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2001年3月14日
組員けん銃所持:
山口組最高幹部に無罪判決 大阪地裁
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配下の暴力団組員にけん銃を持たせていたとして、銃刀法違反(共同所持)の罪に問われた山口組最高幹部の弘道会会長、篠田建市被告(59)の判決が14日、大阪地裁であり、上垣猛裁判長は無罪判決(求刑懲役10年)を言い渡した。
篠田被告は1997年9月20日、大阪市北区のホテルで、ボディーガード役の組員2人に実弾を込めたけん銃を持たせて護衛させたとして指名手配され、98年6月、大阪府警曽根崎署に出頭して逮捕された。組員2人は懲役5年の判決が確定している。
当時、山口組最高幹部だった宅見勝・宅見組組長の射殺事件が原因の暴力団抗争が起きており、司忍の別名で知られる篠田被告は、山口組本部(神戸市)であった会合に出席。府警は篠田被告の宿泊先のホテル前で組員らの一斉職務質問と身体検査を実施し、けん銃を持っていたボディーガードを逮捕したが、篠田被告は現場から姿を消した。
篠田被告が組員にけん銃を持たせていたことを証明する直接的な証拠はなかったが、公判で検察側は、当時、暴力団抗争が起きていた状況証拠などから、「被告は組員のけん銃所持を暗黙のうちに認識し、容認していた」と主張。篠田被告側は「けん銃を持ち護衛するよう指示したことはない。けん銃を持っていたことも知らず、共謀はしていない」と無罪を主張していた。
東京都内で乗車中、後ろに続いていた車のトランクにけん銃5丁を隠していたとして、銃刀法違反罪に問われた山口組最高幹部の桑田兼吉被告に対し、東京地裁は昨年3月、「具体的な指示がなくても、けん銃の携帯を認識し容認していたと認められる」として、懲役7年(求刑懲役10年)の実刑判決を言い渡している。【森野 茂生】
絹川信博・大阪地検次席検事は「予想外の判決であり、驚いている。控訴するかどうかは判決内容を十分に検討し、上級庁とも協議して決定する」とコメントした。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200103/14/0314e040-400.html
山口組最高幹部“山健組”組長懲役7年
広域指定暴力団・山口組最高幹部の山健組組長・桑田兼吉が懲役7年の実刑判決が確定。桑田は、1997年12月に「スワット」と呼ばれるボディーガードの組員らから短刀5丁が発見され、「銃刀法違反」の罪で逮捕されていた。最高裁は、「共謀共同正犯」が成立するとし、被告の上告を棄却する決定を下した。
同年9月に弘道会会長の篠田建市(司忍)が同容疑で逮捕され、求刑懲役10年が言い渡されたもの無罪となっている。その後、保釈金10億円を用意していたことが発覚し、依然として巨額な資金源が衰えていない。桑田と篠田は、山口組の若頭補佐だった。昨年、後藤組の組長・後藤忠政が若頭補佐に昇格している。
山口組は、1997年8月に山口組若頭の宅見勝が射殺されて以来、実行犯とされる直系の中野会を「絶縁」とし、昨年4月には山口組系天野組の組員が中野会の副会長・弘田憲二を射殺するなど、未だ後遺症を引きずったままである。山健組は、五代目組長の渡辺芳則や中野会会長の中野太郎も出身だけ、山口組の約2割を占める直系の最大組織。過去10年間で倍増の組員7200人強を誇る。
[参照元]
山口組最高幹部、最高裁で懲役7年確定
(2003/05/07)
http://www.mp3-hollywood.com/showbiz/2003/yamaken.shtml
2002年02月04日号
■山口組最高幹部に対する大阪地裁の無罪判決と弁護団の声明等
●読者からの要望により掲載
読者から2001年3月14日、大阪地裁刑事14部の上垣猛裁判長が山口組最高幹部、司忍・弘道会会長(60)に対し言い渡した無罪判決と反骨の裁判官と部内から慕われた石松竹雄弁護団長の弁護団声明を載せてほしいという要望があったので掲載することにした。
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資料―判決要旨、弁護団の声明等
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平成10年(わ)第3309号 銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件
判 決 要 旨
被告人 司 忍 こと 篠 田 建 市
主 文
被 告 人 は 無 罪。
理 由
