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オウム真理教
【 事件関連年表 】
1955年(昭和30年) 3月 2日 熊本県金剛村(現・八代市)で松本智津夫が畳職人の四男として生まれる。五男二女の7人兄弟で下から2番目。小さい頃から先天性録内障のため左目がほとんど見えず、右目も弱視。
1961年(昭和36年) 4月 自宅近くの公立小学校に入学するが、1年生の途中で熊本県立盲学校の小学部に転校させられる。全盲でなければ入れないが、就学奨励金と障害者年金がもらえ、寮費も無料ということで両親が強引に入れた。
1975年(昭和50年) 3月 熊本県立盲学校専攻科(鍼灸)卒業後、熊本市内の鍼灸院で働く。
1976年(昭和51年) 9月 6日 傷害事件を起こし八代簡裁で罰金1万5000円。
1977年(昭和52年) 5月25日 代々木ゼミナール入学。千葉県船橋市で針灸師として治療を始める。
1978年(昭和53年) 1月 7日 松本智津夫が22歳のとき、石井知子(当時18歳)と結婚。千葉県船橋市で「漢方亜細亜堂薬局」開業。
7月22日 長女が生まれる。
1981年(昭和56年) 2月 健康食品と漢方の店「MBA薬局」開業。
1982年(昭和57年) 7月13日 松本智津夫が薬事法違反で東京簡裁で20万円の罰金刑を受ける。
1984年(昭和59年) 2月14日 東京都渋谷区で「オウム神仙の会」を設立。松本智津夫が初めて「麻原彰晃」と名乗る。オウム(AUM)とはサンスクリット語で、Aは宇宙の「創造」、Uは「維持」、Mは「破壊」の意味。
5月28日 株式会社「オウム」を設立&登記。ヨーガ教室「鳳凰慶林館」でダイエット美容の指導や健康食品の販売を始める。この道場に保険会社の飯田エリ子が通い、会社同僚の石井久子もスタッフとして手伝う。
1985年(昭和60年) 秋 雑誌『ムー』(学習研究社)などに麻原彰晃などの「空中浮遊」写真を掲載。
1986年(昭和61年) 10月 本部を世田谷区に移転。
1987年(昭和62年) 7月 「オウム真理教」と改称。信者600人。すべての財産を投げ出して出家する制度を始める。出家信者を「サマナ」と呼んだ。
11月 ニューヨーク支部を設立。
1988年(昭和63年) 3月 教祖の血を飲む「血のイニシエーション」、100万円のお布施が必要。
7月 6日 麻原彰晃が幹部らとインドでダライ・ラマに謁見。
8月 静岡県富士宮市富士山総本部道場を開設。信者1500人。
9月22日 ★在家信者の真島照之(25歳)水死事件。遺体を焼却し、精進湖に遺棄。この頃、信者3000人。
1989年(平成 元年) 2月10日 ★信者の田口修二(21歳)リンチ殺害事件。脱会しようとしたため殺害。
6月22日 坂本堤弁護士らが「オウム真理教被害対策弁護団」を結成。
8月 「真理党」を設立。
8月25日 東京都が「オウム真理教」を宗教法人として認証。
8月29日 オウム真理教が宗教法人設立を登記。
10月 2日 『サンデー毎日』によるオウム批判記事の連載開始。
10月21日 「オウム真理教被害者の会」を結成。
10月26日 早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸がTBSに抗議、放送中止を要求。
10月31日 早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸が横浜法律事務所で坂本堤弁護士と面会。
11月 4日 ★坂本堤弁護士一家3人殺害事件。坂本堤(33歳)、都子(さとこ/29歳)、龍彦ちゃん(1歳)の3人が死亡。事件の概要はこちら
11月15日 坂本一家殺害事件公開捜査。
11月21日 麻原彰晃ら幹部、実行犯を含めてドイツに出国。
12月 1日 ボンで事件関与の否定記者会見。この頃、出家信者330人、在家信者4000人。
1990年(平成 2年) 2月18日 衆議院総選挙に「真理党」25人立候補。全員落選。麻原彰晃は1783票。麻原彰晃が遠藤誠一らにポツリヌス菌培養を指示。
4月16日 石垣島でセミナー。約2000人が参加したとされ、一人あたり費用30万円。
5月 熊本県波野村約15ヘクタールの土地を取得し、造成を開始。
1991年(平成 3年) 春 山梨県上九一色村に教団施設群の建設を開始。
9月 麻原彰晃が朝日テレビ『朝まで生テレビ』に出演。
11月 モスクワに「ロシア日本大学」を設立。
1992年(平成 4年) 3月 麻原彰晃が約300人の信者を連れてロシア救済ツアーを実施。
4月 ロシアでラジオ放送『エウアンゲリオン・テース・バシレイアス』を開始。
9月 モスクワ支部を開設。
12月10日 東京都港区に東京総本部道場を開設。
1993年(平成 5年) 2月28日 村井秀夫らがロシアから自動小銃の部品や銃弾を持ち帰る。
3月 『麻原彰晃、戦慄の予言』を出版、1997年に「ハルマゲドン」が起きると予言。
4月 早川紀代秀がオーストラリアを訪問、ウェスタン・オーストラリア州に牧場を購入。
4月 9日 麻原彰晃が説法で初めて「サリン」について言及する。
6月 台湾にパソコン会社「マハーポーシャ台北支店」を設立。
6〜7月 教団亀戸道場で2度に渡り炭疽菌を散布するが、悪臭を発しただけで失敗に終わる。
6月 6日 ★越智直紀(25歳)逆さ吊り修業死亡事件。遺体は石井久子らが焼却。
8月 土谷正実がサリン大量生成方法を完成、村井秀夫はサリン70トン生産計画を麻原彰晃に説明し、了解を得る。
9月 第7サティアン完成。
10月25日 麻原彰晃が「教団施設が毒ガス攻撃を受けている」と説法。
11月 土谷正実と中川智正がサリン600グラムの生成に成功。村井秀夫は2人に5キロ生成を指示。モスクワで警備会社「オウムプロテクト」設立。
