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(回答先: 元気に闘う 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 2 月 20 日 20:45:01)
ぷち熟女さん。飲み会につきましては、先走って書いてしまい
申し訳ありませんでした。
ぷち熟女さんの、お言葉はよく理解できます。
自分の人生経験よりぷち熟女さんの人生経験のほうが豊かであると思いました。
おれは50歳になって、やっと社会の約束事が理解したと
今日、アルバイトの帰り、トラックの助手席で思いました。
人生経験の厚みとは年齢ではなく、集中的経験だと思いました。
ぷち熟女さん。ありがとうございました。
単文レスで申し訳ありません。
元気で闘っていきます。
からだも、快復していく決意です。
気にかけていただき、嬉しいです。
世間様は厳しくとも、がんばっていきます。
中学生の頃はよく町の貸し本屋さんで、まんがをかりて読んでいました。
劇画、いい作家がいました。
永島慎二の【漫画家残酷物語】もありました。東京トップ社。
自分はやはりバーチャルから学んでしまったのです。
そこにあるなつかしさ。町の情景と人間です。
自分が好きなら人も好きになることができます。
50年間、あまりにも自分にこだわってきてしまいました。
自分を信じていれば人も信じることができます。
自分の人生を信じていれば人の人生も信じられます。
世界は書き割りかもしれません。
しかし人の生こそ舞台の中心です。
世間様は厳しい。でも負けません。
人は一生懸命、生きている。暖かい情景があります。
おれは、あきらめないし、負けません。
中学生の頃、貸し本屋さんで、町と人の物語-バーチャルに出会ったからです。
表現は、いまもあまりに幼いおれに暖かさをプレゼントしてくれました。
貸し本屋漫画家がおれの原点を育成してくれたのです。
そして思想に出会ったのは、漫画批評たる『漫画主義』でした。
ガロの世界です。
手塚プロが発行していた『COM』全国まんが同人支部。
東京グランドから郵送してもらった、ガリ版刷りの会報。
コミュケーションの価値をめぐる自分の原点となりました。
自分にとって阿修羅とは、あの日の継続です。
ぷち熟女さんの返信に
なつかしい、町の陽光を感じました。
疎外されながらも町の陽光は美しかった。70年代の。
ありがとうございました。
池上線の東急電車が旗の台駅にはいってきたとき、あのまぶしい日曜日の昼さがり
あまりにの輝く美しさに呆然と立ち尽くしました。
それがおれの孤独だったのかもしれません。1974年。30年前です。
でも孤独とは町をおのれに抱えているからです。
やはり自分はバーチャルのまま生きてしまったのでした。
それでも後悔はありません。それぞれがすべての人が必死だったからです。
80年代もそうでした。
90年代もそうでした。
『もうひとつの日本そして町』に民の心は生きてきたからです。それはいまも。
『もうひとつの世界そして町』に心は必死で生きています。
冬の陽光。
阿修羅は町です。
ぷち熟女さん。ありがとうございました。
世間様は残酷ですが、また陽光もあります。生活の心で明日元気で闘っていきましょう。
気合!