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(回答先: 遅くなりました 投稿者 エンセン 日時 2004 年 3 月 29 日 16:58:50)
エンセンさま、
『すいません、外出やら雑用が多くてパソコンに触る時間が取れず、レスが遅れました。土曜日にはこのぷち熟女さんのレスを読んだのですが、上に投稿した「ロシアの富豪……と、プーチン大統領」http://www.asyura2.com/0401/idletalk8/msg/532.html の作成に時間を取られ、こちらへのレスを後回しにしてしまいました』
プーチン大統領のご投稿、面白かったですよ。
あたくしはそちらの方面の知識がないのでレス出来ませんでしたが、もっと反応があればいいのにね。
*
『なるほど……では「臆病」になったのはどういう理由からなんでしょうか。何か理由がありそうです。
「不自由」は……という理由は納得です。ちゅーか付き合っている相手がいるんですから当然ですよね。
>遊んで楽しみなさい、なんて言う人は、交際した男性の中には一人もいませんでしたよ。
(笑)これはわたしだって言いませんよ。付き合っている女性に異性と遊ばれるのは嫌ですもん。
付き合っていない女性には言いますが……ぷち熟女さんにも言っているし。』
あたくしには、相手にとって嫌なことだと分かっていることは出来ません。
出来ないことについて『無理な我慢をしている』などという気分にもなりません。
自分が、交際している誰かのために遊ばないことでそういった気持ちになるほうだと分かっていたら、
あたくしは逆に、誰かを彼氏だとか夫と呼んで付き合うことはしないで、遊びだけの人生を選んだだろうと思います。
そういう性分なんですよ。
臆病云々については、大人になるにつれてそうなってきた、みたいなところがありますね。
一度何かがあってそうなった、というのではなく、色々物事が分かってくるにつれて
じわじわ自分の考え方も固まってきたんじゃないかな。
男性と女性の『身体の交流の認知プロセスの差』についての話もかかわって来るように思っています。
これは熟考しつつ書いた方がいいと思うので待っていて下さい。
今回のレスの最後の方に少しだけ具体的に書き始めていますが、これを機にそろそろ書いていくと思います。
もちろん、質問があったらして下さい。
デリケートな問題になるので、全てに答えられるかどうかは分かりませんが(笑)。
あたくしも子供だった頃は逆に、相手の気持ちより自分に素直になることが最優先だったと思うんですが、
成長するにつれて、そうしていてはまず自分の気が済まないように変化してきました。
つまり、現在は、そういった『相手の気持ちを無視しては自分の気が済まない、自分が辛い』
という気持ちに素直に行動しているということであって、
そうすることで自分の何かを殺しているといった感覚は全くありません。
*
『わたしも「愛されること」はとても大切・大事だと思っているんですが、「愛されること」と「愛すること」を比べると、「愛すること」の方が大事だと思っています。
誰かに「愛される」よりも、誰かを「愛している」方が幸せを感じます。もし片思いであったとしても……』
ええ、そうなんですけど、ただあたくしが思うに、男性は特に
自発的に愛し始めた関係をより大切にする傾向があるんじゃないか、という理解に
今のところ至っているんです。
多分、それであたくし自身が逆に自分は受け身で通すように自然にしてきているのかな、という気もしないではありません。
それは消極的なのではなく、合気道の精神に近いものだと自分では思っていますの。
無駄な動きは省き、相手からの作用に方向性を加えて勝負、ということです(笑)。
*
『ぷち熟女さんが書いてきたことは、わたしも読んでいます(いるはず)。
で、思ったことを言いますと、ぷち熟女さんは、愛の無いセックスでも心底楽しめるという経験が無いんだな……と、いうことです。』
いや、あたくしの場合は、セックスで得られる快楽はもちろん大切なのですが、
その快楽も、相手からの愛情表現が欠けていればブチ壊しになっちゃうんです。
*
『愛がなくても身体は感じる。この感じる・気持ちがいいという感覚を、素直に受け入れると、愛の無いセックスも楽しめるわけです。
ぷち熟女さんの場合は、愛が無いとセックスは楽しめないものなんだと思い込んでいるんじゃないかと…わたしは思いました。違かったら失礼です。』
