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入試不正について書いておこう。「生きる力」と言う言葉に代表される表向き美しいスローガンと実質との乖離。背景には、社会の階層化を高校入試段階から始めようという意思があるように見える。事実、中学で絶対評価が導入され、ほとんど、内申書の信頼性が無いと言う状態になった。国立大学が独立法人化されると、天下りの文科省の役人たちによる理事会が入試をも牛耳り、推薦入試の大学大幅導入がなお一層推進されるだろう。そして、多分、仕上がりが、高校段階での単位制だ。学年制を止め、一人一人の生徒が自由に時間割を決めることが出来るようになる。教員はどんな生徒を自分の授業に集めることが出来るか競争になるし、生徒は、自分の努力しだいで飛び級が出来るようになるし、わからない科目は繰り返しとることが出来る。これは一見良いことに見える。しかし、多分、狙いは別にある。つまり、学年制によって保障されていた内部けん制がなくなるのだ。学年制だと、普通は、複数の教員で一つの学年を受け持ち、共通試験をすることになる。また、高校在学中に、異なった教員が英語なら英語を教えることになる場合が多い。だから、特定の生徒に対して、複数の教員がチェックすることが可能だ。この生徒は、授業で当てると出来ないのに試験だけは良くできるな、と言う発見が可能なのだ。ところが、単位制なら、生徒は勝手に授業を選べるから、特定の教員を選択できる。一部の教員による操作が可能になるのが、単位制なのだ。また、あまり学習環境が整っていない学校だと、ますます退学が多くなるだろう。学年制を支えていたHR制度が、単位制移行によって無くなるので、クラスの仲間と一緒にやっていこう、卒業するんだと言う意欲が無くなってしまい、ますます個人の意欲だけに頼ることになるからだ。これは、通信制の生徒の退学割合の高さにすでに現れているはずだ。すでに、埼玉県では、浦和高校で単位制導入の話があると言う。