1 本件公訴事実の要旨と争点
本件公訴事実は、大要、暴力団5代目山口組若頭補佐兼弘道会会長である被告人が、・弘道会「会長秘書」桑原達彦(以下、「桑原」という。)と共謀の上、平成9年9月20日午前10時40分ころ、大阪ヒルトンホテル1階南側出入口前通路上において、口径0.38インチ回転弾倉式けん銃1丁を、これに適合する実包6発と共に携帯して所持し、・弘道会高山組組員目加田好夫(以下、「目加田」という。)と共謀の上、そのころ、同ホテル1階メインロビーにおいて、口径0.25インチ自動装填式けん銃1丁を、これに適合する実包5発と共に携帯して所持した、というものである。
被告人及び弁護人らは、桑原らによるけん銃等の所持の事実は争わないものの、実行行為者である桑原らと被告人との間にけん銃所持等について共謀がなかったと争い、無罪を主張している。
2 当裁判所の判断
(1)証拠により認定した事実(要点)
ア 弘道会には、抗争があったときの攻撃部隊等として「十仁会」という組織があり、必要に応じて活動していたと認められるが、「十仁会」が、被告人の警護をも担当する組織であったか否かは明らかではなく、本件事件当時、組織的活動を行っていたとまでは認められない。また、弘道会内において、「親衛隊」という被告人の警護に専従する組織があったとは認めることができないが、被告人の傍に「会長秘書」又は「会長付き」がおり、これに指揮されて被告人のために雑用をする組員が随時周囲におり、それらの者の存在により、外部からは「親衛隊」のような組織があるように見られていたとしても不思議ではない。
イ 本件事件当時、桑原が弘道会の「会長秘書」の立場にあり、常に被告人に付き従っていたわけではないにせよ、必要に応じて被告人に同行するなどして被告人のための雑用等の任務を行っていた。
ウ 平成9年8月28日に山口組若頭宅見勝が射殺されるという事件が発生し、その後、中野会会長中野太郎が絶縁処分等を受けたが、中野会関係者に対する発砲事件等が相次ぐ中、弘道会においても、中野会関係者による襲撃のおそれを感じ、被告人に対する警護をより厳重にしていた。その反面、被告人にしてみれば、中野会関係者からの攻撃のおそれはない、あるいはあるとしてもいまだ抽象的なもので、その可能性もさほど高くないとして、特別の警護をしてもらうほどのことはないと判断していたとしても格別不自然ではない状況にもあったことは否定できない。
エ 同年9月19日、被告人らは、新幹線を利用して神戸市にある山口組総本部に赴き、翌日の幹部会の打合せをした後、芳菱会滝澤孝会長と奥州角定一家小野守利総長とともに、大阪駅前ビル地下にあるふぐ料理店で食事を取り、食事後地下街を通って大阪ヒルトンホテルにチェックインをした事実は否定できない。なお、被告人らが新幹線に乗るなどした際に、被告人を厳重に警護していたことは証拠上うかがわれない。
ところで、この阪神行きの際には、桑原が「会長秘書」として被告人に同行し、更に桑原の指示を受けた目加田も付いてきていた。なお、桑原及び目加田は、公判廷において、被告人との共謀否認するものの、被告人を警護するために本件けん銃等を持参していたなどと供述しており、証拠上もかかる事実を認定できる。
オ 同月20日午前10時40分ころ、芳菱会関係者が宿泊しているとの情報を得た大阪府曽根崎警察署刑事課暴力犯係の警察官らによる一斉職務質問に伴う所持品検査が実施され、桑原及び目加田のほかにも芳菱会関係者2名もけん銃等を所持していたことが判明し、これらの者が現行犯逮捕された。その際、被告人や滝澤孝は、組員にガードされるなどしていたとは認められず、エレベーターを下りた後、三々五々同ホテル南側出入口方向に向って歩いていった。なお、一斉職務質問の際、被告人は所持品検査を受けておらず、被告人がいたことにその場で気づいた警察官もいなかった。
カ 桑原らが所持品検査を受け、けん銃等を発見されて現行犯逮捕された後、被告人は、その場を離れて山口組総本部に向ったが、被告人が一目散に逃走を図ったという状況は認められない。
(2)共謀の有無
桑原は、「会長秘書」として、被告人のための雑用をすることも兼ねて同行しており、目加田も桑原の指示を受け、補助としてけん銃を携えて同行していたこと、被告人自身も、「会長秘書」及びその補助者も同行していることを認識していたこと、芳菱会関係者が親分を警護するためにけん銃等を所持していたこと、被告人をはじめ弘道会関係者は、いずれも共謀に関し、被告人に罪責が及ばないようあえて虚偽と思われる供述をしていること、本件事件後、現にけん銃等を所持していた桑原らは、弘道会から一切処分されておらず、それとは逆に、多額の見舞金が集められて差し入れられるなどしており、功労者として扱われているとみられること等に照らすと、被告人が桑原及び目加田がけん銃等を所持して被告人を警護するのを承知の上で、同行させていたと認める余地もないわけではなく、その意味で、被告人が桑原及び目加田と共謀して本件けん銃等を所持していたという嫌疑も相応に存在する。