12月 早川紀代秀が旧ソ連製大型ヘリを購入。麻原彰晃が土谷正実にLSD製造を指示。
12月18日 土谷正実と中川智正がサリン3キロ生成に成功。八王子市の創価学会施設の周辺で噴霧し、池田大作名誉会長殺害を図るが失敗。新実智光がサリンを吸入し重体に陥る。
12月末 麻原彰晃が村井秀夫を通じ土谷正実と中川智正にサリン50キロ生成を指示。
1994年(平成 6年) 1月30日 ★元信者の落田耕太郎(29歳)リンチ殺害事件。事件の概要はこちら
2月 中川智正らがサリン30キロ生成に成功。
2月28日 麻原彰晃が千葉市内のホテルに横山真人らを呼び、1000丁の自動小銃製造を指示。
4月 村井秀夫が土谷正実に爆薬サンプルの製造を指示。富士川河口付近でサリンの噴霧実験を行い、中川智正がサリン中毒にかかる。
5月 1日 土谷正実と遠藤誠一がLSDの合成に成功。
5月 9日 滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件。
6月 1日 旧ソ連製大型ヘリが到着。
6月 教団組織として省庁制を採用。22省庁を開設し大臣と次官を設置。
6月27日 ★松本サリン事件が発生。7人が死亡、4人が重傷を負う。松本サリン事件の詳細はこちら
7月 麻原彰晃が中川智正にサリン70トン生成を指示。土谷正実がVXガス製造を開始。
7月10日 ★元信者の冨田俊男(27歳)リンチ殺害事件。
7月15日 ★中村徹(34歳)が温熱(50度)傷害致死事件。
8月 村井秀夫が青酸、ホスゲンなどの製造を指示。
10月 LSDや覚醒剤を使ったイニシエーションを開始。
11月 警察による捜索情報が流れ、サリンプラントを肥料プラントに偽装。電気ショックで記憶を消す「ニューナルコ」を開始。
12月 2日 駐車場経営者の水野昇(当時82歳)VX襲撃事件。
12月 5日 元日劇ダンサーの鹿島とも子の長女(当時19歳)監禁事件。
12月 9日 ピアニスト監禁事件。
12月12日 ★会社員の浜口忠仁(当時28歳)VX殺害事件。会社員の浜口を警察のスパイと決め付け殺害。
1995年(平成 7年) 1月 4日 被害者の会の永岡弘行会長VX襲撃事件。
2月28日 ★目黒公証人役場の仮谷清志(69歳)事務長の拉致監禁致死事件。3月1日、死亡。事件の概要はこちら
3月18日 麻原彰晃が村井秀夫に地下鉄サリン事件の総指揮を指示(リムジン内共謀)。
3月20日 ★地下鉄サリン事件。死亡者12人、重軽傷者5500人。事件の概要はこちら
3月22日 上九一色村など全国の教団施設25ヶ所を強制捜査。この頃、出家信者1600人、在家信者1万5000人、ロシアで自称3万人。
3月30日 国松孝次(当時58歳)警察庁長官狙撃事件。オウム真理教との関係は不明。事件の概要はこちら
4月 8日 林郁夫が逮捕される。
4月23日 村井秀夫(36歳)刺殺事件。事件の概要は「事件と裁判の経過」の項にある表の中の「村井秀夫」の「備考欄」を参照。こちら
4月30日 新宿駅地下トイレに青酸ガス発生装置を仕掛けるが失敗。5月3日も同様に仕掛けるが失敗。
5月 5日 新宿駅地下トイレ青酸ガス事件。発火直後、駅員が消火。事件の概要はこちら
5月 6日 林郁夫の自供で地下鉄サリン事件の全容解明。
5月16日 麻原彰晃が殺人容疑で逮捕される。東京都庁で小包爆弾が破裂し、秘書が重傷。事件の概要はこちら
5月20日 神奈川県警が岡崎一明の自首調書を作成。
9月 6日 新潟県名立(なだち)町の山中で坂本弁護士の遺体が発見される。富山県魚津市の山中で都子の遺体が発見される。岡崎一明が逮捕される。
9月 9日 6日に続き、長野県大町市の山中で龍彦ちゃんの遺体が発見される。
10月 7日 上祐史浩が逮捕される。
10月30日 東京地裁が宗教法人「オウム真理教」に解散命令。12月19日に東京高裁が教団側の即時抗告を棄却し、解散命令が確定。
12月14日 村山総理が破壊活動防止法(以下「破防法」)の解散命令申し立ての方針を表明。
12月20日 公安調査庁が破防法の弁明手続きを官報公示。
1996年(平成 8年) 1月18日 公安調査庁で破防法の弁明手続き開始。
4月 9日 TBSの磯崎洋三社長が坂本弁護士インタビュー・ビデオ問題の責任を取り辞任。
4月24日 麻原彰晃の初公判。
7月11日 公安調査庁が公安審査委員会に対して破防法上の「団体解散の指定」処分を請求。
1997年(平成9年) 1月31日 公安審査委員会が「オウム真理教の将来の危険性を認めることは困難である」と判断し、破防法に基づく解散指定処分の請求が棄却された。
1998年(平成10年) 5月26日 地下鉄サリン事件などで東京地裁が林郁夫の自首と犯罪解明に対する貢献を認めて異例の無期懲役判決。
1999年(平成11年) 12月 1日 教団が初めて一連の事件への関与を認めて被害者への謝罪と補償を明言した。
12月 3日 オウム新法(団体規制法、被害者救済法)が成立、27日施行。
12月29日 上祐史浩が広島刑務所から出所。
2000年(平成12年) 1月18日 教団の名称を「アレフ」に改称。上祐史浩が会見で麻原彰晃が一連の事件に関与していたことを初めて認める。
1月31日 公安審査委が「アレフ」に対し、3年間の観察処分を決定。
法務省 → トピックス → オウム真理教に対する観察処分決定について
2002年(平成14年) 3月29日 九州大学医学部を合格して入学手続きを終えた元信者の入学を取り消したことが明らかに。
2003年(平成15年) 1月23日 公安審査委員会が団体規制法に基づく「アレフ」に対する観察処分について、公安調査庁の請求を認め、3年間更新することを決定した。
