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米国留学組でなければ局長以上になれぬ官庁 --- 日本の植民地化は岸、中曽根、小泉で進んだ
2004年1月18日 日曜日
◆常識の復権 非常識な政治の克服が日本を救う道である 森田 実
『文藝春秋』2004年2月号の白川静氏の「文字を奪われた日本人」を読まれた方は多いと思う。白川氏の論説は力強く説得力がある。全国民に読んでほしいと私は願っている。白川氏は最後をこう結んでいる。
「今、日本はアメリカの言うことなら何でもハイハイと聞いて、しかも、従属している意識を持っていないという状況にありますが、日本人は、自分たちが生み出してきた文化、言葉にもっと誇りを持った方がよろしい。このままでは、日本は文化的にアメリカの一州になってしまう。我々が生を受けたのは、千三百年も前、アメリカなどは影も形もなかった時代に、農民、防人から天皇までありとあらゆる人の歌をおさめた『万葉集』四千五百首を生み出した国なのです。
歴史を忘れた民族は滅びます。古典を学び、自分の国の文化、歴史を知る。それが新しい文化を生み出す根となり、国を建て直す基となるのです。単に文字学を普及させるのではなく、漢字を通じて、東洋という理念を甦らせたい。それが私の願望です」。
戦争に負けた日本は米国の占領下に置かれた。日本の主権は米占領軍が握った。戦後教育のあり方も米占領軍が決めた。漢字は減らされ、文字は略字にされた。『論語』などの中国古典は公教育から排除された。米占領軍は日本国民が日本的伝統と歴史的に形成された文化を継承するのを妨げようとした。
日本指導層の一部が米占領軍のこうしたやり方に抵抗を試みたことは事実である。しかし大多数は米占領軍に従った。やがて尻馬に乗って米国化を積極的に進める者が増えた。官僚、学者、学生、ジャーナリスト――いわゆるエリートまたはエリート志向者―― は草木がなびくがごとく、米国留学を目指した。気がついてみると、日本の指導層のなかに米国を崇拝し日本をさげすむ傾向が強まった。半歩遅れて、政治家のなかにも日本の米国化を考える者が出てきた。日本政府自らが米国政府の傀儡政権になろうとする傾向まで出てきた。
とりわけ、小泉純一郎首相誕生後、この傾向が強まった。「日本の横須賀化」が進み始めた。ちなみに、横須賀は米軍基地の街である。横須賀市民は米軍と“調和”している。横須賀は小泉首相の選挙区でもある。
この方向を初めに最も強引に推し進めたのが、1957年から1960年まで政権の座にあった岸信介首相だった。岸氏は戦前、「満州の妖怪」と言われたほどの官界の大物で、戦後、A級戦犯として占領軍に逮捕された。岸氏が東条英機と同じ罪に問われず生き残ったのは不思議だと言われた。それほどの軍国日本の中心人物だった。この岸氏は戦後12年後に内閣総理大臣になることができた。日本の指導層に戦争責任についてきびしい認識があったとしたら、不可能だっただろう。「満州の妖怪」は戦後「日本の妖怪」として蘇った。
この岸氏が日米安保条約の改定を断行した。これによって日本はほとんど永久に米国政府の管理下に置かれる道をつくったのである。今日では日米安保条約反対論者は指導層からほとんど排除されてしまっている。日米安保条約反対を口にする者はほとんど政界から姿を消した。
だが、私は今も岸時代の選択は大きな過ちだったと思っている。50年後、100年後も日本は米国の属国として生きなければならないのか、と思う。未来の世代は自らの意思によって日本の進路を決めるべきである。日本は一日も早く真の独立国にならなければならない。日本政府は、できる限り早く、米国政府と日米安保条約再改定の交渉を始めるべきである。
日本の米国化を推進した第二の首相が中曽根康弘首相(1982−87年)だった。中曽根首相はレーガン米大統領と親密な関係――いわゆる「ロン・ヤス関係」――を結んだ。その結果が1985年9月のプラザ合意である。実際の交渉は竹下登蔵相とベーカー米財務長官の間で行われたが、プラザ合意は日本の国益を米国に寄贈するようなものだった。
プラザ合意の結果、日本はバブル経済を起こし、ついで長期のデフレ不況に陥った。日本経済が半永久的な衰退過程に入ったのはプラザ合意の結果である。プラザ合意とは「日本の自殺」にほかならない。中曽根首相と竹下蔵相は日本国民の経済的成果を米国に横取りされてしまう道をつくったのである。
