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(回答先: 尖閣諸島は、1972年に沖縄とともに返還された。自衛隊一個小隊を、交代勤務で駐留させるべし 投稿者 TORA 日時 2004 年 3 月 27 日 19:55:24)
---------------Japan On the Globe(152) 国際派日本人養成講座
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_/ Common Sense: 今日の南沙は明日の尖閣
_/
_/ _/ 米軍がフィリッピンから引き揚げた途端に、
_/_/ 中国は南沙諸島の軍事基地化を加速した。
-----------------------------------------H12.08.20 27,009部
■1.日本近海で活発化する中国海軍の活動■
昨年以来、日本近海での中国海軍の活動が活発化している。
最近の動きをリストアップしてみよう。
・平成11年5月、日中間の領土問題となっている尖閣諸島の
魚釣島の北方110-260キロの海域で、フリゲート艦、ミサイ
ル護衛哨戒艇など13隻が活動。
・同7月、同海域でミサイル駆逐艦、ミサイルフリゲート艦な
ど10隻が活動。
・12年3月、鹿児島県・奄美大島北西360キロの海域で、
中国海軍のミサイル駆逐艦2隻、ミサイルフリゲート艦1隻
が活動。
・平成12年5月中旬〜6月上旬、中国の情報収集艦が、約3
週間、日本の本州、四国、九州の周辺海域を一周、わが国の
対馬海峡、津軽海峡を含む日本周辺海域の海洋調査、および
各地に展開する自衛隊基地および米軍基地の通信情報の収集
などを行ったと見られる。
海上自衛隊の調査では、11年度に東シナ海の日本の二百カ
イリ(約370キロ)の排他的経済水域内などで、中国海軍艦
船は8回31隻、海洋調査船は15回23隻が発見され、増加
傾向にある。[1]
■2.問題は尖閣諸島■
日本側は国連海洋法条約に則って、領海や排他的経済水域で
の軍艦や調査船の活動は日本の同意なしには認められないと抗
議したが、これに対して中国側は「正常の活動であり、問題は
ない」と相手にしていない。
問題は、中国側が日本の排他的経済水域を認めていない点だ。
日本側は日中の中間線を排他的経済水域の境界としているが、
中国側は尖閣諸島を自国領土とし、それと石垣島の境の「沖縄
トラフ(海溝)」まで主権が及ぶとしている。[2]
ここで尖閣諸島の帰属が問題となるわけだが、南シナ海での
領海紛争は中国の手口を調べるのに、好適な先例である。まず
こちらを見ておこう。
■3.南シナ海を海上要塞化■
中国最南端、海南島の南南東に、計34の小島や岩礁などか
らなるパラセル(西沙)諸島がある。73年にベトナムからア
メリカ軍が引き揚げた後をついて、翌年、中国は駐留していた
ベトナム軍を武力で排除して実効支配した。現在は、旧式戦闘
機が離着陸できる約2600mの滑走路に、衛星通信ステーション
などの通信施設まで備え、部隊が常駐する軍事基地となってい
る。
南シナ海の中ほどに浮かぶスプラトリー(南沙)諸島は、中
国、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、台湾が領
有権を主張している。そのうちのジョンソン(赤瓜)環礁など
6カ所を中国は1987年から88年にかけて占拠し、軍事施設を構
築した。米国がフィリピンのスービック海軍、クラーク空軍の
両基地から撤退した92年以降、進出に拍車がかかる。93年には、
ペンシルベニア・ノース(陽明)環礁など6カ所に中国の建造
物があることが判明した。
95年2月には、ミスチーフ環礁で中国が高床式の兵舎を建て
て占拠態勢に入っていることをフィリピン政府が確認して抗議
をしたが、無視された。[3]
ミスチーフ環礁では、現在、対空砲や対艦砲、ヘリポートま
で設置され、大型艦船停泊が可能な突堤も建設されたことが写
真撮影されている。フィリピンの抗議に対して、中国は「漁民
の避難用施設」と強弁している。
■4.世界で最重要のシーレーンを勢力下に■
スプラトリー諸島に中国が半永久的な軍事施設を設けた結果、
海域のほぼ全体が中国監視網内に入ることになった。中国は19
92年2月に領海法を制定し、南沙諸島海域は同国の領海であり、
軍に「(同諸島周辺の)領海侵犯者を実力で退去させる権限」