2月 7日 教団の名称を「アーレフ」に改称。
教団が関与した重大事件とその裁判の経過などについてはこちら
(この「関連年表」についてはもう少し加筆する予定)
【 主な事件 】
松本サリン事件の詳細はこちら
坂本堤弁護士一家3人殺害事件
[ 坂本堤弁護士一家3人殺害事件 ]
1989年(平成元年)11月4日未明、横浜市磯子区洋光台の坂本堤弁護士(33歳)宅で坂本と妻の都子(さとこ/29歳)、長男の龍彦ちゃん(1歳)の3人が突然、行方不明になった。部屋にはオウム真理教のバッチ「プルシャ」が落ちていた。当時、坂本は教団の被害者からの訴えでイニシエーションのインチキ性などを追及、教団対策弁護団を結成し、民事訴訟の準備をしていた。また、マスメディアを通じて教団を批判し、教団弁護士の青山吉伸や広報部長の上祐史浩らと激しく対立していた。その矢先の失踪・行方不明ということで、神奈川県警は教団による犯行ではないかと捜査を行ったが、難航した。1995年(平成7年)3月20日の地下鉄サリン事件によって教団メンバーの岡崎一明が逮捕されて、初めて真相が明らかになった。神奈川県警の調べでは、「被害者の会」など坂本弁護士をこのまま放置しておくと教団の障害になるという理由から麻原彰晃は「ポアしなければならない」と殺害を指示。早川紀代秀、村井秀夫、岡崎一明、中川智正、新実智光、端本悟の実行犯6人は11月4日午前3時ころ、鍵のかかっていない玄関から坂本弁護士宅に侵入し、端本が坂本に馬乗りになり、岡崎が絞殺、新実が都子を絞殺、中川が龍彦ちゃんの口をふさいで殺害した。その後、近所に聞こえないように、坂本が流した鼻血や村井が都子に指を噛まれて出血した血痕が布団に付着したことから遺体を布団と一緒に車に積んで富士総本部に運んだ。室内にあった「プルシャ」は中川が落としたものだった。捜査をしにくくするため、3人の遺体を3県に分けて埋めることに決め、坂本弁護士を新潟県内、都子を富山県内、龍彦ちゃんを長野県内の山林に穴を掘って埋めた。犯行時、手袋をしていなかった早川、村井が指紋を消去する手術を施した。
2000年(平成12年)6月、都子の父親の大山友之が著書『都子聞こえますか オウム坂本一家殺害事件・父親の手記』を新潮社から刊行。
生きてかえれ! 坂本弁護士一家殺害事件 5年10ヶ月の軌跡
元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件
[ 元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件 ]
1994年(平成6年)1月30日未明、山梨県上九一色村のオウム教団施設で元信者の落田耕太郎(29歳)が殺害された。落田は教団附属病院で薬剤師をしていたが、その病院で難病のパーキンソン病を患った女性患者(当時45歳)と知り合った。落田は麻原彰晃のオウムが弾圧されているという言動に不信をもち、半月ほど前に脱会していた。また、この女性への治療にも疑問をもち、病院から連れ出そうと女性の息子で信者の保田英明(当時28歳)とともに施設に侵入し、第6サティアンで女性患者を発見したものの、逆に捕まってしまった。2人は麻原教祖の前に連れていかれたが、麻原は保田に「落田はポアしかない。お前が殺(や)れば命は助けてやる」と殺害を命令した。麻原の妻の松本知子、村井秀夫、新実智光ら最高幹部11人がいる前で保田は落田の首にロープを巻いて他の教団幹部とともに絞殺した。遺体はマイクロ波装置を組み込んだドラム缶で焼却されて灰となって棄てられた。
目黒公証役場の仮谷清志事務長の監禁致死事件
[ 目黒公証役場の仮谷清志事務長の監禁致死事件 ]
1995年(平成7年)2月28日午後4時半ころ、東京都品川区上大崎の路上で、目黒公証役場事務長の仮谷清志(69歳)が帰宅途中、ワゴン車に拉致された。仮谷の妹(当時62歳)は、目黒公証役場の先代公証人の夫人で、裁判官出身の夫が1987年(昭和62年)5月に死亡し、公証役場を兼ねた自宅の土地・建物と別荘、株券、ゴルフ会員権など、5億円相当の遺産を相続していた。その事務長の妹が、オウム真理教が経営するヨーガ道場に通ったのがきっかけで、1993年(平成5年)10月にオウムに在家信者として入信しており、1994年(平成6年)から1995年(平成7年)1月にかけて、教団にお布施として合計6000万円寄進した。こうして気軽に現金を寄付したことに麻原が目をつけ、1995年(平成7年)2月10日に第2サティアンで、イニシエーションを授けた。これを「キリストのイニシエーション」と称して、幻覚剤のLSDや覚醒剤を混ぜた液体を飲ませ、個室に閉じ込めて教祖のマントラ(真言)をスピーカーで流し、そのときに生じる幻覚や幻聴を超能力によるものと信じ込ませた。イニシエーションを受けたあと、意識が朦朧としているとき、事務長の妹は「今月中に全財産をお布施して、必ず出家する」とサマナ(出家信者)たちの前で約束させられた。そのあと準サマナとして、東京都港区青山道場で寝泊りしていたが、全財産を取り上げられるのではないかと不安になって、口実を設けて外出し身を隠した。2月27日、飯田エリ子が部下に命じて目黒公証役場に行かせ、事務長に妹の居場所を問い合わせたら「教えるわけにはいかない」と言われた。飯田としてはさらなる巨額の寄付を期待していただけにこのままにしておけなかった。2月28日午前0時から会議が開かれ、飯田は麻原から「お前はどうしようもないヤツだ」っとさんざん罵倒された。それから麻原は井上嘉浩、中村昇らと話し合い、公証役場の事務長を拉致して第2サティアンに連行することを決めたのだった。その後の警視庁の調べで、拉致に使われたワゴン車はレンタカーで、その申込書や検出された指紋からレンタルしたのは教団信者の松本剛(当時29歳)と分かった。松本剛は女装をし、指紋の消去や整形手術をして逃走を続けていたが、6月に逮捕された。麻原彰晃が井上嘉浩らに仮谷を拉致するように指示し、林郁夫ら8人がワゴン車で待ち伏せして拉致し、車の中で抵抗する仮谷に中川智正が麻酔剤の「ケタラール」や自白剤の「チオベンタールナトリウム」を点滴、注射した。その後、仮谷は山梨県上九一色村の第2サティアンに連れ込まれ、妹の居場所を聞き出そうとしたが、仮谷は言わなかった。仮谷は林郁夫から麻酔剤を打ち続けられて約12時間後の3月1日に心不全で死亡した。遺体はマイクロ波装置付きのドラム缶で3日かけて焼却、焼け残った遺骨は木片で粉々に砕き、本栖湖に棄てられた。
