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その昔、僧侶は医者であり学者であり教育者でありマスコミ(情報発信
者)であった。大戦中、陸軍軍人より海軍軍人のほうが開明だったと聞く。
外の世界の情報に接する機会が多いからである。今、情報に多く接する者
と言えばインターネットをやる人々だろう。
阿修羅の場合他の板からIT板にたどり着く人の方が、IT板→他の板
のパターンよりも圧倒的に多いとは思う。しかし、技術馬鹿になりたくな
い人は、下記のような記事を読むことはとても有益だろう。今現在、自分
たちがどういう世界に生きているかを意識することは、セキュリティにつ
いて考える時などとても大事なことだと思うからである。どういう世界に
生き、さらに外の世界への問題意識を持つかどうかで、同じセキュリティ
情報に接するにしても、気づきも理解の深さも全然違ってくるはずである。
これは、小生自身の体験と実感である。
ブッシュ再選のために食い止められたイラク総攻撃【田中 宇の国際ニュース解説】
http://www.tanakanews.com/e0508iraq.htm
2004年5月8日 田中 宇
アメリカのイラク占領が混迷を深めている。ここ1週間ほどの間に立て続けにいろいろなことが起こり、事態を整理して解説するのが間に合わないほど、動きが速くなっている。
動きのベースにあるのは、イラク統治のやり方をめぐる、アメリカ中枢における、タカ派(ネオコン)と中道派の対立である。対立している点の一つは、7月に誕生するイラク人の暫定政権の首脳ポストに誰を就任させるかをめぐるもので、タカ派は、ネオコン系のイラク人アハマド・チャラビを暫定政権の大権を握る首相に就任させることを狙っている。中道派は国連を呼び込んで対抗し、国連がイラクに送り込んできたブラヒミ代表が7月以降の首相や大統領の人事を決定する形にした結果、対立が深まった。
4月20日の私の記事では、タカ派の方が強そうだと書いたが、その後中道派が意外と強い状態になっていることが分かってきた。新首相には、チャラビではなく、ブラヒミが選んだマハディ・ハフィド(Mahdi Hafez、現イラク統治評議会・計画担当相)という人物が就任する可能性が強くなってきたからだ。その一方でチャラビに対しては「アメリカの重要機密をイランに売り渡したのではないか」という疑惑がかけられ、政治的に弱体化させられている。(関連記事その1、その2)
新首相になりそうなマハディは、フランスのルモンド紙の取材に対し「イラクの新政権は(アメリカを通してではなく)、直接に国連と協力してイラクの再建を行っていくべきだ。国連は、イラク再建のあらゆる政治プロセスに関して(アメリカを通さず)直接イラクに関与してほしい」と述べている。彼が提起しているのは、アメリカ抜きのイラク再建の構図である。マハディは、かつて国連で働いていた経歴を持ち、国連主導のイラク再建を率いるにふさわしい人物となっている。
▼「ファルージャ防衛軍」の茶番劇
もう一つ、中道派が優勢になったと感じられるのは、米軍が挙行したファルージャ包囲戦が急に尻すぼみになったことだ。米軍は、ファルージャのゲリラを潰すどころか、ゲリラをイラクの正規軍の一部として容認し、サダム時代の将軍を司令官に据えて米軍は撤退するという意外な新戦略を打ち出し、実行している。
ファルージャ包囲戦は3月末、米軍の下請けをしていた傭兵4人を乗せた自動車が地元ゲリラに攻撃され、市民が遺体を引き回したことに端を発している。米側は激怒し、市内の有力者に対し「4人を殺して引きずり回した犯人を引き渡さないとファルージャに総攻撃をかける」と勧告した。遺体を引きずり回したのは群集心理によるもので、犯人を特定せよと求めるのは無理な要求だった。(以前の記事で指摘したが、そもそも傭兵4人が殺された経緯も、米軍がわざわざ危険な地域に4人を行かせた疑いがある)
