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(回答先: ITは人を幸せにするか 最終章 失われた「自由な空間」[デジタル特捜隊] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 5 月 04 日 00:40:47)
2004/05/05
6年ぶりに日本に帰ってきた。97年の渡米以来一度も帰国したことの無かった自分はまさに浦島太郎丸出しになるだろうな、とは予想していたけどいやいやまいった。実家の近所でさえ迷う始末だ。その「迷った」お陰であることに気が付いた。
公衆電話の数が激減しているのだ。自分が日本に居た頃は道端にぽん、ぽんと設置されていた公衆電話は、ぽつん、また遥か彼方にぽつんになっていた。場所によってはそれも無い。犯人は携帯電話というやつだ。あれが繁殖しすぎて公衆電話の生息地が狭められ、公衆電話は絶滅の危機に瀕しているらしい。特別保護機器(!?)にはちゃんと指定されているのだろうか。
帰国後のある日、出発時間の迫る電車に、駅のホームから待ち合わせの友人に電話をしようと思ったら、そこに公衆電話が無かった。駅のホームに公衆電話が無いなんて、そんなことあるのだろうか、と思いながら電話が出来ないまま、仕方なく出発寸前の電車に乗り込んだ。
向かいに座っている人、隣に座っている人が口を半開きにして、機関銃の勢いで携帯電話のキーを叩いている。電話がかけられず、もどかしい自分の横でカタカタと何やらひたすら打ち続ける人たち。なるほどこの手の人種が繁殖している以上、公衆電話は必要ない。でも携帯電話を持たない人にとって公衆電話は必需品なのである。
じゃあ携帯持ったら?というお方がいるかもしれない。ノーサンキューだ。
だいたい携帯というやつは人を不自由にする。何処にいても捕まるなんてまるで鎖につながれた犬である。「ただ今行方不明」になりたくてもなれない。今では圏外モードといって本当はつながるのに電話に出たくないがためにわざわざ「居留守」にする機能の付いたものまであるらしい。ご苦労様なことだ。
その携帯電話に公共交通機関の定期券の機能を持たせる計画があるらしい。他にもクレジットカード機能を付けてお金の支払いを出来るようにするなど。一つのものにそんなに機能を集中させて、もしその携帯を無くしたらどうするのだろうか。携帯に登録してしまうので人の電話番号が覚えられなくなった、とある友人が言っていた。6年ぶりに別の友人に電話をしようと思ったら、自分の指が押すべき番号を覚えていた。
携帯が必ずしも悪いものだとは思わない。使い方によっては便利だと思う。ただあの小さな機械に頼りすぎた結果、変な強迫観念のようなものが一部の人々の間に充満している気がする。メールが届かない、誰かと話していないと不安、というものだ。それでしか人とつながっていることを確認できないのであれば何と無機質で淋しいことか。
この先ますます携帯電話に付加価値がつき、それを持たないものが住みにくい世の中になるかもしれない。それでも私は携帯電話を持つつもりはない。携帯を持つことが「当然」のような現在の日本社会。しかし私にとっては携帯を持つことにより失うもののほうが得るものより遥かに大きい。
何年か前には存在しなかった携帯電話。これを全く使わずにあなたは1日を過ごせますか?
(柴田早織)
http://www.janjan.jp/living/0405/0405043967/1.php