思い込んでいる、というよりは実体験からそのような理解をしてきた、という方が正確だと思います。
*
『ぷち熟女さんは、その「この人とだったらセックスができる」もしくは「やりたい」と思う、許容範囲が、わたし(または他の女性)と比べてとても狭い(悪いという意味ではありません)ということなんだと思います。』
それはまあ、そうなのかも知れませんね。
『20歳そこそこで数十人の相手とセックスを経験している女性の気持ちが「信じられない」といった感じをお持ちなのかもしれません……違うかな?』
いや、それぞれの女性が自分で選択して、好きにすればいいのではないかと思います。
*
『>エンセンさまとは全く逆になっちゃいますが、そういうセックスはしない方が、
>精神衛生上はずっといいんです。
むむむ……これは結局、ぷち熟女さんは、色んなセックスで感じたいと思う欲求が、わたしと比べて極端に少ないということなのかな?』
いいえ、『色んなセックスで感じたいと思う欲求』を向ける相手は一人いれば充分、という考えです。
*
以下、エンセンさまの力説をまるごと引用:
『ある意味においてセックスとは、行為中の攻め手と受け手という役割がありますよね。
攻め手の人は、これが男性であっても女性であっても自分のしたいセックスを受け手を相手に「する」わけです。
逆に受け手の人は、相手に行為を委ねて快感を得る(与える)ということになります。
ここでは愛を省いて、これを前提に考えると攻め手の人は、セックスの相手が変ってもいつも似たようなセックスの行為(内容)であり、いつも同じセックスをしている、もしくはいつも同じような自分の欲望を相手にぶつけているということでしょう。
受け手の人は、セックスの相手が変われば、まったく違ったセックス(内容)になるはずです。
ぷち熟女さんは、確かセックスの主導権を「夫」に委ねているというようなことをおっしゃっていましたよね? もしそうなら受け手であるぷち熟女さんは、パターン化した「夫」とのセックスに飽きは来ないんですか?
攻め手の方にも飽きというのはあると思いますが、受け手の人の方が、相手に(内容を)まかせているという部分において、同じ相手とのセックスに飽きやすいと思いますが、どうでしょうか。
お互い2人が、受け手と攻め手の両方を好んでやっている場合には、この限りではないかもしてませんが……
セックスには相手が同じなら必ず飽きがあると思うんですが、その点はどう思いますか? 』
厳しい攻めですね(笑)。いや、質問が、ですよ。
あたくし共は、工夫していますから、今のところは大丈夫です。
ディテイル(詳細、具体的なこと)は内緒ね。そこまで言っちゃ興ざめでしょ。
『ぷち熟女さんも「夫」も、セックス(快楽)に対してそれほど強い欲求を持っていないのかな?』
そんなことはないですよ。
『仮にわたしの言う強い欲求を持っていないのでしたら、それは、セックスの快楽がどれほどのものなのかをまだ知らないということなのかもしれません。』
えー、知ってるよぉ、ちゃんとー。
『この快楽に愛は必須ではありません。』
でも愛情のない人とセックスするのどうしても嫌。
夫は瞬く間にあたくしを知り尽くしましたが、それも愛情の賜物だと思っています。
*
『>むしろ、慈しみ合うためにこそセックスするのだと言っていいかも知れません。
>最上の慈しみのあるセックスの快感こそが一番深く強いのです。
>こういうのって男性には分からないものなのでしょうか。
わたしにもこの気持ちが分からないわけではないのですが、自分の求めるセックス(快楽)が愛する相手に全てあればいいと思いますけどそうは中々いきませんから、病気が始まるんだと思います。』
相手に一応自分の求めるセックスがどういうものなのか説明して、
これやってくれないんだったら僕病気しちゃう、と言ってから病気なさる、というなら納得するんですけどね。
でなきゃフェアじゃないような気がします。
*
『ぷち熟女さんの言う、「愛情がなければあり得ないレベル」が最上なんでしょうか。まだ自分の知らない最上があるんだと思います。
現状が最上だと思えればそれも最高なんだとは思うんですけど……
もちろんそれが最上であれば言うことないんですが、色んな人と同時期にセックスをして知る最上もあるんじゃないかと……こんなの駄目?(笑)』
うーん。エンセンさまはどう思うか分からないけど、『お買い物中毒』は置いておいても、
やはり消費活動の傾向と好む性生活の形って、相関関係がある程度はあるような気がするなあ。
エンセンさまって、何でも豪勢にパーッといくでしょ。豪華好きだよね。