しかしながら、反社会的な暴力団組織といえども、親分の近くにいて被告人を警護していると思われる子分がけん銃等を所持していた一事をもって、暴力団の行動原理からして親分との意思疎通があったものと推認するのは、論理に飛躍があり、むしろ、親分の身近にいる子分のけん銃等の所持が警察に発覚したとき、その累が親分にまで及ぶおそれのあることが容易に予想されることから、暴力団組織としては、けん銃等を所持して親分を警護することがあるとしても、できるだけその危険の小さい方向で警護態勢を組むのが通常であり、親分が常にこれを一部始終認識しているとは考え難く、親分にあっては、せいぜいけん銃等を所持する者が周囲にいるかもしれないという程度の漠然とした末必的認識(意思連絡の基礎となる認識としてはかなり薄弱なもの)を持つにすぎないのではないかとの疑問もある。
これに加え、被告人が出席した宅見勝の通夜のときに、近くにいた桑原らも所持品検査を受けたが、けん銃等を持っておらず、本件事件の際にもけん銃等を持ってきていないだろうと考えていたということもあり得ないではないし、桑原の一存、あるいは弘道会幹部の指示でけん銃等を所持し、そのことを被告人が関知していなかった可能性も否定できず、しかも、被告人が桑原の補助者として同行していた目加田の存在を認識していたと認めるに足りる証拠もない。
さらに、宅見射殺事件後、中野会関係者が宅見組関係者から一方的に攻撃を受けていたが、逆に反撃に出た形跡もないこと、被告人は、本件事件の際、より安全な自動車を利用せずに、より防御が難しい新幹線で移動し、名古屋駅で新幹線に乗車する際、殊更被告人を厳重に警護するような隊形をとったこともうかがわれない上、山口組総本部からの帰路、被告人が瀧澤及び小野とともにふぐ料理屋で夕食を共にし、食事後も同店からホテルまでの移動も人通りの多い地下街を歩くなどしていた可能性もあるなど、被告人らが襲われるのではないかと不安を持っていたとはいえない行動をとっていたことからすると、被告人らが、中野会関係者による襲撃を受ける現実的危険性がほとんどなく、この危険性につきいまだ漠然とした抽象的なものにとどまっていたと判断していたということを否定しきれず、被告人がけん銃等で警護される必要性を感じていたかについても疑問がある。
その上、本件事件当時の現実の被告人に対する警護態勢をみても、宅見射殺事件の起こる前よりは厳重になったとはいえ、本件当日の朝も三々五々エレベーターから出てきており、被告人を取り囲むなどの緊迫感のある警護を行っていた形跡はなく、また、被告人の周りには親衛隊のように見える一団(付き人)がいないでもないが、被告人のボディーガードに専従する組織の存在をうかがわせる証拠もない。
以上の事情を総合すると、被告人において、桑原及び目加田がけん銃等を所持して被告人を警護していたことを認識し、これを容認(許容)していたとするには、なお合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
(3)結論
よって、被告人が桑原及び目加田と共謀して本件けん銃等を所持したとの証明がないといわざるを得ないから、刑事訴訟法336条により、被告人に対し無罪を言い渡すこととした。
平成13年3月14日
大阪地方裁判所14刑事部
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本件における弁護活動について
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本件は、山口組若頭補佐で弘道会会長の地位にある司忍こと篠田建市被告人にかかる銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件である。本件では、14名の弁護士(なお、他に故小松正富弁護士が選任されていたが、審理途中で死去された)が、被告人の弁護人に選任されて弁護活動を行ってきたが、異例とも言える多数の弁護人が本件にかかわった理由について一言しておきたい。
銃を用いた凶悪犯罪が多発している今日、銃器犯罪を厳しく取り締まるべき必要があることはいうまでもないところである。しかし、そうだとしても、罪なき者を処罰することが許されないこともまた当然である。そして、犯罪が成立するか否かは、憲法と刑事訴訟法に従って、証拠に基いて厳格な証明によって判断されるべきことが求められるのであり、このことがゆるがせにされるようなことがあれば、戦前の治安維持法下における暗黒裁判と同様の事態を容認することになる。このようなことは、民主的な法治国家において、とうてい放置できないものである。