チオベンタール・・・全身麻酔の際に使用される導入用静脈麻酔剤の一種で、超短時間作用性の薬剤。
地下鉄サリン事件
[ 地下鉄サリン事件 ]
1995年(平成7年)3月20日午前8時ころ、東京都千代田区の地下鉄霞ヶ関駅を通る日比谷線、丸ノ内線、千代田線の電車の中で、異常な臭気によって倒れる乗客や駅員が続出し、12人が死亡、5500人が重軽傷を負った。猛毒のサリンガスによる大規模な無差別テロ事件となった。3月22日、警視庁はオウム教団の犯行とみて、全国の教団施設を強制捜査。5月16日、麻原彰晃(当時40歳)が山梨県上九一色村の教団施設「第6サティアン」の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕された。この事件で殺人・殺人未遂で起訴された教団幹部らは13人。麻原彰晃(当時40歳)は仮谷清志拉致事件などで教団への強制捜査が迫っていることに危機を感じ、捜査を撹乱し首都圏を混乱させる目的で警視庁に近い地下鉄の霞ヶ関駅で電車内にサリンを撒くように指示。サリンは土谷正実(当時30歳)が保管していた中間物質「メチルホスホン酸ジフロリド」で、遠藤誠一(当時34歳)や中川智正(当時32歳)が7リットルを急きょ製造した。事件の総括指揮を村井秀夫(当時36歳)、現場指揮を井上嘉浩(当時25歳)が担当し、実行役の林郁夫(当時48歳)、林泰男(当時37歳)、広瀬健一(当時30歳)、横山真人(当時31歳)、豊田亨(当時27歳)の5人に対して「霞ヶ関駅で午前8時に着く電車に乗り、到着5、6分前に発生させろ」と指示していた。前夜、実行グループは傘の先でサリンの入ったナイロン袋を突き破る予行練習を行うという念の入れようだった。3月20日朝、実行役の5人はサリン600グラムを11のナイロン袋に分けて日比谷線など3線に分かれて乗り込み、新聞紙に包んだナイロン袋を傘で刺してサリンを撒き散らして逃走した。このときの運転手役として、新実智光(当時31歳)、杉本繁郎(当時35歳)、北村浩一(当時27歳)、外崎清隆(当時31歳)、高橋克也(当時37歳)の5人が事件に関わることになる。このうち、高橋克也はいまだに逮捕されずに、特別手配中である。
サリン・・・ナチス・ドイツが開発した有機リン系の神経ガス。神経の興奮は神経伝達物質であるアセチルコリンによって伝えられるが、正常なときは、アセチルコリンは酵素によって分解される。だが、サリンなどの有機リン系物質はこの酵素と結合するため、その結果、アセチルコリンが体内にあふれ、次の神経伝達が出来なくなり、中枢神経や運動神経に障害が現れ、死亡する。
国松孝次警察庁長官狙撃事件
[ 国松孝次警察庁長官狙撃事件 ]
この事件については依然、ナゾのままであり、オウム真理教との関係も明らかになっていませんが、参考までに取り上げました。
1995年(平成7年)3月20日午前8時半ころ、警察庁の国松孝次長官(当時58歳)が東京都荒川区南千住の自宅マンションを出て公用車に向かって歩いていたところ、背後から銃弾4発を狙撃され、そのうち3発が当たった。犯人は約20メートル離れた植え込みに隠れていて米国コルト製造の38口径拳銃から発射し、黒っぽいコートにマスク姿で自転車に乗って逃走した。国松長官は意識不明の重体になったが、奇跡的に回復、3ヶ月後には職場に復帰した。前日にオウム真理教の信者が同じマンションで警察を批判する文書を撒いていることからオウム関係者の犯行と見て捜査したが、犯行と直接結び付く証拠は出てこなかった。1996年(平成8年)5月、オウム信者で警視庁現職巡査長の小杉敏行(当時31歳)が、「自分が長官を撃った」「事件には早川紀代秀、井上嘉浩、林泰男、平田信が関与した」と告白した。この巡査は1988年(昭和63年)ころからオウム道場に通い、警察情報をオウム側に伝えていたことが分かった。警視庁は極秘にこの巡査長を調べたが、供述と証拠が一致せず、実行犯の可能性が薄いことから懲戒免職にし、厳重な箔口令を敷いて監禁・隔離し、警察庁にも知らせなかった。10月、このことを内部告白するハガキが各マスコミに郵送され、不祥事隠しがバレ、大問題に発展した。1996年(平成8年)11月、桜井勝警視庁公安部長、井上幸彦警視総監が更迭。巡査長も再び取り調べられ「神田川に銃を捨てた」と供述したことから徹底した捜査が行なわれたが、拳銃は発見されなかった。
警察庁 → 公安の維持 → 警察庁長官狙撃事件
新宿駅地下トイレ青酸ガス事件
[ 新宿駅地下トイレ青酸ガス事件 ]
1995年(平成7年)5月5日夜、東京都新宿区の地下鉄丸ノ内線新宿駅改札口近くの男子トイレ入口に置かれていた2つのビニール袋のひとつが発火したが、駅員がすぐに消し止めた。燃えたビニール袋にはシアン化ナトリウム、もうひとつには希硫酸が入っており、コンドームと濃硫酸を使った発火装置で混合されると、猛毒の青酸ガスが発生する仕組みになっていた。このビニール袋はトイレ奥の個室に仕掛けられていたが、清掃員が発火の30分前に入口付近に移動させていたことが分かった。麻原彰晃の「捜査を撹乱するためにテロをやり続けろ」という指示を受けて、井上嘉浩、中川智正、豊田亨、林泰男らが共謀。4月30日と5月3日にも試みられたが、失敗に終わっている。