あたくしはシンプルな生き方が好きなんですもの。
そういう違いが出てる気はするね。
今朝これを投稿する直前にあっしら様の議論板への『恋愛と贅沢と資本主義』のご投稿を見たのですが、
じゃあ、何かい、あたくしは世界経済を停滞させている一人かい、と思わず反応してしまいました(冗談ですが)。
割に合わないなあ、こんなに正直に生きてるのに責められるなんてー。
*
『>色々経験はしたんですが、一つ一つ越えるごとに段々はっきり見えてきた
>自分の一番求める関係性の形が、『愛されて』のセックスがあるものであり、
>あっしら様にも書きましたが、できることなら『その人一人だけで全てが満たされる』
>というものだったのです。
これはセックスに対して、欲が深いとも受け取れますし、欲があまりないとも受け取れます。』
欲はありますし、理想も高いんです。
『でも「夫」も「その人一人だけで全てが満たされる」ことを望んでいるのかは、ぷち熟女さんにも本当のところまでは分りませんよね?
「色んな女性とやりたいなあ」とか、「たまには違う女性とやりたい」とか、「セックスのできる女友達がほしいなあ」とか、
「もう一生ぷち熟女さん1人としかセックスができないんだったらもっと色んな人と経験しとくんだったなあ」といった、望みが「夫」にだってあるかもしれません。』
この辺は、あっしら様へのレスにも書きましたが、夫に尋ねました。
えー、君とだけでいいよ、という返事でした。
でも、念のため、思い遣りのつもりでこれから毎年訊いてあげようと思います。
・・・ということは、あたくしもしっかりお二人に洗脳されてしまっているんだよ。
『もしこういった望みが「夫」にあって、それを「経験したい」と言ってきたら、ぷち熟女さんは、「もしやったら更迭だからね」
と、やっぱり言うのでしょうか? この時ぷち熟女さんはどういう努力をしますか?』
あたくしの出来る努力は、ですね。
もしそこまで来たら、じゃあ何とか一緒に楽しみましょう、と、夫と一緒に手立てを考えてあげます。
そうなったら、夫のためですもの、これまで知らなかった世界に足を踏み入れてもいいです。
でも一緒でなきゃ嫌だよ。
で、こう考えてみて余計につくづく思わざるを得ないのが、
エンセンさまもあっしら様も、なぜパートナーをお連れの上で遊ばれないのですか、ということです。
愛し合ってるのに、随分水臭いじゃないですか。そんなのナシだよ。
あ、でもエンセンさまは、もうそういうお遊びはおやりなんでしたよね。
・・・じゃあ、あっしら様。どうなんですか?
*
『愛を忘れて快楽だけを動物のように貪るということがぷち熟女さんには無いということなんでしょうね。
気持ちがいいんだけどなあ(笑)』
愛があって快楽を動物のように貪れる方がもっといいじゃん。
『気持ちがいいんだけどなあ』ってねえ・・・。姐さんだって知ってますよ、そんなことは。
*
『女性は「野生の小動物」のようであると、もしくはそのように扱うべき……いうことですか。
……うーん、でもそこまでしなくても苦労したことはあまりないんですよね。
セックスをはじめてする女性とは、それほど時間をかけなくてもなんとなく意気投合してセックスをしているもんです。
彼女となる女性とだって、付き合うよりも先にセックスをする場合だってかなり多いです。これで付き合わずにセックスをする関係の「お友達」になる場合も多いんですが(笑)』
エンセンさまの惹きつける女性たちは、あたくしよりずっとさばけた人達なんじゃないか、という
漠然とした印象に過ぎませんが、そういった感じを持っています。
だから、この下の方でエンセンさまはあたくしのことを『やっぱり普通じゃない』とおっしゃっていますが、
多分そういうエンセンさまも、標準よりはずっとさばけた人であるはずです。
あたくしよりもっとずっと堅い女性だって沢山いるんですよ。
エンセンさまが出会って来ていないだけよ。信じられないだろうけど。
*
『触れるというのは「ときめき」や「感動」を求めるもんなのでしょうか。ちょっとわたしには違和感があります。』
多分、エンセンさまにとっては、あたくしは少女趣味が強すぎて理解出来ないんでしょう。
あっしら様はもう少しは少女趣味を解されるお方、とお見受けしています。
*
『わたしのことだって、ここの人たちが何処かでわたしを見たら、「ゲッ!やばそう!」と思って近づこうと思う人は皆無だと思いますよ。
(略)
見た目は普通の人から嫌われもんです。』
エンセンさまが知り合う女性の最初の反応はどうなんですか?
