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(回答先: Re: test 投稿者 転載バカボン 日時 2004 年 3 月 09 日 01:39:34)
第11回
教育基本法と読売新聞
今回は、教育基本法の改変を主張する読売新聞に対する私の批判を紹介します。どうぞ、御覧下さい。
2004年3月5日
問題は「公」を強調する読売新聞自身が「公」の意識が薄いことである。例えば、低金利で資金を調達し、その資金を調達金利の十倍以上の高金利で顧客に貸し付けることで莫大な利益を得ている消費者金融業者(「研究報告・第31回・上限金利の引き下げこそ構造改革だ」参照)が「公」の意識を持っているとは到底考えられないが、こうした消費者金融業者の広告を読売新聞は連日のように掲載している。「公」を強調するのであれば、新聞の一部である広告の出稿企業が「公」の意識を満たしているかどうかについても、精査すべきである。
読売新聞は「公共心と社会的規範」を重視しているようだ。であるなら、国家試験である一級小型自動車整備士技能検定に対する組織的なカンニング工作(トヨタ自動車社員が事前に知り得た筆記試験問題を系列販売会社に漏洩)を行ったトヨタ自動車に対して、広告出稿停止を含めた厳しい措置を行うべきである。ところが読売新聞は何事もなかったかのように2004年1月1日、9日、10日にトヨタ自動車の全面広告を掲載している。あまりにも11日付の「社説」の内容と矛盾している。
さらに、奥田碩(ひろし)・トヨタ自動車会長は、経済財政諮問会議委員、日本経団連会長という要職をも務めているが、自企業が国家試験を冒涜(ぼうとく)し、日本経団連が定めた企業行動憲章(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/cgcb/charter.html)を無視したにもかかわらず、この職に居座り続けている。その上、2003年12月8日には、一期二年の任期が切れる2004年5月以降も会長を続ける意向を表明している。読売新聞が主張する公共心や社会的規範から逸脱する行動だ。しかし、読売新聞からは奥田氏に対する批判は聞こえてこない。不思議な話である。
また、同様のことが読売新聞と深い関わりを持つ日本テレビ(日本テレビの筆頭株主は読売新聞グループ本社、第二位の株主は読売新聞グループ本社代表取締役会長の渡辺恒雄氏。渡辺氏は日本テレビ取締役。水上健也・読売新聞グループ本社代表取締役経営戦略会議議長は日本テレビ監査役)についても言える。日本テレビでは、2003年12月にプロデューサーが視聴率を上げるために視聴率調査対象世帯に対する働きかけをしていたという不祥事が発覚したが、行き過ぎた視聴率主義が不祥事の背景にあるにもかかわらず、経営トップの氏家齊一郎・代表取締役会長は「道義的責任」などと他人事のような発言を行った上、代表権の返上すら行わなかった。また、この問題を追及していた雑誌社を記者会見から排除するということも行っている。読売新聞は不祥事そのものは批判したが、氏家氏の言動や雑誌社の排除を批判することはなかった。氏家氏の経歴には「読売新聞東京本社・監事」が含まれるが、これは一体どういうことなのだろう。「公共心と社会的規範」はどこに行ってしまったのだろうか。
確かに読売新聞が言うような「心に深い『闇』を抱えた若者」は存在する。しかし、そうした若者はごく一部であって、多くの若者はそうではない。さらに言えば、「心に深い『闇』を抱えた若者」はいつの時代も存在した。そうした前提に立つことが何より大切だ。また、近頃、電車やバスに乗っていると、若者がごく自然にお年寄りに席を譲る光景を目にする。読売新聞が言うような問題のある若者ばかりではないのだ。むしろ、問題のあるのは、自らを律することもできないトヨタ自動車や日本テレビの上層部ではないか。
こういうことは海外に生産拠点を移す大企業に対して言ってもらいたい。こうした大企業は、日本国内の雇用を減らす一方、中国や東南アジアに生産拠点を移して、日本の産業空洞化を推進している。こうした大企業には愛国心のかけらもない。自分さえよければいい、利益第一と考えているのだ。愛国心を唱導する人々に、こうした現実的に日本国に被害を及ぼしている大企業への批判という視点がないのは残念だ。