東京都庁郵便爆弾事件
[ 東京都庁郵便爆弾事件 ]
1995年(平成7年)5月16日午後7時ころ、東京都新宿区西新宿の東京都庁第1庁舎7階の知事秘書室で青島幸男知事宛てに郵便小包が届いたが、これを受付け業務担当の秘書室担当副惨事(当時44歳)が開封したところ、突然爆発し、副惨事は左手のすべての指と右手の親指を失い、さらに、顔や首などに全治2ヶ月の重傷を負った。この郵便は書籍の内部をくり抜かれ、そこにRDXという威力の大きい爆薬を詰めたプラスチック製ケースが入っていて、書籍の表紙を開くと爆発する仕組みになっていた。その後の調べで、知事の教団解散請求を妨害することや、新宿駅地下トイレでの青酸ガス発生が失敗に終わったため、中川智正、豊田亨、富永昌宏、高橋克也が新たに捜査の撹乱を狙って実行したものと分かった。この郵便小包は事件の5日前の11日に都内から投函されているが、爆弾事件のあった16日は丁度、麻原彰晃が逮捕された日でもある。
【 松本智津夫が起訴された13件の事件 】
松本智津夫が起訴された事件での死亡者は27人
事件発生日 事件 罪名 内容
1989年(平成元年)
1 2月上旬 信者の田口修二リンチ殺害事件 殺人 脱会しようとした信者の首を絞めるなどして殺害した。
2 11月4日 坂本堤弁護士一家殺害事件 殺人 教団と対立する弁護士の一家3人の首を絞めるなどして殺害した。
1993年(平成5年)
3 11月〜 サリンプラント建設 殺人予備 殺害するためのサリン生成プラントを建設した〜1994年(平成6年)12月。
1994年(平成6年)
4 1月30日 元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件 殺人
死体損壊 教団施設に侵入した元信者の首を絞めて殺害、遺体を焼却した。
5 5月9日 滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件 殺人未遂 被害対策の弁護士の車にサリンを注入、殺害しようとした。
6 6月〜 事件自動小銃密造 武器等製造法違反 ロシア製自動小銃約1000丁の製造を計画、1丁を製造した〜1995年(平成7年)3月。
7 6月27日 松本サリン 殺人
殺人未遂 長野県松本市でサリンをまき、住民7人を殺害、4人に重傷を負わせた。
8 7月10日 元信者の冨田俊男リンチ殺害事件 殺人
殺人損壊 元信者の首をロープで絞めて殺害、遺体を焼却した。
9 12月2日 駐車場経営者の水野昇VX襲撃事件 殺人未遂 駐車場経営者に猛毒のVXをかけて重傷を負わせた。
10 12月12日 会社員の浜口忠仁VX殺害事件 殺人 会社員を警察のスパイと決め付け、VXをかけて殺害した。
1995年(平成7年)
11 1月4日 被害者の会の永岡弘行会長VX襲撃事件 殺人未遂 被害者の会の会長にVXをかけ重傷を負わせた。
12 2月28日 目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件 逮捕監禁致死 女性信者の所在を聞き出すために、実兄を監禁、死亡させ、遺体を焼却した。
13 3月20日 地下鉄サリン事件 殺人
殺人未遂 東京の地下鉄でサリンを散布、12人を殺害、14人に重傷を負わせた。
事件と裁判の経過
【 事件と裁判の経過 】
一連のオウム事件では189人が起訴(2004.1.30現在)されていますが、ここでは主に重大事件に関与した者を取り上げています。
東京地裁での判決公判の早い順に記載し、判決やその予定日などが分かった時点で書き加えていきます。
関与した主な事件 東京地裁 東京高裁 最高裁 備考
村井秀夫 信者の田口修二リンチ殺害事件
1989.2上旬
坂本堤弁護士一家殺害事件
1989.11.4
元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件
1994.1.30
松本サリン事件
1994.6.27
目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件
1995.2.28
地下鉄サリン事件
1995.3.20
― ― ― 松本サリン事件では実行犯6人のうちの1人。
地下鉄サリン事件では総括指揮を担当。
1995.4.23 東京都港区南青山の教団総本部前で元山口組系羽根組組員の徐裕行(当時35歳)に刺されて翌日に死亡。36歳だった。
1995.11.13 東京地裁で徐裕行に懲役12年の判決。控訴せず懲役12年が確定。
実行犯の徐裕行は羽根組幹部の上峯憲司(当時48歳)の指示で殺害したと供述したため、上峯憲司が共謀共同正犯の疑いで逮捕されたが、捜査から公判段階まで一貫して事件への関わりを否定。
1997.3 東京地裁で上峯憲司に無罪判決。
1999.3.29 東京高裁でも1審に続いて上峯憲司に対し無罪判決となり確定。
飯田エリ子 目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件
1995.2.28 懲役7年
1996.10.26 懲役6年6ヶ月
1998.9.10 ― 上告せず刑が確定。
山形明 駐車場経営者の水野昇VX襲撃事件
1994.12.2
会社員の浜口忠仁VX殺害事件
1994.12.12
被害者の会の永岡弘行会長VX襲撃事件
1995.1.4
懲役17年
1997.2.4 懲役20年
1997.12.17 ― 検察が無期懲役を求刑していたが、東京地裁が自首を認定して懲役17年に減刑。