*
『>>これは以前も聞きましたが、ぷち熟女さんは誰か男性を見て
>>「この人とセックスをしたいなあ」という感情はないのでしょうか?
>>(略)
>具体的にどんな人、とは言えませんが、そそるタイプというのは
>きっとあるんだと思います。
>それでも、街なかや、ある場所で見かけたくらいでそういう感じを
>異性から持たされることは、憶えている限りでは、ないんですよ。
じゃあ、あまり男性を意識していないということなんでしょうね。違うかなあ?
やっぱり普通じゃないのかも(笑)』
違うよー・・・。この前書いたこと、全然分かってくれてないじゃん(笑)。
男性は、見ればやっぱり『あ、男の人がいる』と思うんだけど、意識し始めるようになるには何かきっかけが要るの。
たまたまどっかで見かけたくらいで心が動かされることは殆どありません。
そういう段階では、例えばすごく容姿の整った男性がいたとしても、
彫刻を眺めるような感覚でしか見ないんです。
何かその人の立ち居振る舞いを間近に見ていてとか、そばにいる時とかに感じる、
言葉で言い表せないようなその人のムードを感じられて初めてそそられるのよ。
客観的に外見を見ていい男であれば自動的に興味を誘われたりそそられたりする訳ではありません。
これには、ご周知のうちの家庭の事情で、美しかったと認める母親を尊敬することはできなかったという
あたくし自身の幼時体験も少なからず影響しているんだろうな、と思いますけどね。
*
『日本人の有名人で「タイプ」とか「セックスしたい」と思う人は誰ですか? これくらいはいるでしょ?』
う〜ん、割と、テレビに出てる人なんて自分とは関係のない人(笑)、という感覚で見ているので
それもあんまりないんですけどねえ。
変なんですけど、有名人なんかを見るのなら、女性を見る方が好きです。
見るには女性の方が綺麗でいいじゃん。女性なら、いいな、と思う人いっぱいいるよ。
言っとくけど、あたくしはレズじゃありませんからね。
そもそも『タイプ』なんて一概に言えないですよ。
それでも一度竹中さまがギターについて書いていらした時に、
ジャズ・ギタリストのケニー・バレル(Kenny Burrellで検索したら出てくると思うよ。
もう75歳越えてると思うけど、若い頃の写真も出てくるはず)が理想の男性だ、なんて書いたんですけど、
彼の場合は客観的に見ても、まあ二枚目のいい男(ミューレット=黒人と白人の混血だと思う)なんですが、
特に彼の音楽に表れるものがまた、えも言われずセクシーなんですの。
一度男性の同僚に聴かせたら『これは口説き用のバック・ミュージックになるなあ』って言ったくらいですからね。
もう、うっとり、悩殺モノなんですよ。
・・・ですから、彼の場合も例外ではなく、そういう彼独特のものがあるからこそ素敵だな、と思うわけです。
それに、ミュージシャンなんてツアーばかりで家にいられないじゃないですか。
でも彼は他のミュージシャンみたいに何度も結婚せず、
たった一人の惚れた奥さんとの間に5人も子供さんがあるんです。子煩悩だしね。
ファザコンのあたくしは、そういう男性に憧れるのかも。
浮気は、どうせ周囲の女が放っとかなかったでしょうから彼もしたんじゃないかと思うけど。
まあ、別にあたくしの彼でも夫でもないですから仕方ないですよ。
どうしても日本人のタイプを挙げるとしたらねえ・・・。
また考えてみますが、今思いつくのは一人。
『椿三十郎』の中の役に限ってですが、仲代達矢。古いなあ、もう・・・。
現代風なフニャフニャした若造どもには、そそられるものは何もありません。
和服を着て動いて様になる人がいいかも知れない。