また、これは余談だが、中国を重視する政治家や政党を「反日」として糾弾する右派論客(注:読売新聞はそうではない)は多い。しかし、中国に生産拠点を移す大企業を「反日」と糾弾する話を聞いたことがない。不思議な現象である。
読売新聞は家族の重要性を指摘しているが、自らが推奨する政策が家族の崩壊を促す可能性があることを知っているのだろうか。家族の安泰の重要条件の一つが「安定した雇用」並びに「安定した経済力」だが、経済戦略会議や総合規制改革会議はこれを突き崩す「不安定雇用の促進(非正社員の拡大)」や「税制の改変(高所得者や資産家の税金を減らし、低所得者の税金を増やす)」を提言してきた。そして、この「家族の崩壊を促す政策」を主張する両会議を読売新聞は激賞し続けてきた(下段注)のである。家族の重要性を言うのであれば、「主たる働き手に安定した雇用と十分な賃金を与えよ」と主張するべきである。
下段注
経済戦略会議が発表した「日本経済再生への戦略」に対する読売新聞の意見→「テキストは出来た。日本経済をどう再生させるか、あとは実行がすべてだ。」(1999年2月27日付読売新聞「社説」)
総合規制改革会議の「規制改革の推進に関する第1次答申」に対する読売新聞の意見→「政府は、法改正を要しないものは年度末の計画改定を待たず速やかに実施し、法改正を要するものは、来月召集される次期通常国会で法案の早期成立を目指し準備に全力を挙げる必要がある。」(2001年12月12日付読売新聞「社説」)
総合規制改革会議の「規制改革の推進に関する第3次答申」に対する読売新聞の意見→「政府は、最終答申を受けて、新たな推進計画を策定し、規制改革を加速していく必要がある。」(2003年12月23日付読売新聞「社説」)
アメリカに対して何もものを言えないような屈辱的な現状では、「日本人としてのアイデンティティー形成」どころの話ではない。「米国の一極支配下で、世界の安定は、米国がどこまで指導力を発揮するかにかかっている。」(2004年3月5日付読売新聞「社説」)などと言っているようでは話にならないということだ。世界に冠たる文化と言語を持つ国として未熟なアメリカ合衆国を教育・指導するぐらいの気概が必要である。また、「よって立つ国家と文化を確認」するためには、欧米の文化を礼賛するマスコミ界の体質を、それこそ「構造改革」する必要がある。欧米の映画賞を日本の映画賞より高所に置いているようではいけないということだ。
「個人を超えたものが存在することを自覚せよ」、「社会に貢献する気持ちを持て」というのが読売新聞の主張だが、これは今までの読売新聞の主張とは大きく異なる。
読売新聞は、すでに恵まれた立場にある高所得者や資産家の税負担(所得税、相続税、贈与税、土地関連税制、投資関連税制)を軽減させることを一貫して主張してきた(下段注)。しかし、上記社説のような読売新聞の主張からすれば、高所得者や資産家に対して、「恵まれた立場にあるのだから、『個人を超えた存在である国家』のため、より多くの税金を負担すべきだ」、「より多くの税金を負担するという形で社会に貢献すべきだ」と言うべきである。子供にばかり社会貢献を押し付けるのはおかしい。
下段注・・例えば、1998年4月21日から4月29日まで掲載された「経済危機7つの提言」(http://www.yomiuri.co.jp/teigen/9804/9804top.htm)。この中で、読売新聞は「日本の高い所得税を嫌って海外に移り住むベンチャー企業経営者や芸能人など」を擁護し、こうした事態を避けるため、所得税を引き下げるべきだとしている。こうした読売新聞の論調はおかしい。もし、前述の人々が金を主目的として海外に移住しているのであれば、読売新聞が主張する「祖国愛」、「愛国心」「公共心」、「『家族や国など、自分を超え、自分を支える共同体の価値』に対する意識」が欠落していると言えるからだ。読売新聞は、こうした人々にこそ、「祖国愛」、「愛国心」「公共心」を説くべきである。
これまでの文章で、読売新聞が掲げる「祖国愛」、「愛国心」「公共心」、「社会的規範」が高所得者や資産家、大企業には適用されないことがおわかりいただけたと思う。今後も、美しい言葉の裏側を厳しく注視していく必要がある。