検察側が判決を不服として控訴。
東京高裁で懲役20年。
検察側、弁護側ともに上告せず刑が確定。
上祐史浩 熊本県波野村の国土利用計画法違反事件
1990.5 懲役3年
1997.3,24 懲役3年
1998.2.10 懲役3年
1998.7.16 1999.12.29 広島刑務所を出所後は教団に戻り教団代表になる。
松本知子 元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件
1994.1.30 懲役7年
1998.5.14 懲役6年
1999.9.9 懲役6年
2001.6.26 東京高裁は遺族との間で示談が成立したことなどを理由に懲役6年の判決を下した。
2002.10.15 和歌山刑務所を出所後は教団に戻らず。
林郁夫 目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件
1995.2.28
地下鉄サリン事件
1995.3.20
無期懲役
1998.5.26 ― ― 地下鉄サリン事件では実行犯5人のうちの1人。
東京地裁が自首と犯罪解明に対する貢献を認めて異例の無期懲役判決。
刑法42条は「罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首した時は刑を減軽することができる」と定め、最高裁は、捜査当局の取り調べ段階であっても、犯罪事実が具体的に判明する前の自白であれば、自首に該当すると判断している。自発的であることが必要で、当局の追及を受け自白した場合は自首に当たらない。68条は「死刑を減軽する時は、無期懲役か10年以上の懲役、禁固とする」と規定している。
検察側、弁護側ともに控訴せず無期懲役が確定。
富田隆 松本サリン事件
1994.6.27 懲役17年
1998.6.12 懲役17年
2001.8.31 ― 松本サリン事件で実行犯6人のうちの1人。
上告を取り下げて懲役17年が確定。
岡崎一明 信者の田口修二リンチ殺害事件
1989.2上旬
坂本堤弁護士一家殺害事件
1989.11.4
死刑
1998.10.23 死刑
2001.12.13 2001.12.13 東京高裁判決
弁護側が東京高裁での判決を不服として上告。
石井久子 修行中に死亡した信者の越智直紀の
遺体焼却で遺体損壊罪に問われた事件
1993.6.6 懲役3年8ヶ月
1999.2.16 ― ― 控訴せず懲役3年8ヶ月が確定。
2000.11.18 和歌山刑務所を出所後は教団には戻らず。
有田芳生の今夜もほろ酔い → 新世紀カルト → 石井久子への視点
富永昌宏 滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件
1994.5.9
新宿駅地下トイレ青酸ガス事件
1995.4.30/5.3/5.5
東京都庁郵便爆弾事件
1995.5.16
懲役18年
1999.7.22 懲役15年
2002.7.5 懲役15年
2003.8.28 2002.7.5 東京高裁判決
横山真人 地下鉄サリン事件
1995.3.20 死刑
1999.9.30 死刑
2003.5.19 地下鉄サリン事件の実行犯5人のうちの1人。
弁護側が東京高裁での判決を不服として上告。
北村浩一 地下鉄サリン事件
1995.3.20 無期懲役
1999.11.12 無期懲役
2002.1.29 無期懲役
2003.10.14 地下鉄サリン事件で運転手役。
2002.1.29 東京高裁判決
外崎清隆 地下鉄サリン事件
1995.3.20 無期懲役
2000.2.17 無期懲役
2001.12.26 地下鉄サリン事件で運転手役。
2001.12.26 東京高裁判決
弁護側が東京高裁での判決を不服として上告。
青山吉伸 滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件
1994.5.9 懲役12年
2000.3.29 懲役12年
2002.1.31 ― 上告せず懲役12年が確定。
井上嘉浩 元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件
1994.1.30
駐車場経営者の水野昇VX襲撃事件
1994.12.2
会社員の浜口忠仁VX殺害事件
1994.12.12
被害者の会の永岡弘行会長VX襲撃事件
1995.1.4
目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件
1995.2.28
地下鉄サリン事件
1995.3.20
新宿駅地下トイレ青酸ガス事件
1995.4.30/5.3/5.5
東京都庁郵便爆弾事件
1995.5.16
無期懲役
2000.6.6 判決予定
2004.5.28 地下鉄サリン事件では現場指揮(連絡調整役)を担当。
死刑を求めていた検察側が東京地裁での判決を不服として控訴。
有田芳生の今夜もほろ酔い → 新世紀カルト → 井上嘉浩の判決に思う
江川紹子ジャーナル → オウムあれこれ → 「まじめ」「正直」の違い〜井上嘉浩の気づき〜
現代社会を社会心理学で考察するサイト → オウム井上の判決をどう考えるか
林泰男 松本サリン事件
1994.6.27
地下鉄サリン事件
1995.3.20
新宿駅地下トイレ青酸ガス事件
1995.4.30/5.5
死刑
2000.6.29 死刑
2003.12.5 松本サリン事件ではサリンや噴霧装置の製造に関与。
地下鉄サリン事件では実行犯5人のうちの1人。
東京高裁での判決を不服として上告。
豊田亨 地下鉄サリン事件
1995.3.20
新宿駅地下トイレ青酸ガス事件
1995.4.30
東京都庁郵便爆弾事件
1995.5.16