中曽根時代を契機にして、日本の中央官庁も変わった。米国留学組でなければ局長以上のポストにつくことがほとんどできなくなった。中曽根首相の周りに多くの学者がブレーンとして集められたが、ほとんどすべてが「米国派」だった。ヨーロッパ派、アジア派は脇役にされた。中曽根エピゴーネンの学者のなかには「日本を米国の51番目の州にすべきだ」と主張する者もいた。「日本を米国に合併することが日本国民を幸せにする最良の道だ」という者もいた。このような暴論が遠慮なく口にされるようになったのは中曽根首相時代以後のことである。
第三の首相――しかも最も節度なく米国に追随している首相が小泉純一郎氏である。小泉首相はブッシュ大統領のサーバント的存在になった。「日米首脳会談においてほとんどすべてイエスという日本の首相」と言われるようになった。社会全体に、政治も経済も学問もそして文化すらもすべて米国を手本とするような風潮が急激に強まっている。
日本を米国の一州にしようと考え画策している米国派の過ちは、文化・風土・伝統・言葉まで米国化しようとしていることである。こんなことはできることではないし、無理にやろうとすれば、国は混乱し潰れてしまう。
小泉首相の「構造改革」は1960年代から70年代にかけて中国全土で荒れ狂った「中国文化大革命」に似ている。破壊だけが行われている。
政治家も学者もジャーナリストも「日本の抜本改革」を叫び続けている。それが「米国化」であれば、間違った道である。「改革」が小泉構造改革をやめさせることを意味しているのであれば、それは正しい「改革」である。すべての日本国民が白川静教授の警告を真剣に考える時だと思う。
(私のコメント)
政権を握るにはアメリカの支援を得なければ総理大臣になれないといった風潮が生まれつつあります。特に小泉内閣になってからそれが露骨になり、小泉首相自身アメリカの威光を露骨に示すようになりました。歴代首相は首相に就任するとまず始めにすることはアメリカに行ってアメリカ大統領の信任状をもらうことだ。
小泉首相の場合特にこれがひどく、小泉首相自身がポチと言われようと尻尾が擦り切れるくらい尻尾を振っていると発言している。小泉首相と自民党政権はそれでいいのでしょうが、日本国民はたまったものではない。ところが日本国民自身が日本がアメリカの一部であることを是認しているかのような風潮があります。
テレビのコマーシャルを見ても、トヨタなど日本の会社なのにアメリカ人しか出てこないのはなぜか。ポップアーティスト達も星条旗をかたどったTシャツを着て、髪の毛を金髪に染め、青色のコンタクトをしてアメリカ人気取りだ。ガクトとか浜崎あゆみははたして日本人なのか。このような現象は明治の鹿鳴館時代にも起きた。終戦直後とか明治維新の頃は仕方がない面もありますが、現在もこのような現象が起きているということは、アメリカ支配が強まっていることを芸能人たちも感じてのことだろう。
芸能人なら可愛げもありますが、政治家や役人たちまでもがアメリカを崇拝し日本を蔑むような風潮は嘆かわしい。そのようにしないと出世できないし首相にもなれず、役人も局長以上人はなれないということは、まさしく日本がアメリカの植民地であることの証明である。
自民党の政治家にとっては日米安保のもとに、外交も防衛もアメリカに丸投げ出来るからこれほど気楽なことはないだろう。それでは日本の政治家は何をしているかと言うと日本の統治だけだ。統治だけなら政治家は要らず役人だけでいい。外交政策も防衛政策も考えなくていいのだから政治家は要らない。だから憲法改正もせずに済んできたのだ。
アメリカがこのまま永久に世界帝国として繁栄し続けるのなら、51番目の州になるのもいいだろう。植民地よりかはマシだからだ。しかしアメリカが没落したら日本もその巻き添えを食う。アメリカが戦争を始めれば日本国民は兵隊に引っ張られ、植民地軍としてこき使われる。小泉首相はイラク派兵でその前例を作った首相として歴史に残るだろう。
アメリカ政府が日本政府を脅して露骨にやりたい放題の事をやり始めた。ロックフェラー財閥は新生銀行を通じてたった5年で1兆円の利益を上げた。日本の財務省は去年1年で20兆円ものドル買いをした。更にアメリカ長期国債を日本だけで半分近くも買っている。これらは二度と売ることは出来ずアメリカ政府への一種の税金なのだ。日本国民はこれに対して抗議の声も上げようとしない。日本国民はすっかり奴隷として飼いならされてしまったのだ。