米軍は、4月初めに攻撃を開始したが「勝つ」ことができなかった。ゲリラを攻撃しようとすると一般市民が巻き添えになり、米軍は「虐殺」をしていることになる。米軍の中からは、虐殺になってもいいのでファルージャ中心街に侵攻しようとする動きと、それはまずいので市民側に何か譲歩させて政治的に対立をおさめようとする動きが交錯して現れた。(関連記事)
米軍がファルージャ中心街に侵攻し、一般市民が虐殺されると、ブッシュ大統領の再選が危うくなる。ファルージャを包囲していた海兵隊がまさに中心街に突入しようとする直前になって、ホワイトハウス(大統領府)は、侵攻しようとする米軍を止めるため、ラムズフェルド国防長官にも、占領軍政府のブレマー長官にも相談せず、直接ファルージャ現地の米軍司令官に指令を出し、市民側と停戦合意を結ばせ、旧イラク軍の将軍を立ててゲリラを合法化する措置をとった。
4月29日、ファルージャ郊外に駐留する米海兵隊のバーン司令官(Brennan Byrne)は、1100人のファルージャ市民を組織して「ファルージャ防衛軍」を新設し、そこにフセイン時代のイラク軍の元将軍を司令官として任命し、彼らがファルージャの治安を守り、ゲリラを掃討すると発表した。このことがイラク発で報じられた直後、ワシントンの国防総省の広報官は「そんな決定はなされていない」と否定した。(関連記事)
ところが実際には、現地の司令官が発表したとおりの展開になり、5月2日には地元ファルージャ出身の旧イラク軍のジャシム・ムハンマド・サレハ少将(Jasim Muhammad Saleh)が防衛軍の司令官に就任した。しかも、当初は「市民の部隊は米軍の指揮下に入る」と発表され、ファルージャの市の南側を市民の部隊が守備し、北側は米軍海兵隊が守る「共同戦線」になっていたが、実際には南北両側の海兵隊が撤退し、米軍はファルージャから総撤退する様相を見せている。
「ファルージャ防衛軍」を構成するのは、米軍が前日まで戦っていた武装市民のゲリラ組織である。アメリカは、この地元軍組織が米軍に代わって「ゲリラ」を掃討するのだと発表したが、防衛軍そのものが昨日までゲリラだったのだから、これは茶番劇だった。アメリカは、ゲリラを合法化するという「弱腰」な方針転換を隠すために、茶番の構図を作ったのだろう。(関連記事)
▼国防総省の暴走を止めた選挙参謀
米軍の攻撃を止めたければ、ブッシュ大統領が現場の軍司令官に直接命令するのではなく、ラムズフェルド国防長官に命令すればいいはずである。そもそも、米軍がファルージャの武装市民に言いがかりをつけて総攻撃をかける時に、国防総省から大統領に説明があるのが筋で、その時点で大統領が選挙にマイナスだと思ったら中止させればいいだけのことだ。
そうならなかったのは、以前から国防総省は、大統領にもきちんと説明せずにイラクでの占領を進めていたからだと思われる。イラクでの行政面の最高責任者である占領軍政府のブレマー長官も、ラムズフェルド国防長官の指示を仰ぐ指揮系統下にあり、ラムズフェルドは軍事と政治の両面のイラク統治の権限を握っている。
権限はラムズフェルドが持っているものの、彼はイラク戦略立案の主要部分を、ウォルフォウィッツ国防副長官、ダグラス・ファイス政策担当国防次官ら、省内のネオコンの人々に頼ってきた。アメリカのイラク統治は事実上、ネオコンが仕切ってきた。これに対し、中道派の国務省やCIAなどが修正を加えようと動いていたが、かなわない状態で、ブッシュ大統領はラムズフェルドとネオコンのやり方を支持してきた。
米軍のイラクでのこれまでの動きを見ると、米軍はイラク人をわざと怒らせ、イラク人のなるべく多くを「反米テロリスト」と呼べる範疇の存在に押しやることで、イラク戦争を長期化し、戦火をシリアやサウジアラビアなど中東全域に広げ、40年続いた米ソ冷戦並みの長い「文明の衝突」を、世界を巻き込んで実現しようとする戦略を持っていたように見える。ファルージャ包囲戦はその一環と考えられ、包囲戦が続行されていたら、イラク全土に反米闘争が広がり、米軍の兵力は足りなくなり、6月末の政権移譲も不可能になっていた。(関連記事)