本件で、被告人は組員らが行ったけん銃等の携帯・所持の共謀共同正犯にあたるとして、逮捕・勾留され、起訴されたのであるが、もともと共謀共同正犯という考え方は、実行者でない者を実行者と同じように処罰しようとする点で、人権保障上、極めて危険な要素を含んでいる。この点、昭和33年5月28日の最高裁大法廷判決(練馬事件)は、共謀共同正犯が成立するには「謀議」が必要だとして、共謀共同正犯の成立範囲を限定して、不当な拡張解釈に歯止めをかけたのである。
そもそも、本件では被告人と組員らの間の共謀、すなわち謀議の存在を窺わせる的確な証拠も全くと言ってよいほどないし、もとより被告人は共謀の事実を強く否定している。にもかかわらず、捜査当局が、被告人を逮捕・勾留して、起訴までするに至ったのは、被告人が山口組系の大物組長だからであり、捜査当局が一罰百戒的な効果を狙い、「暴力団」に対する社会的な評価に依拠し、安易な事実認定と不当な法の拡張解釈を介して、有罪に持ち込もうとしたところにある。しかしながら、被告人が大物組長であるからといって、罪なき者を処罰してよい理由にはならないことも多言を要しない。
捜査当局のこのような対応に対し、弁護団は、ひたすら憲法と刑事訴訟法の適正手続の原則が守られ、共謀共同正犯の成立範囲が最高裁判例に従って正しく解釈され、被告人に対する本件の事実の認定が、法と正義に基づいて行われるべきことを求めてきた。そして、被告人に対しても、法と正義が保障されることによって、はじめてこの社会における民主主義と基本的人権の価値が具体化されるものと確信し、弁護活動に従事してきたものである。
以上のように、本件がこの社会における基本的人権と正義の実現に強くかかわる事案であることを、弁護団として強く訴えたいところである。
2001年3月14日
司忍氏銃刀法違反事件弁護団
団長 石 松 竹 雄
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声 明
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本日、大阪地方裁判所第14刑事部は、山口組若頭補佐で弘道会会長の地位にある司忍こと篠田建市被告人に対する銃砲刀剣類所持取締法違反事件について、無罪判決を言い渡した。この結論は、裁判所が法を遵守して、証拠に基いて事実を認定すれば、当然に至るべき帰結である。しかしながら、ともすれば「暴力団」に対する社会的な見方に影響されて、「暴力団」犯罪については、法と証拠を無視して安易な処罰に走る危険が伴いがちであるが、裁判所はこれを排して無罪判決を言い渡したものであって、このことは本来あるべき裁判所の姿勢を示したものとして敬意を表したい。
本件は、組員が携帯・所持したけん銃等について、組長たる被告人が「共謀共同正犯」としての刑責を問われた事案である。共謀共同正犯は、犯罪実行者でない者を実行者と同様に処罰しようとするもので、その適用範囲如何によっては、人権保障上、重大な脅威となりうるものである。この点、最高裁判所も、昭和33年5月28日の練馬事件大法廷判決によって、共謀共同正犯が成立するには、「謀議」が必要だとして、その不当な拡大適用を限定しようとしてきた。
本件では、被告人とけん銃等を携帯・所持した組員らとの間に、「謀議」が存在したことを認めるに足りる証拠がないと判断したものであるが、この裁判所の判断は、もとより従来の判例の判旨を踏襲したものである。
昨今の犯罪状況にてらせば、銃器犯罪を取り締まるべき必要性があることはいうまでもないが、そのことによって、無辜の者が処罰されることがあってはならないことも当然である。本件はそもそも捜査機関が的確な証拠がないのを自覚しながら、敢えて被告人を逮捕・勾留し、起訴までしたものであったが、本日の無罪判決によって、共謀共同正犯論の際限のない拡大適用を防止する方向での一石が投ぜられたことになる。
捜査当局は、この判決を謙虚に受け止めて、今後の捜査に生かしていくべきであると考える。また、本判決は2年半に及ぶ充実した審理に基いた無罪判決なのであるから、検察官としては、これを尊重して、控訴することなく本日の判決を確定させるべきである。
以上、声明する。
2001年3月14日
司忍銃砲刀法事件弁護団団長 石 松 竹 雄
http://www.shihoujournal.co.jp/koe/020204.html