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(回答先: Re: テスト 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 4 月 24 日 16:24:37)
緊急手記 拘束の3日間 安田純平(3) チキンで晩さん「ムスリムの客」 反米支える豊かな農村部族民【東京新聞】紙から
満天の星が瞬いていた。午後十時を過ぎると電気が途絶え、室内は暗く蒸し暑くなる。私たちは拘束場所の民家の家族とともに、草原へと移動させられた。じゅうたんを四角く並べ、マットレスに身をゆだねる。人々の間を、涼やかな風が通り抜けていく。なんと豊かな時間だろうか…。
"人質"映像を撮られた民家から目隠しをされ、拘束から一時間後、私と市民運動家の渡辺修孝さん(36)は二軒目の民家の一室にいた。奥行き十b、幅五bほど。広さはほぼ同じ。屋外には見渡す限りの農場が広がり、牛が草を食(は)み、鶏がうろついているのが見えた。
荷物はすべて没収された。ここがどのあたりなのか、見当もつかない。時間だけは、壁の時計で知ることができた。監視役として、私たちの傍らに座ることの多い家主のひざの上では五歳の男の子が寝ている。近所の子どもたちが珍しいもの見たさに集まってくると、家主が追い払った。近隣から続々と人々が訪ねてくる。ここでも拘束の事実は地域の中で了解済みのようだった。
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部屋の一番奥に私たちが座り、壁際に人々が並ぷ。全員が男性だ。誰も銃は持っていない。席順は年齢や家格などの「地位」によっており、入り口前の末席にはこの家の十歳ほどの少年がいた。
ハイダルと呼ばれる彼は客人が来るたびに水やお茶を運んでいる。しかし、客人が全員と握手を交わす際には、必ず参加する。その顔からは、大人とみなされる喜びのようなものがうかがえた。こうして部族社会の秩序を学んでいくのだろう。
家主らに「何をしに来たのか」と質問をされた後は会話もなくなった。相手はわずかな英単語を知っている程度。こちらのアラビア語はそれ以下だ。家主は「くつろげ」と身ぶりで言ってくれるが、沈黙はよくない。そこでアラブの布クフィーヤを使った覆面の仕方を教えてもらった。大喜びした家主は、客人が訪ねてくるたびに「やってみせろ」と私を促す。やってみせると、部屋に笑いが広がった。
午後七時四十五分、お祈りが始まった。日没の時間だ。十五人ほどが横二列に並んで立ち、年配の男性の声に合わせて祈りの声を上げ、「アーミー」と合唱する。イスラム教スンニ派の礼拝だ。そこに五歳の男の子も参加している。自然の中に暮らし、幼いころから日々神に感謝をささげる。強い信仰心が養われていく背景を見た気がした。
夕食は大皿料理。直径五十aほどの金属皿に炊き込みご飯が山盛りで、その上に焼いたチキンがいくつも乗っている。ほかにソラマメの入ったトマトスープ、きざんだトマトとキュウリ。ほとんどが農場でとれた新鮮な野菜だ。家主と長男、私たちを拘束したメンバーAと料理を囲んだ。
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「ソーリー(すまない)」と、Aが苦笑いしながら言った。ムハンマドと名乗る彼は「これは拘束ではない。客人として招いているのだ。通常はムスリム以外と食事をすることはないが、同席しているのが証拠だ」と言う。日本人三人を人質にしたグループを、高名な聖職者がとがめたことから「人質ではない」と強調したかったのだろう。
食後に移動した草原の星空の下で、新たに訪ねてきたイラク人男性が英語で言った。「米軍の攻撃で千人を超える死傷者が出ていることを知っているか。われわれの生活を脅かすならば、戦う」
ファルージャ一帯では米軍への激しい武力抵抗が行われている。闘争を支えているのは豊かな農村で、独自の秩序を持つ部族社会に生き、強い信仰心を持った、こうした農民たちなのだろう。いつしか私は、取材者の目で彼らを見つめるようになっていた。