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(回答先: 「東西対立」の基底と表層そして中央集権国家=明治国家の“必然性” 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 18 日 22:55:23)
あっしらさん御回答ありがとうございました。
九州にあった部族連合が東征を実行し4世紀頃には大和朝廷を作っていたという歴史説明を疑いもしませんでした。しかしどうしてこの時期突然国家建設を思い立ち実現すべく東征に立ち上がったかと考えるとやっぱり釈然としないので、あっしらさんの「大和朝廷の成立は本当はもっと後」(驚きましたが)説で考えてみる方が支配層が国家作りに動いた理由はダイナミックで良く想像できます。
島国でずっと外国の脅威や存立の危機感が無かったので、朝廷は権威機関になってしまう、武士は武力により支配ができれば良いので権威は朝廷を利用すれば済む、東の幕府はそれでやっていけるということですね。
黒船の脅威と危機感から又朝廷を復活させ中央政権へと動きだす。西の勢力としては待ちかねたチャンスだから逃さない(大日本帝国の滅亡まで暴走する)、明治の必然性、何だか大和朝廷成立の時の事情と似ているように思えます。