でも、実生活の中でそそられる人がそうであるかというと、全然そんなことはないかも知れません。
*
『>困るのは、交際相手や夫がいる状態で、
>自分をそそり、惹きつけるものを持った男性に、交際相手や
>夫に匹敵するほど真剣な思いを寄せられた場合、
>ということになるのでしょうが、そうありそうな話でもなし、
>また、あまりそういうことは考えたくないと思っています(笑)。
>そんな状況になったら、誰でも困って普通だよね。
わたしの場合ですが、両方を手に入れたくなります。
例えば、1人とは付き合って、もう1人とも付き合うか付き合わなくてもセックスをする友達に……とか。』
(笑)あたくしはきっとストイックなんでしょうね。
二人の男性が目の前にいる時は、自己責任において必ずどちらか一人を選ぶように、今までの人生ではしてきました。
基本的に、どちらかが正式な交際相手で他方はそうでない、という差をつけたとしても、二股かけるのは大嫌いです。
人間に身体が一つしかなく、一度に一箇所にしか存在できないことには意味があるとあたくしは考え、
自分の行なった解釈を、そういう風な行動で表現しても来たわけです。
あっしら様なんて、こういう考え方についてはどう評されるか聞いてみたい気もしますね。
全く共感されないであろうということは既に分かっていますが。
*
『>学生時代からずーっと友人でいる男性なんかもいるんですけどね。
これだって仮にぷち熟女さんがセックスを誘えば、その「お友達」はやるんじゃないですか?
これだって下心と言えそうです。』
それが、全然そういう雰囲気の仲ではないんですよねえ・・・。
彼と会っている間は双方が中性的存在なんです。
霊性での付き合いだと思っております。
こんなところでお名前を出すとご迷惑をかけてしまう恐れがありますが、例えば
HAARPさまが多くの女性から『師匠』とお慕われになるのは、そういったものなんじゃないかという想像です。
こんなこと言うと、マッチョなモテ方をしたい、とおっしゃるHAARPさまには嫌がられるかも知れませんが・・・。
くだんの男友達とあたくしは互いにそれを喜びあっており、互いのパートナーもそれを十分理解しています。
あたくしの側から言うと、これは男性側に甚大な敬意を示している徴(しるし)であり、
身体の関係に入ることがあり得ないからといってこれを拒まれたりすることは、
大変悲嘆すべきことだ、ということになるんですの。
ね、ですから、以前あっしら様とのやり取りに出て来た旧知の男性に関しても、
先方の探りをかわしてフィジカルに親密になるのを十何年避けて来たのは
彼の霊性を敬愛するが故のことなんです。
ですから、お二人の『異性との友人関係』がらみのご回答は、とてもショックでした。
アセンションということが起こり得るなら、あたくし、今すぐ起こってくれてもいいです。
性差が消失し、他の全ての存在と霊性での交わりが出来るようになると、きっとすごく気がラクになると思います。
エンセンさまやあっしら様は、そんなつまんない世界は耐えられないとお思いになるでしょ?
とは言うものの、口説き言葉だけならいくらでも聞きたい、と思う心もまだどこかに残っているので、
非常に矛盾しているかも知れません(笑)。女心って、矛盾だらけ・・・。
・・・叱られそうだと知りつつ、正直に言ってみました。
あっしら様の感覚だと、そういう心性のほうが『ふしだら』なんでしょうね。
*
『>向こうにも彼女がいるけど、ただ話すためだけに二人で会ったりするよ。
>向こうの彼女もあたくしの夫も、別に嫉妬したりしません。
「嫉妬」していなとは言い切れないのでは?
