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本日発売の「日刊ゲンダイ2・24」2面の「私が見た永田町の闇 <第1回>」より:
見出し:「中川前官房長官が問題にされている官邸機密費はこう使われてきた」
記事:
「内閣官房長官が管理する年間約20億円の「内閣官房報償費(機密費)」の使われ方は、官房長官自らが説明しない限り知り得ない仕組みになっている。問題の中川秀直・前官房長官の愛人スキャンダルで暴露された「機密費2億2000万円」の行方を究明するには、本人を裁判所の証人か国会の証人喚問に予備しかないのだ。中川氏が常識ある政治化なら貴重な税金の使い道を説明すべきであるが、本人にその気はなさそう。そこでかつて機密費にかかわったことがある私が推測している。
中川氏が引き出した機密費は平成12年7〜8月に5000万円が4回、2000万円が1回とのことだが、このうちの5000万円が怪しい。当時の政治日程は6月2日解散、25日総選挙、7月4〜6日が特別国会、7月28日から8月9日まで臨時国会というもの。とりたてて政治工作資金が必要な時期ではなく、お中元代わりに国対と派閥にカネを入れたとしても1億5千万円前後である。となると5000万円ぐらいが誰かに手渡されたことになる。
機密費は佐藤栄作内閣(昭和39年〜47年)で急増した。衆院職員だった私は昭和41年から園田直・衆院副議長の秘書として、竹下登・官房副長官から機密費を渡され国会対策費として使っていた。このカネは野党国対委員、議運理事の海外旅費や飲み食いに使ったし、新聞記者との会食から始まる2次会、“朝帰り”の費用にも使ったことがある(当時は「フルコース」と呼んでいた)。紛糾した国会の収拾やマスコミの報道ぶりを手加減してもらうために機密費が使われていたのである。
細川内閣が辞任する時(平成6年4月)、私はこんな相談を受けたことがあった。「私は1度も機密費を使ったことがないが、お世話になった人にお礼をしたい」と。「官房長官に指示すればいい」と答えたところ、私のところにも「2万円の靴券」が送られてきた。武村正義官房長官の采配だが、みみっちい。ところが感冒機密費の入った金庫はカラで、永田町では武村氏が率いていた「さきがけ」の政党資金に使われたというウワサが流れたものだ。(つづく)」