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(回答先: 小泉首相、在任1000日「荒行のつもりで頑張る」(読売新聞) −「千日回峰行」のつもりらしい。 投稿者 シジミ 日時 2004 年 1 月 20 日 22:01:52)
2004.1.20
常識の復権――非常識な政治の克服が日本を救う道である[7]
独断・独善を喜ぶ異常な風潮を憂う
「昨夜の考究も今朝にはこれを冷笑する見識をもたなければならない」(バートン=英国の探検家1821-1890)
指導者には柔軟性が求められる。情勢の変化に対応できないような者を指導者にしてはならない。本欄では小泉首相の資質を論ずる。
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『現代』1月号(2003年12月初旬発売)に「加藤紘一・山崎拓(対談)」が掲載された。このなかで二人が小泉純一郎首相観を述べている。少し長くなるが、引用する。 【山崎】もともとYKKは加藤さんの発想です。僕はそれに従ったわけです。……でも、小泉さんをYKKに入れるかどうかで一悶着があったんです(笑)。加藤さんは小泉さんに着目していましたが、僕は彼の人となりをよく知っていたので、とても一緒に行動できないと思ったわけです。とにかく自説を曲げない人だからね。
【加藤】山崎さんは「あれはエキセントリックだからなあ」と言ったんですよ(笑)。……小泉さんは、自己主張が非常に昔から強かったし、変えない。他人のことをあまり慮ってというところがない人物ですよね。……彼(小泉首相)いわく、「世の中のことをあまり勉強したり、人と議論すると、政治的メーセージが弱くなる。自己主張が弱くなる。Aでもない、Bでもないような主張になって、政治家としては存在感がなくなるんだ」と。
「エキセントリック」(eccentric)とは「(人・行動などが)常軌を逸した」という意味である。「風変わりな」という意味でもある。“an eccentric person” の意味は「変人」「変わり者」のことである。
2001年春、小泉首相が登場したとき、マスコミは「変人」を礼賛した。変人礼賛の風潮は経済界にも広がり、「変わり者」を指導者の地位につけるブームが起きた。ほとんどナンセンスというべき風潮が広がったのである。
おそらく社交辞令だと思うが、加藤、山崎両氏とも小泉氏の性格を前向きに評価している。
山崎氏はこう言っている。「彼のDNA……を、国政運営のプラスの要素として使えばいい。構造改革なんていう抵抗の多い問題について、実行力を持つには、自説を曲げない彼の強引さが必要になる」。
山崎氏のこの見解は明らかに常軌を逸している。政治家の社会的責任感、情熱と強い使命感、強靱な精神力にもとづいた政治行動と、常軌を逸したエキセントリックで頑迷な政治行動とは「似て非なるもの」である。常軌を逸した人物によって改革を行おうとする山崎氏の考えは、それこそ異常である。
加藤氏も「そういうところ(世の中のことをあまり勉強せず、人と議論しない小泉氏の生き方)に彼の魅力があるんですよね。それてはそれで一つの政治スタイルだと思います」と語っている。
これもおかしい。政治家が世の中のことを知らずして何ができるというのだろうか。政治家が議論を避けてどんな政治ができるというのか。加藤氏に良識ある発言を期待する。
加藤紘一氏はイラクへの自衛隊派遣問題について小泉政権を批判し正論を吐いている。ポスト小泉の首相候補としても名前が挙がっている。こうした政治家の資質の問題も真面目に扱ってほしい。
「エキセントリック」と「政治家としての強い精神」とは「似て非なるもの」である。「自説を曲げない」ことは、時には長所となる。だが今日のように激しい変化の時代に、「世の中のことをあまり勉強しない」「人と議論したがらない」政治家の行動様式は真面目なものとはいえない。自民党の政治家には、そろそろ目を覚ましてほしいと思う。
問題は、エキセントリックな人物や行動を歓迎し、時にははやしたてるようなマスコミをはじめとする世間の風潮である。今、このような傾向が強まっている。言い換えれば、常識を逸脱した風潮こそが問題なのである。常識を大切にする政治の復活が必要である。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0670.HTML