくるということは多くの人がある種想定し始めているときに、一斉に棚から外されて市場で売られるということになります。出口はひとつ、皆がその出口に殺到するということになりますと、郵貯・簡保の会計も傷みますけれども、それに巻き込まれた、例えば日本の民間金融機関あるいは機関投資家というところにも大きな、思わざるロスが発生するという意味において、経済の撹乱要因になる可能性があるわけです。皆が出口に殺到するという状況を意図的につくるという愚は避けなければなりません。
どこかでうまくこの問題が処理される、問題の深刻さゆえに政府当局者あるいは中央銀行を含めまして、この問題が統一した司令塔のもとによく配慮して吟味されたなかで撤収作戦が行われるということが、日本の資本市場を構成する人々によって受け止められる必要があるわけです。これは隠密作戦であってはならないと、私は思います。もちろんそういう議論が始まること自体がマーケットに影響を与えるという人もいますけれども、誰も考えてはいないというようなことでは困るわけです。誰かは少なくとも真剣に考え、しかも国家のあり様について真剣な眼差しで日々視線を注いでいる人の中に、こうした問題を粛々と撤収する郵貯・簡保というものを考える人がいる。そのときに例えば郵貯・簡保の棚から中央銀行である日本銀行の棚に移すことも考えられる。
もちろん簡単には移すことはできません。日本銀行の棚もまたバランスシートの拡大というかたちで、負債も資産もここのところ急速に拡大してきているわけですから、簡単に郵貯・簡保の棚から日本銀行の棚に移すというわけにはいかない。しかしここはそれでも工夫の余地がある。皆がみな、ひとつの出口に殺到するということを避けて、マーケットでの売り買いをひとつの回路として回避するかたちで棚から棚に移動が行われていれば、出口に殺到するということは避けられる。ということは、出口に殺到した人もあるいは殺到しなかった人もすべて問題に巻き込まれるわけですから、そうした状況を避けるという手は有り得る。
ただしその場合にはおそらく外為会計のバランスシートが異常膨張しているということにも触れなければならないでしょう。これはドルに対して円の過剰な値上がりが起きないために、政府短期債務を増やしながら、これでもってドルを買い続けるという操作が行われてまいりました。このため外為会計には、バランスシート上債務が拡大する、政府短期証券の発行が増える、そして一方では米国国債の保有が増えている。こういうバランスシートの拡大過程が見られたわけです。日本国国債の保有者が静かに棚を変えるときには、この外為会計も少し使わざるを得ないのかもしれないというふうに思っています。即ち政府短期証券がここまで拡大しているのを防止する、圧縮するというテーマと、それから日本銀行が郵貯・簡保の棚から国債を市場を経由しないかたちで契約を通じて、市場価格をreferしながら市場価格に「マーク・トゥ・ザ・マーケット」というかたちで値段を合わせながら移行させていく、という撤収作戦が郵貯・簡保の民営化のときには私は真剣に考えられる必要があるというふうに思っています。
これが国会での議論に馴染むものなのかどうかということになりますと、多少の専門性が必要だということもありますし、そもそもキャピタルマーケットのことを経済当事者ではない、いわば政敵も国会内において存在するという枠組みにおいて、この問題を諸方面から議論して、いわばボコボコにしてしまうということがあってよいのかどうかという問題も含めて、少し議論が開始されるべきではないか、というふうに思います。郵貯・簡保の民営化ということは、政府保証を外すことでありますし、完全な名寄せを行うこともこれも郵貯・簡保のバランスシートを圧縮することであります。そうしたプロセスにおいて、出口に殺到してけが人が出ることを避ける。けが人はなにも殺到しない人も含めて損失というかたちで生れますので、こうしたかたちで日本経済が大きな打撃を受けるということを避ける必要があるのではないでしょうか。
このように申し上げますと、それでは民営化なぞしなければよいではないか、民営化しようと言うからけが人が出るかもしれないという話になるのだろうと言われる方があるかもしれません。しかしもし民営化をしない、今のままこのまま放置するということになりますと、これぞ先送りの最たるものであって、今日申し上げた例で言えば、国力が総体的に低下しているのに、撤収に伴って起きるマイナスが心配だからと言って撤収しないでおくということになります。伸びきった戦線のまま疲弊は全体に及ぶという、最も望ましがらざることが起きるわけでして、郵貯・簡保をこのまま放置し、政府保証をつけたまま日本の資本市場を歪め、その是正策もない、という日本の市場に対する信頼は時間とともに落ちてくると考えるべきでしょう。そういう意味では放置したままは有り得ない、しかし撤収には多少の知恵も要るし、できれば戦略とでも言うべきものが組み上げられる必要がある。そうした議論がこれから少なくとも専門家の間ではもっと集中的に行われる必要があるのではないかと思っています。
終わり