を与え、外国艦船が同海域を通過するさいに中国の許可を必要
とすると一方的に宣言している。[4]
マラッカ海峡から南シナ海のスプラトリー諸島海域にかけて
は世界で最も重要なシーレーンといわれ、世界の貿易の15%
がこの海域を通過している。特に日本の場合、全貿易量の5割
が同航路に頼っている。中近東からの石油タンカーはこの海域
を通過するので、それが中国の内海となれば、我が国のエネル
ギー供給は中国に首根っこを押さえつけられた格好となる。
アメリカとしても、同海域での中国の膨張を傍観していられ
ない、という意思を持ち始めたようだ。米海軍戦略センターは
米国船の通過も多く、「海峡の自由航行は米国にとっても戦略
上、最重要である」と指摘している。[5]
本年2月には、フィリピン軍と米軍約5千人が参加する合同
軍事演習が約4年ぶりに再開された。演習はクラーク旧米軍基
地などルソン島を中心に行われるが、南沙諸島に近いパラワン
島も含まれている。中国への警告メッセージが含まれているこ
とは明らかである。
■5.中国が尖閣領有を主張し始めた理由■
73年の米軍のベトナム撤退に合わせて西沙諸島を奪取し、92
年のフィリピンからの米軍基地撤収後、南沙諸島占拠を加速さ
せる。中国が恐れているのは米軍だけであり、米軍が手を引い
た地域では中国が着々と手を伸ばす。力のない他国の抗議はい
っさい受けつけず、海洋調査から次第に恒久建造物構築へと進
めて、実効支配に及ぶという戦術である。
このパターンは尖閣諸島でも繰り返されている。昭和45年
以前、中国が尖閣諸島を自国領土として主張したことは一度も
なかった。昭和43年秋に尖閣付近の大陸棚に膨大な海底油田
が埋蔵している可能性が判明し、米国の統治下にあった沖縄が
本土復帰する直前の昭和46年12月に尖閣諸島の領有権を主
張し始めたのである。
実は尖閣諸島の一部は、昭和31年から昭和54年まで米軍
の射撃練習場として使用されていた。尖閣が中国領土なら、米
軍の射撃練習は中国領土内で行われたことになる。なぜそれを
国際問題にしなかったのか? これも自分より強い相手には、
いっさい手も口も出さない、という中国流外交術なのである。
射撃練習の事実に関わらず、米国はこれまで「尖閣諸島の主
権はどの国にも認めない」という立場をとってきたが、このあ
いまいさが中国の侵入を招いた。米軍が退き、日本政府の弱腰
を見透かして、冒頭のように調査船の侵入を繰り返し、ついに
は軍艦まで現れたのである。
■6.尖閣領有の経緯■
ここで尖閣諸島が我が国領土であるという根拠をまとめてお
こう。国際法上、無人の土地は、ある国家がその領有の意思を
持って、他国に先んじて領有することで、その国の領土と認め
られる。これを「無主地先占」という。
尖閣諸島は沖縄とシナ大陸間の航路の標識として古くから知
られていたが、無人島であった。「中国は15世紀の地図に尖
閣が領土として記されていることをもって、領有権を主張して
いるが、地図に線を引いても領有権は与えられない」(Asian
Wall Street Journal, 96.10.05) 。
明治18(1885)年、尖閣諸島を沖縄県の管轄とし、国標を建
設したいとする申請が沖縄県知事から出され、政府は明治20
年と25年に軍艦を派遣して調査を行い、同諸島にいかなる国
の支配も及んでいないことを確認した上で、28年1月に沖縄
県知事の上申通り閣議決定した。
尖閣諸島は、日清戦争の結果、台湾とともに日本に割譲され
たという主張があるが、日清講和条約締結は28年4月であり、
これは事実ではない。[6]
■7.99戸が定住して開拓事業■
明治17年以来、尖閣の島々で漁業を営んでいた古賀辰四郎
氏に対し、尖閣領有の閣議決定後、30年間の無償寄与が認可
された。古賀氏は魚釣島と久場島に、家屋、貯水使節、船着場、
桟橋などを構築し、植林や60余町歩の開墾を行った。明治4
2年には99戸248人の移民が定住して開拓事業に従事して
いる。昭和7年には、古賀氏に対して、政府は4島を有償で払
下げした。これらの住居跡や船着場は今も遺されている。
大正9年、中国福建省の漁民31名を乗せた漁船が尖閣付近
で遭難し、魚釣島に漂着した。古賀善次氏(辰四郎の子息)は
これを救助し、石垣島に曳航。石垣島の役人が乗員を手当し、
船を修理して、無事帰国させた。翌年中華民国から、石垣島村
長や古賀善次氏らに対する感謝状が寄せられた。
