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日共が私にとっても偽の友である事は第23回大会綱領を見れば明らかだ。
> なぜ日本は「ルールなき資本主義」か、この問題をとってみましょう。これは、日本が一九四五年まで、国民が無権利状態に置かれていた社会だった
中国の民工はそうではないというのですか?
>――日本政府が「大企業・財界を代弁して、大企業の利益優先の経済・財政政策を続けてきた」こと、
もう一つの質問は「社会主義をめざす」国に北朝鮮をふくめているのか、という質問でした。七中総でもお答えしましたが、私たちが、現実に社会主義への方向性に立って努力していると見ているのは、中国、ベトナム、キューバであって、北朝鮮はふくめていません。
> (2)社会の主人公であるべき国民への大量弾圧が日常化している恐怖政治は、社会主義とは両立しえない。
私たちは、早くからこの認識をもっていましたが、ソ連の体制崩壊のあと、その考察をさらに深め、九四年の第二十回党大会において、ソ連社会は何であったかの全面的な再検討をおこないました。その結論は、ソ連社会は経済体制においても、社会主義とは無縁の体制であったというものでした。
> (3)ソ連の経済体制には、形のうえでは「国有化」もあれば「集団化」もありました。しかし、それは生産手段を人民の手に移すことを意味しないで、反対に、人民を経済の管理から締め出し、スターリンなどの指導部が、経済の面でも全権限をにぎる専制主義・官僚主義の体制の経済的な土台となりました。
> (4)もう一つは、囚人労働の広範な存在です。ソ連には、長期にわたって、最初は農村から追放された数百万の農民、つづいて大量弾圧の犠牲者が絶え間ない人的供給源となって、大規模な囚人労働が存在していました。実際、毎年数百万の規模をもつ強制収容所の囚人労働が、ソ連経済、とくに巨大建設の基盤となり、また、社会全体を恐怖でしめつけて、専制支配を支えるという役割を果たしてきました。
> もちろん、これらの諸点と同時に、人民の生活保障にかかわる諸制度にも目を向けないと、客観的で公正な評価とはいえないでしょう。ソ連社会の経済的制度のなかで、社会主義的性格をもったとある程度言えるのは、社会保障など、人民の最低生活保障にかかわる諸制度です。しかし、それは生産関係にではなく、分配関係の領域に属するものであって、社会の経済的な骨組みを形作る基本的要素にはなりませんでした。
> ――スターリン以後の転落は、政治的な上部構造における民主主義の否定(!)、民族自決権の侵犯(!)にとどまらず、経済的な土台においても、勤労人民への抑圧と経済管理からの人民のしめだし(!!)という、反社会的な制度を特質としていた。
> ――人民が工業でも農業でも経済の管理からしめだされ、抑圧される存在となった社会(!!!)、それを数百万という規模の囚人労働が支えている社会は、社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会などでもありえない。(日共自身がそれを認めた!)
これでよく中国が社会主義の方向を目指しているなどとぬかせるな。その厚かましさには脱帽する。この党はやはり労働者階級にとっても偽の友である事が判明。自分で言ってる事の矛盾にも気付かぬとは、実におめでたい党だ。