この事態は、明らかにブッシュ大統領の再選を難しくする。そのため中道派に加え、ブッシュの選挙参謀であるカール・ローブも国防総省のやり方に反対するようになった結果、ファルージャに対する米軍の戦略が劇的に変化することになったのだろう。
カール・ローブは、イラクの再建を国連に任せる戦略にも関与したと指摘されている。ブッシュ大統領は、11月の選挙までに「イラク戦争を成功させた」と言える状態にする必要がある。もはや軍事中心の方法で成功が難しい以上「イラク再建は、国連がやった方がうまくいくと分かったので、アメリカは引くことにした」と言いながら、米軍をしだいに撤退させるのが良い。そうローブは考え、昨年秋から、国連への協力を要請することをブッシュ大統領にアドバイスしてきた。(関連記事)
対抗馬となる民主党のケリー候補は「私なら国連に協力を要請し、イラクの泥沼化を防いでみせる」と言ってブッシュを批判してきたが、ブッシュが国連に協力してもらう方針に転換すれば、ケリーの主張を無効にしてしまえる。
▼うまく立ち回るCIA
ファルージャ包囲戦が劇的に終わった話には続きがある。米軍から、ファルージャ防衛軍の司令官に任命されたサレハ少将が、その日のうちに解任されてしまったことである。サレハは、湾岸戦争直後に起きたシーア派とクルド人の蜂起をフセイン政権が残虐に鎮圧した作戦に参加していたため、シーア派やクルド人の諸勢力からすぐに猛反対の声が上がった。米側はその日のうちにサレハ少将を解任し、代わりに「フセイン政権に楯突いて投獄されたこともある」という触れ込みのモハメド・ラティフ(Mohammed Latif)を司令官に任命した。(関連記事)
ラティフは、イラクの旧政権の諜報機関で働いていた経歴を持ち、イラクがまだ親米国だった湾岸戦争以前、イギリスの陸軍士官学校(サンドハースト)に留学していたと自ら述べている。彼は、ここ数年はイラクとロンドンを往復していたと述べているが、こうした彼の経歴から「英米の諜報機関(CIAなど)のエージェントだったに違いない」という指摘がなされている。
ラティフ=CIA説を発しているカリフォルニア大学のトム・プラーテ教授によると、CIAは以前から、新生イラクで旧イラク軍やバース党の幹部らを活用すべきだと主張しており、ブッシュ大統領が国防総省(CIAを敵視してきた)のファルージャ包囲戦をやめさせることを決めたとき、代わりの作戦としてCIAがブッシュに認めさせたのが、ファルージャのゲリラを合法化し、旧イラク軍の将校を司令官にするということだった。(関連記事)
最初に司令官になったサレハは1日で罷免されたが、その後も彼は新任のラティフの副官として、そのまま地元軍を指揮している。そして、その上官にCIA要員のラティフが就任したことで「旧イラク軍を復活させ、その指揮をCIAがとる」というCIAの構想が実現したことになる。
911後に急速に肥大化した国防総省は、CIAの諜報担当としての権限と、国務省の外交権限の両方を奪取しようと画策し、かなり成功していた。だが、イラクの泥沼化をブッシュが嫌ったことを利用して、CIAと国務省は巻き返しにかかり、ネオコンによって冷や飯を食わされていた国連とも組んで、国防総省からイラク再建の主導権を奪い返した、というのが最近の流れとなっている。
米側が和解路線に転換した後、米側がこれまで主張していた「ファルージャでは外国からきたアルカイダが戦闘を仕掛けている」という話も間違いで、実はファルージャには外国勢はほとんどおらず、ゲリラは武装した市民だったという指摘も出てきた。ファルージャゲリラ=アルカイダ説は、イラク戦争を「テロ戦争」の中に位置づけたい国防総省が発していた主張だが、もはや和解路線に転換した以上、こうしたプロパガンダはむしろ邪魔なので、間違いでした、ということになったようだ。(関連記事)
イラクに関してはこのほか、アブグレイブ刑務所での囚人虐待問題や、その余波としてラムズフェルド国防長官に辞任を求める声の高まりなど、いくつものことが起きている。次回もイラクのことを書く予定だ。
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