死刑
2000.7.17 地下鉄サリン事件で実行犯5人のうちの1人。
弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。
広瀬健一 地下鉄サリン事件
1995.3.20 死刑
2000.7.17 地下鉄サリン事件の実行犯5人のうちの1人。
弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。
杉本繁郎 元信者の冨田俊男リンチ殺害事件
1994.7.10
地下鉄サリン事件
1995.3.20
無期懲役
2000.7.17 地下鉄サリン事件で運転手役。
弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。
端本悟 坂本堤弁護士一家殺害事件
1989.11.4
松本サリン事件
1994.6.27
死刑
2000.7.25 死刑
2003.9.18 松本サリン事件では実行犯6人のうちの1人。
弁護側が東京高裁での判決を不服として上告。
早川紀代秀 信者の田口修二リンチ殺害事件
1989.2上旬
坂本堤弁護士一家殺害事件
1989.11.4
死刑
2000.7.28 弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。
大内利裕
(としやす) 信者の田口修二リンチ殺害事件
1989.2上旬
修行中に死亡した信者の越智直紀の
遺体焼却で遺体損壊罪に問われた事件
1993.6.6
懲役8年
2000.11.6 懲役8年
2003.2.6 上告せず確定?
中村昇 松本サリン事件
1994.6.27
元信者の冨田俊男リンチ殺害事件
1994.7.10
目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件
1995.2.28
無期懲役
2001.5.30 無期懲役
2003.9.25 松本サリン事件では実行犯6人のうちの1人。
弁護側が東京高裁での判決を不服として上告。
越川真一 元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件
1994.1.30 懲役10年
2002.3.25 判決予定
2004.3.3
新実智光 信者の田口修二リンチ殺害事件
1989.2上旬
坂本堤弁護士一家殺害事件
1989.11.4
元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件
1994.1.30
松本サリン事件
1994.6.27
元信者の冨田俊男リンチ殺害事件
1994.7.10
会社員の浜口忠仁VX殺害事件
1994.12.12
地下鉄サリン事件
1995.3.20
死刑
2002.6.26 松本サリン事件では実行犯6人のうちの1人。
地下鉄サリン事件では運転手役。
2002.6.26 東京地裁判決
弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。
遠藤誠一 滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件
1994.5,9
松本サリン事件
1994.6.27
駐車場経営者の水野昇VX襲撃事件
1994.12.2
地下鉄サリン事件
1995.3.20
死刑
2002.10.11 松本サリン事件では実行犯6人のうちの1人。
地下鉄サリン事件ではサリン製造に関与。
弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。
中川智正 坂本堤弁護士一家殺害事件
1989.11.4
元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件
1994.1.30
滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件
1994.5,9
松本サリン事件
1994.6.27
駐車場経営者の水野昇VX襲撃事件
1994.12.2
会社員の浜口忠仁VX殺害事件
1994.12.12
被害者の会の永岡弘行会長VX襲撃事件
1995.1.4
目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件
1995.2.28
地下鉄サリン事件
1995.3.20
新宿駅地下トイレ青酸ガス事件
1995.4.30/5.5
東京都庁郵便爆弾事件
1995.5.16
死刑
2003.10.29 松本サリン事件ではサリンや噴霧装置の製造に関与。
地下鉄サリン事件でもサリン製造に関与。
弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。
土谷正実 滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件
1994.5,9
松本サリン事件
1994.6,27
駐車場経営者の水野昇VX襲撃事件
1994.12.2
会社員の浜口忠仁VX殺害事件
1994.12.12
被害者の会の永岡弘行会長VX襲撃事件
1995.1.4
地下鉄サリン事件
1995.3.20
死刑
2004.1.30 松本サリン事件ではサリンや噴霧装置の製造に関与。
地下鉄サリン事件でもサリン製造に関与。
弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。
松本智津夫 信者の田口修二リンチ殺害事件
1989.2上旬
坂本堤弁護士一家殺害事件
1989.11.4
元信者の落田耕太郎リンチ殺害事件
1994.1.30
滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件
1994.5,9
松本サリン事件
1994.6.27
元信者の冨田俊男リンチ殺害事件
1994.7.10
駐車場経営者の水野昇VX襲撃事件
1994.12.2
会社員の浜口忠仁VX殺害事件
1994.12.12
被害者の会の永岡弘行会長VX襲撃事件
1995.1.4
目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件
1995.2.28
地下鉄サリン事件
1995.3.20
判決予定
2004.2.27
指名手配 警察庁 → オウム真理教 〜反社会的な本質とその実態〜 / → オウム真理教関係警察庁指定特別手配被疑者
平田信 目黒公証役場の仮谷清志事務長監禁致死事件
1995.2.28
高橋克也 地下鉄サリン事件
1995.3.20
東京都庁郵便爆弾事件
1995.5.16
地下鉄サリン事件で運転手役。
菊地直子 地下鉄サリン事件
1995.3.20 地下鉄サリン事件のサリン製造に関与。
オウム真理教(元)信者の著書に、『オウムと私』(文藝春秋/林郁夫/1998)、『上祐史浩が語る―苦悩からの解放』(東山出版/上祐史浩/2002)、『覚醒新世紀』(東山出版/上祐史浩/2002)、『心の解放と神秘の世界』(東山出版/上祐史浩2003)、『オウム解体 宮崎学VS上祐史浩』(雷韻出版/宮崎学[との対談]/2000)、『出家の真相 鹿島とも子・告白手記 スポットライトを浴びた日々、そして今、オウム真理教で』(オウム/鹿島とも子/1994)、『オウムの“鬼母”と呼ばれて』(近代映画社/鹿島とも子/1996)、『オウムからの帰還』(草思社/高橋英利/1996)、『検証・オウム真理教事件 オウムと決別した元信者たちの告白』(社会批評社/瀬口晴義/1998)、『オウムをやめた私たち』(岩波書店/カナリヤの会/2000)などがある。
麻原彰晃としての著書はYahoo!ショッピングで調べてみると、オウム(出版)からの宗教関連と思われる刊行本が78点ほどあり、事件に関連した記述のある著書も少なからずあるとは思いますが、あえてここでは取り上げません。
オウム真理教を題材にした映画に『A』(監督・森達也/1997)がある。「A」はオウム(AUM)、麻原彰晃、荒木浩・広報副部長という意味だそうで、荒木を追いながらオウムとマスコミ、オウムと公安警察との軋轢を描いたドキュメンタリー作品。また、その続編作品の『A2』(監督・森達也/2001)が「山形国際ドキュメンタリー映画祭2001」で特別賞と市民賞を受賞した。監督の森達也の著書に『「A」撮影日誌 オウム施設で過ごした13カ月』(現代書館/2000)がある。
参考文献・・・『オウム帝国の正体』(新潮社/一橋文哉/2000)、『大義なきテロリスト オウム法廷の16被告』(NHK出版/佐木隆三/2002)、『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)、『毎日新聞』(1997年2月4日付/1997年12月17日付/1997年3月24日付/1998年2月1日付/1998年5月14日付/1998年5月26日付/1998年6月12日付/1998年7月1日付/1998年10月2日付/1998年10月23日付/1999年2月16日付/1999年7月22日付/1999年9月9日付/1999年9月30日付/1999年12月29日付/2000年2月17日付/2000年3月29日付/2000年3月29日付/2000年6月6日付/2000年6月29日付/2000年7月13日付/2000年7月17日付/2000年7月25日付/2000年7月28日付/2000年8月4日付/2000年11月6日付/2000年11月18日付/2001年5月30日付/2001年6月2日付/2001年6月12日付/2001年7月25日付/2001年8月7日付/2001年8月31日付/2001年11月9日付/2001年12月13日付/2001年12月25日付/2002年6月26日付/2002年7月5日付/2002年10月11日付/2002年10月15日付/2002年10月18日/2003年2月6日付/2003年5月19日付/2003年7月25日付/2003年9月2日付/2003年9月18日付/2003年9月25日付/2003年9月30日付/2003年10月15日付/2003年10月29日付/2003年10月31日付/2003年11月5日付/2003年12月5日付/2004年1月30日付)
関連・参考サイト・・・YAHOO! JAPAN NEWS オウム真理教問題 / 宗教団体アーレフ 公式サイト / 上祐史浩オフィシャル・ウェブサイト / 弁護士紀藤正樹のLINCへようこそ → オウム真理教情報 / 有田芳生の今夜もほろ酔い → 新世紀カルト / 江川紹子ジャーナル → オウムあれこれ / Web Iwakami → 過去の仕事から → オウム関連 / オウム裁判対策協議会 / 警察庁 → オウム真理教 〜反社会的な本質とその実態〜 / → オウム真理教関係警察庁指定特別手配被疑者 / → 公安の維持 → 警察庁長官狙撃事件 / オウム真理教脱会者の集い カナリヤの詩 / 生きてかえれ! 坂本弁護士一家殺害事件 5年10ヶ月の軌跡 / 都子基金 / リカバリー・サポート・センター / ようこそ志村真のページへ → オウム真理教関連年表 / 場所 オウムが棲んだ杜 / 法務省 → トピックス → オウム真理教に対する観察処分決定について
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