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(回答先: Re:筋と道理 投稿者 そこらのおばさん 日時 2004 年 4 月 20 日 17:52:09)
筋論は「公共」から見た見識論だ。
よって、人情の余地は非常に少ない。
道理は「私的」な見識論だ。
育ちや環境やその他もろもろで違いが出て当然。
「私と公共」という対立に実はあまり意味が無い。
なぜなら、センチメートルとキログラムを比較する様なものだからだ。
「私と私以外の大勢の人たち」にこそ意味がある。
「自分と同じ権利を持つ人たちの権利を侵害してはならない。」これが法律の1番の柱であり、それを遵守しようと規範にしたものが、筋論=公共意識だ。
筋論は2局面になりやすい傾向がある。
加害側と被害側だ。
殺人事件のようにそれがハッキリしている場合は以外に簡単だが、複雑なそれぞれの事情が互いの過失により出た場合は、どちらの立場から考えるかで分かれやすい。
そこらのおばさんに一言
自分以外の人も自分と同じ権利を持っている。(日本人だけ)
自由という権利の主張は所属している国ごとにちがう。
権利も義務も違う国へ人助けに行くのはいい事だ。
でも、時と場合によるだろ。
日本人の権利(自由)としてイラクに行くことを日本国はとめない。
よく考えろということだ。
そんで迷惑かけたなら詫びるのが責任だろ。賠償もせんといかん。
事故で電柱倒したことがあるけど、やっぱり請求来たし、当然と思ったわ。
なんか間違ってるか?