この感謝状には、「日本帝国八重山郡尖閣諸島」と明記され、
当時の中華民国政府が尖閣諸島を日本領土として正式に認めて
いたことの動かぬ証拠となっている。
これに対して、尖閣諸島に今まで中国人が住んだ事実はなく、
また昭和45年以前に尖閣領有を主張したこともない。これら
の事実から、国際法上、尖閣諸島が我が国領土であることはあ
きらかである。[6]
■8.着々と進む油田開発■
東シナ海には一説にはペルシア湾に匹敵するほどの豊富な石
油資源が眠っていると考えられている。そして日中中間線を挟
んだ海域がもっとも資源量が豊富であり、特に日本側海域の方
が有望視されている。
中国は本年2月に、中間線の数キロ中国寄りの海域で試掘に
成功し、天然ガス日量143万立方m、原油88万立方mが確
認されている。これだけで九州、沖縄地方の家庭用燃料を十分
に賄える量である。
すでに95年12月には中間線の日本側海域に570m入っ
た地点で、わが国政府の中止勧告を無視して試掘を行い、翌年
2月中旬、石油・ガスの自噴を確認している。中国政府は尖閣
列島を自国領土とする立場から、この日中中間線を認めていな
いので、この日本側海域でいつ正規の採掘施設の建造に着手し
ても不思議ではない。
いったん採掘施設が完成し、付近を中国の海軍が防御するよ
うな事態になったら、日本側は手も足も出なくなる。すでに東
海艦隊の高速ミサイル艇部隊が、東シナ海で軍事演習を繰り返
している。
わが国政府は中国との面倒な政治問題に関わりたくない、石
油は中東で十分との考えのようで、日本の4企業が鉱区を設定
し、先願権を持っているが、日本政府が許可を与えていないの
で、日本側海域での試掘はもとより探査すら行われていない。
さらに尖閣は、台湾と沖縄の中間地点にある。万一、ここに
軍事基地を作られたら、台湾は東西から中国の軍事基地に挟ま
れた形となる。また我が国へのエネルギー、物資輸送の大動脈
がここでも中国に牛耳られることになる。
■9.中国に学ぶ領海防衛術■
尖閣列島を中国流浸食術から護るためには、どうすれば良い
のか? 国際法上は我が国の立場の方がはるかに強いので、あ
とは防御手段の問題である。そこは調査船−軍艦−恒久的構造
物建設という中国流浸食術に学べばよい。
第一に尖閣諸島付近の海洋調査や、自衛隊艦船の演習を活発
化する。フィリッピンと同様に、米国第7艦隊との共同演習な
ども牽制効果が大きいであろう。
第二に尖閣列島での実効支配を進める。96年6月に日本青
年社が地元漁民の協力を得て灯台建設をした時に、日本政府は
中国政府からの抗議に屈して、正式灯台として認可しなかった。
もしそうしていれば、世界各国の海図に日本の灯台として記載
され、日本の尖閣実効支配を世界にアピールできたのである。
灯台だけでなく、警官の常駐、漁民の保護施設建設など、定住
と開発を政府が進めるべきである。
第三に、中間線の日本側での油田開発を早急に進める。それ
は我が国のエネルギー供給の対外依存度を下げ、経済の安定性、
独立性を高めることにも貢献する。
こうしたアプローチに対して、当然中国は猛烈な抗議をして
くるだろう。そこで初めて国際法上、尖閣はどちらの領土か、
中国側を議論のテーブルにつかせることができる。もっとも勝
ち目のない議論に乗ってこない可能性も十分あるが。
■10.逃げ腰は危険■
理性的な議論ではなく、恫喝や罵倒で攻めてきたら、ODA
見直しをもって警告することである。そもそもODA大綱では
「軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸
出入などの動向に十分、注意を払う」と定められており、こう
した行為を行っている中国には本来提供されてはならないもの
だ。
日本側が対中ODA見直しを言い出した途端に、中国があわ
てて感謝式典を行ったり、森首相の神の国発言の際も従来とは
うって変わって、声高な批判を抑制していた。ODA見直しは
中国が最も恐れている我が国の切り札なのである。
南沙でも、尖閣でも、米軍が近くにいた時には、中国政府は
おとなしくしていた事を思い起こそう。相手が強ければ静かに
しており、弱ければ傍若無人に振る舞う、というのが中国の外
交パターンである。「事を荒立てたくない、相手を刺激したく
ない」という日本政府の逃げ腰の態度は、中国側にさらに一歩
進んでもよいという誤ったシグナルを送る事になり、今日の南
沙を明日の尖閣にする最も危険なアプローチなのである。