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「週刊文春」記事/出版禁止まで必要なのか---やがてインターネットにまで禁止措置が取られるだろう
2004年3月20日 土曜日
◆「週刊文春」記事/出版禁止まで必要なのか
田中真紀子前外相の長女が離婚したとの「週刊文春」の記事について東京地裁が出版禁止を命じる仮処分を出した。
プライバシーを侵す内容であれば、公表後に損害賠償をさせるのが従来の司法の主要な筋道であり、仮処分はごく例外的な場合に限られている。
今回の場合、出版禁止の必要性と、報道されたときの影響とを比較すれば、出版禁止が及ぼす悪影響の方がはるかに大きいと言わざるを得ない。事前規制してしまうことは、かえって「表現の自由」を著しく侵害するのではないか。
ただ、「週刊文春」三月二十五日号の記事は長女と元夫の人柄、生活などプライバシーに深く踏み込む内容だ。当事者が取材を拒み、記事化しないよう強く求めているのに、文春側があえて公表したことには疑問が残る。
政治家本人を取り上げるのであれば、有権者に選挙の判断材料を提供する意味合いがあり、報道するだけの公共性、公益性があるともいえるだろう。しかし長女夫婦となると、話は違ってくる。同じように扱うのが妥当かどうか、意見は分かれることだろう。
文春側は有名政治家の後継者となる可能性がある点に公共性、公益性の根拠を求めている。しかし長女夫婦はただの社会人であって、後継者に指名されているわけではない。
東京地裁は「記事を切除、抹消しなければ販売や無償配布、第三者への引き渡しをしてはならない」としている。このような判断の背景には二つの事情が見て取れる。
一つは個人情報やプライバシーを保護しようという社会的機運である。メディア規制を盛り込んだ個人情報保護法案や人権擁護法案などがその例だ。
もう一つは、プライバシーの侵害などを理由とする名誉棄損訴訟で、裁判所が認める損害賠償額が急騰した事実である。
今回は、このような時代の空気を感じさせる。しかし、それでも東京地裁の仮処分決定はいささか乱暴なのではないか。
かつて新聞記事の差し止めの是非が争われた一九八六年の「北方ジャーナル事件」判決で最高裁は、差し止めについて「表現の自由を保障し、検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件の下においてのみ許容され得る」と述べた。
今回の場合、最高裁が言及したような「厳格かつ明確な要件」が何であるかなどは、何も書かれていない。仮処分決定であるから書く必要がないといえばそれまでだが、いささか独善に過ぎるのではないか。
自由な言論、報道、出版なしに自由な社会は維持できない。表現の自由という民主主義の根幹をなす基本的権利の問題であるから、さまざまな影響についての熟慮と、下すべき結論についての慎重な態度が欲しかった。
従来の損害賠償や謝罪広告などの解決方法で間に合わないケースとは思えない。出版の差し止めまで認めるのは裁判所の勇み足という感がある。
しかし、だからといって、この記事の弁護をするわけではない。文春側には報道の自由に対する甘えがありはしないか。安易に公権力の介入を許さないだけの慎重さと、自らを律する厳しい気概がメディア側には求められている。
(3月19日掲載)(山梨中央新報)
◆選考報道に法的措置も検討 高橋落選で日本陸連
アテネ五輪女子マラソン代表からシドニー五輪金メダルの高橋尚子(スカイネットアジア航空)が落選した選考報道の一部に誤った報道があるとして、日本陸連の桜井孝次専務理事は19日、異例の会見を開き、法的措置も検討することを明らかにした。
日本陸連が問題にしているのは(1)選考の結論がまとめられずに河野洋平会長に丸投げした(2)会長が強化委員長に指示して決めた(3)名古屋国際(14日)の夜に根回しして高橋外しを決めた−などの報道。桜井専務理事は「そのような事実はない。法的に問題があると思われるものもあり、顧問弁護士と相談している」と述べた。
日本陸連には同日までに、選考に関して約700件の抗議電話があり、業務に支障が出ているという。その多くが「なぜ高橋選手を外した」との内容で、陸連では一部の報道が抗議を拡大しているとも分析している。
(更新日時 : 2004年03月19日(金)19:10)
(私のコメント)
週刊文春の記事は行き過ぎでありプライバシーの侵害に当たるのだろう。最近のマスコミの記者や編集者の質の低下は隠しようも無くなって、行くべきところまで行くような気がする。今回の記事の対象は田中真紀子という公人の娘の記事であり、公的な活動はまったくやっていない人が対象になっている。だから週刊文春の記事にした判断は間違っている。
最近のマスコミは弱いものには傲慢で、強いものには従順な事大主義的な態度が目に付きます。マスコミの記者達もサラリーマン化して事なかれ主義に陥り、権力に迎合してゴマをすりながら、売れさえすればいいとばかりに私人のプライバシーにまで記事にするようになった。
質の低下はマスコミばかりでなく裁判官にまで及んできているようだ。週刊文春の記事はプライバシーの侵害に当たるが、週刊誌の出版禁止までするような内容かというとそうではない。田中真紀子の娘は確かに私人ではありますが、100%私人であるとは言い切れないからだ。田中真紀子の政治活動にまったく関与していないとか、田中真紀子の娘であることを利用したことはないのかなど言い切れるのだろうか。
事実上、出版禁止は出来ませんでしたが、裁判官はなぜ出版禁止の仮処分をしたのだろうか。娘の離婚という事実は隠しようがないし、出版禁止で守られるものでもなくいずれはわかる事実だ。それをわざわざ出版禁止の処分は行きすぎであり、これが前例となるととんでもない事になり、些細なことで出版禁止措置が乱発される事態になるだろう。
女子マラソンの高橋尚子選手が選ばれなかったニュース記事に関して、日本陸連が法的措置を検討するという記事がありました。ニュースに対する規制することが強まってくると当然このような問題が噴出することになります。この場合は日本陸連がきちんと情報公開しない点に問題があり、マスコミ記事は憶測的な記事が多くなります。だからこの件は日本陸連に非があり、事前の実績に基づく選考ではなく、選考レースだけで選んだのかの説明をするべきだ。
今まで実績で選んできたのに、今回から選考レースの内容だけで選ぶように切り替えたのはなぜか。事前では実績や実力を条件の一つに挙げていた。だから選考方法にフェアでないところがあり、それがごたごたの原因になっている。この件でも記事を書いたマスコミに処分が下されるのだろうか。権力側からのこのような法的措置の乱用は間違っている。
週刊文春も政府が思わずうろたえるような爆弾記事で出版禁止措置がとられたのなら勲章になるのでしょうが、誰も興味を示さない私人のプライバシ−記事では同業他社からクレームがつけられて当然だ。逆に当たり障りのない記事しか報道しなくなった大手マスコミもだらしがない。「株式日記」も大手のマスコミが書かない記事が沢山ありすぎるので、毎日どれを書いていいか迷うほどだ。