自分の愛する相手が自分以外の異性と2人きりで楽しく遭っていて、「嫉妬」しない人なんているんでしょうか?
嫉妬心を持っていてもそれを出さないでいるだけなんではないでしょうか。
「嫉妬していない」と、ぷち熟女さんが思い込んでいるだけでは?
もしそうなら、ぷち熟女さんも「夫」を傷つけているということになるかもしれません。
わたしなら付き合っている女性が他の男性と2人きりで遭っていれば、必ず嫉妬します。』
この上でもお答えしましたが、もう少し。
あたくしは夫にちゃんと男友達のことを話しますし『妬いちゃう?』とも尋ねます。
夫は自分で『僕は妬くからね』と言う割に、あたくしから見ると全然妬かない人ですね。
一度レストランのお客に手を握られて放してもらえなかったことがあって
夫に『あのおじさん、手を握って放してくれなかったのよ』と訴えたら
『なんだよ、あんな不細工なおじさん、いいのいいの』なんて言って取り合ってくれませんでした。
そーゆう問題ではないと思うのだが・・・。
*
『「許さない」というか、そのときの自分の気持ちで許すか許さないかを決めるという考えです。
もちろん、浮気をされたいとは思っていませんよ。気持ち的には浮気をされるのは絶対に嫌です。でもぷち熟女さんの考えのように、浮気が即更迭ではないということです。自分が相手に惚れていれば許すしかないという考えです。』
あたくしも、最初の長文レスで『浮気で即更迭』と言うよりは、
日頃の関係の中で見られる相手の心構えによって総合判断すると書きましたし、
その後にも、夫のことについては許すだろうと書いたじゃないですかー。
*
『>あたくしは、交際相手の気持ちを考えると辛くなるのが自然だと思うんだけど。
>独りの時はまだいいけど、そうじゃない時はそう手放しで楽しめないんじゃない
>かと思いますよ。あたくしはね。
>あっしら様もエンセンさまもそうではないとおっしゃるけど。
はい、おっしゃる通りで、わたしは「手放しで楽しめ」ます(笑)
だって自分が望んで楽しむんですから、楽しまないと……』
やっぱり勝手だ〜〜〜。
*
『>>セックスとは何も特別の儀式や行いではありませんから、自分が「したい」と思ったら
>>「する」のが精神的にもよろしいかと思いますが……いかがでしょうか?
>それがねえ・・・あたくしにとっては違うんですよ。
>あたくしは、とても特別なものだと思っています。
どうして「特別なもの」だと思うようになったのですか?』
この辺からですね、身体の交流の認知プロセスにおける性差および個人差が顕著になるのは。
これにはある程度時間を割いてじっくり書かないとあたくしも納得がいかないと思うんですが、もう少しヒントを書くと
男性のみなさまの性器はご自分の外にあり、女性のそれは自分の内部にある、というところだけ取っても、
心理的に挿入する側とされる側の感覚や認識の違いがあるのは明らかだと思います。
何故そういうことが、あたくしが気にするほどには気にならない女性もいるのか、ということについては、
同性のあたくしにもちょっと分かりません。
結局、若い頃に遊んでも心理的に浸りきれなかったという事実を取ってみても、
おそらくそんなわけで、心頭滅却しないとそういう行為に及べなかった証となるのではないか、と思います。
相手の愛情を感じて安心していれば、そういう垣根は消滅するわけなのよ。
*
『>誰かとの初めてのセックスは、儀式です。
「誰かとの初めてのセックスは」、一番気持ち的には楽しいと言ってもいいかも?……と、思っています。』
楽しい、ねえ・・・。
あたくしには、一つの形容詞では表現しきれないものがありますけどね。
素晴らしいんだけど、『楽しい』とはちょっと違いますね。
あたくしにとってはレジャーでもスポーツでもないんです。
それは相手の存在を初めて感じ合うという経験なわけですから、感動を伴う陶酔になるはずなんですの。
オバサンでも少女趣味な人はですね、結局いつでもうっとりしていたいわけです。
何が嫌いって、白けさせられるほど嫌いなことないもんね。
また長くなりました。
ではまた、ごきげんよう。