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政治改革とは何だったのか[五十嵐仁の転成仁語]【失敗の責任者の一人は佐々木毅東京大学学長】
http://www.asyura2.com/0401/senkyo2/msg/361.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 04 日 10:40:24:dfhdU2/i2Qkk2
 

1月29日(木)
政治改革とは何だったのか。今ふたたび、このことが問われています。

 というのは、10年前の1月28日、土井衆院議長の斡旋で細川首相と河野自民党総裁がトップ会談を行って小選挙区比例代表並立制の導入で合意し、今日29日に政治改革関連4法が施行日を削除して成立したからです。しかも、当初、小選挙区250比例代表区250という案だったのに、いつの間にか小選挙区300比例代表区200で合意されてしまいました。
 これは政治的なペテンです。このペテンに引っかかったのは、この制度の下で今や消滅の危機を迎えている社民党の土井さんだけではありません。日本の政治全体が、このペテンに引っかかったと言うべきでしょう。
 引っかけたのは誰でしょうか。誰に向かって、「責任者出てこい!」と叫んだらよいのでしょうか。


 叫ぶまでもありません。今日の『朝日新聞』朝刊13面「オピニオン」の欄に、その「責任者」の一人が顔を出しているからです。
 それは、佐々木毅東京大学学長です。「政治改革 10年の緩慢」「21世紀臨調代表・佐々木毅東大学長が検証」というのが、その記事です。
 この中で、佐々木さんは、「この間の政治に当初期待されたような変化が十分見られなかったこと」を認め、「この10年間に起こった最も重要な出来事は『政党の失敗』である」と指摘しています。「失敗」したのは、政治改革ではなく「政党」の方なのだと仰りたいようです。


 これは、「衆院の選挙制度改革を中心とした政治改革論議に参加」し、「政治への提言を続け」(新聞での紹介)てきた佐々木さんの事実上の「敗北宣言」を意味しています。ご本人は、そんなことはこれっぽっちも思っていないでしょうけれど……。
 この佐々木さんの書かれた「寄稿」には、「小選挙区比例代表並立制」という用語が出てきません。「選挙制度」という言葉は、「政党の強化とは資金・人材・政策面での政党の強化策を意味し、政治資金制度と選挙制度の改革がワンセットで進められたのが大きな特徴である」という形で、一箇所だけ出てきます。


 実際には、「政治改革」は、選挙制度改革に矮小化され、前述のように「小選挙区比例代表並立制の導入」で決着しました。それが、当初の目的を全く達成していないことは、佐々木さんも認めているとおりです。
 その原因は、どこにあったのでしょうか。政治改革はなぜ失敗し、「当初期待されたような変化が十分見られ」ず、「政党の失敗」を引き起こしたのでしょうか。


 その原因は、政治改革が誤った選挙制度の導入という形で決着したからです。佐々木さんが「小選挙区比例代表並立制」に全く言及していないのは、この事実を認めたくないからでしょう。
 どうして認めたくないのでしょうか。それは、この誤った制度の導入という誤った選択を勧める誤った判断を、当時の佐々木さんがしていたからです。これは思い出したくない、できれば忘れたい過去でしょう。
 だから、あのように書いたのです。「失敗」したのは、「政党」なのだと……。


 それでは、できれば忘れたい過去とはどのようなものなのでしょうか。当時の佐々木さんは、どのような発言を行っていたのでしょうか。


 「一旦変化が始まれば、国民は、政治家たちが当初、考えていた所よりも遙かに遠くまで彼らを連れて行くであろう」『朝日新聞』1992年3月30日付夕刊
 「細川政権の運命は、政治改革法案を速やかに成立させることができるかどうかにかかっている」『朝日新聞』1993年8月6日付
 「政治改革法の成立」は「戦後政治史における一つの革命的な出来事」『朝日新聞』94年2月16日付
 「政治改革はまさに政治家自らが惰性を断ち切るために行った特筆すべき自己改革」佐々木毅『政治家の条件』講談社、1995年、219頁


 これらの発言は、いずれも、拙著『徹底検証 政治改革神話』労働旬報社、1997年、73頁に引用されているものです。この前後には、福岡政行白鴎大学教授、堀江湛慶応大学教授、内田健三東海大学教授の言葉も紹介されていますので、興味のある方はご覧になって下さい。
 いずれも政治改革万々歳で、政治改革法案(小選挙区比例代表並立制導入法案)が通りさえすれば、全てうまくいくかのような発言ばかりです。その言葉に踊らされた結果が、今日の姿です。
 踊らせた側は、踊った方が悪かったかのように批判しています。「失敗」したのは「政党」なのだと……。


