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(回答先: Re: なぜ拘束中に自己責任論が語られたか 投稿者 あきやま 日時 2004 年 4 月 22 日 15:56:13)
世界的にみれば、
A国はB国を国家と認めている。=B国はA国から見ても国家である。
C国はB国を国家と認めていない。=B国はC国にとって国家ではない。
身近な例で言えば、北朝鮮を日本は国家と認めていない。(外務省確認)
しかし、韓国は、北朝鮮を国家と認めている。
国家の概念は互いの国が認め合う事で国家として成り立っています。
国民からみれば、自分の出自が日本国憲法の及ぶ場所であればやはり国なのでしょう。
ブッシュマンの様に「部族長を中心とした世界」の拡大版なだけで、本質は変わらないんです。
さて、国が国民に負うべき義務といえば、国民の基本的権利を保全することです。
アメリカは、「国民に利益をもたらさなければならない。」とある様ですが、やはり日本ではそこまでの義務はないようです。
だから、国を無責任に感じる事が多いのですが、私たちがこの様な場で自由な意思交歓できるのも、国が義務を果たしているからなんです。