 政治改革がうまくいかなかったことは明らかです。どうしてそうなったのか、10周年を迎えて罪のなすりあいが始まったというところでしょうか。
 でも、本当の泥沼はこれからかもしれません。「2大政党制」という泥沼に陥るのは……。

http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm



『中枢腐敗』95年10月、花伝社より

◆「改革の政治」を検証する◆
政治改革は中曽根康弘元首相が提起した「改革」路線の総仕上げであった。とすると私たちは、一九八〇年代政治を飾った中曽根政治とは何であったのかを検証しなければならない。
Tで触れたとおり、一九八〇年代の政治は鈴木善幸政権による第二臨調(第二次臨時行政調査会=土光臨調)の設置に始まる。日蓮宗の信者で「社会は豊かに、個人は質素に」をモットーに生きてきた明治の気骨を持つ技術屋上がりの経営者、土光敏夫氏(一八九六ー一九八八)の声を「神の声」とする仕掛けがさまざまに作られ、政治は「行革」一色に染まるような様相となった。
「行革の嵐」の中で官僚たちは、スローガンとしての行革さえ認めれば、事実上の「行革太り」も可能であるという処世訓を学んだ。「政治」は、行革が進んでいるというイメージを国民に与えることだけが大切なのである。実態としての「行革太り」があったとしても、誰もそんなことに目くじらをたてはしない。
中曽根康弘氏は鈴木内閣の行管庁長官であった。おそらく中曽根氏も学んだはずである。政治の要諦とは、与野党で論議するということではない。論議の余地のない「至上命題」を提起することである、と。
◆「至上命題」探しの政治◆
土光臨調の発足以来、自民党はあたかも「行革」を達成するための株式会社になったかの様相を呈した。補助金のカットなど抵抗の多い課題でも、関係部会の幹部などの国会議員が懸命に根回しして「成果」を上げるべく走り回った。
要するに土光臨調登場以後の自民党は、党の体質が一変したのである。部会といえば議論するところというのが「古き良き自民党」だった。それが部会は、至上命題である「行革」実現のため根回しする場となったのである。
鈴木氏の退陣により首相となった中曽根氏は、その在任中、議論の余地のない「至上命題」を求め続ける。「行革」は一方では「あらゆる側面での改革路線」に拡大され、国民の人気を得ようと「教育改革」まで真面目に取り組まれた(その結果が、いじめと教師の暴力が横行する現在の学校であることに注目してほしい。政治家の教育への介入など、必ずマイナス効果しかもたらさないのである)。
他方で行革は「財政再建」との連動を深めるものとなった。国鉄、電電、専売の三公社の民営化(国鉄は分割も)は、民営化後の株の売却により巨大な歳入をもたらすという錯覚を国民に与えた(その戦略が、株式市場をメチャメチャにしてしまったことについてはT参照)。こうした「成果」を基盤に中曽根氏は大型間接税である売上税導入を試み、これが竹下登政権による消費税の実現につながっていく。
◆外圧の利用◆
さらに中曽根氏は、新たな「神の声」として「外圧」を活用する。鈴木氏の外交上の失敗に学び、レーガンとの協調を最優先し、その代わりに「日米関係維持のため」必要な政治、経済双方の命題を提起し、「政権の求心力」を強めたのである。
中曽根氏に特別な外交能力があったわけではない。日本が次第に大国として成長していたということなのである。どの国にとっても対日関係の重要さは増していった。米国の場合、マンスフィールド駐日大使は再三にわたって「日米関係は、米国にとって最も重要な二国間関係である」と強調していた。
しかし日本国内では、中曽根氏の「外交能力」を評価する声が強まった。外務省自体が「外交が得意」な中曽根氏を利用価値ありと認識し、「中曽根外交」を利用しようとした。外交の実態を知らないジャーナリズムは、それをはやし立てるだけだったのである。
レーガンともサッチャーともミッテランともコールとも同格に渡り合えるというところを原点に中曽根氏人気は高まった。それが国内政治での中曽根氏の力(政権の求心力!)を増すという展開になった。
◆論議なき根回しの場◆
 中曽根氏が志したのは、政治を「論議なき根回しの場」に変えることであった。そしてそれに成功した。目的について論議しない。設定された「課題」達成のために、さまざまな部門が貢献策を探り、その実現のために根回しする……。これは一般の企業の日常的な営為である。つまり日本人には非常になじみやすい行動形態であった。
 しかし政治の場から、目的についての論議を消してしまったことは、政治そのものの破壊につながる行為であった。(臨調なり、米国なり)外部から「課題」を設定されて、国会議員たちがそれを達成されて走り回るのでは、「政治」は政治でなくなり、単に「行政」が担ってきた役割を代行しているに過ぎない。
 論議がなく政治総体が「働く」のだから、それなりに「成果」はありそうにみえる。しかしそれは単なる錯覚であり、「政治」にふさわしい成果ではないのである。
 [このニセの業績をほめたたえている本の代表例として例えば佐々木毅著「政治に何が可能か」(中公新書)をあげることができる。「政治改革」に協力する学者たちの特色は、政治認識の深みに欠けた人々であったことである。]

http://www.gebata.com/huhai.htm

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