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(回答先: 節分考 (散文詩?) 投稿者 マドオンナ 日時 2004 年 2 月 04 日 00:44:12)
節分 2月3日
「節分」とは季節の変わり目のことであり、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指すのですが、特に立春が1年の初めであることから春の節分が重視されています。そのため、一般に「節分」といえば春の節分を指します。立春を新年とすれば、その前日の節分は大晦日に相当するわけで、そのため旧年の邪気を祓ってしまうための追儺(ついな)の行事が催されます。その代表が「豆まき」です。「福は内、鬼は外」と言いながら煎った大豆をまき、自分の歳の数だけ豆を食べると1年病気にならないとされます。
和尚が大本山・増上寺にお勤めしていた時(昭和60年頃)、中村康隆法主(現、浄土門主)よりたいへん興味深いお話を伺いました。「豆まきは施餓鬼である」というのです。「施餓鬼」とは、餓えた鬼に飲食を施すこと。すなわち、「豆まき」は餓鬼に豆を施してあげることによって功徳を積み、またそのことによって亡き人の供養ともなるのです。考えてみれば、鬼に何かをぶつけて追い払うならば石ころでよいわけで、貴重な蛋白源である大豆を投げ捨てるなどもったいないことです(しかも、美味しく食べられるように煎ってあげるのですから)。それに、鬼に何かをぶつけて追い払ったりしたら、必ず仕返しされると思います。
和尚は中村法主のお話を伺って、目からうろこが落ちる思いがしました。餓鬼に豆を施す「豆まき」こそ、佛教行事でありましょう。
厄はらい(京の歳時記)
立春の前日が節分です。その節分にともなう風俗や習慣、行事もだんだんとすたれてきました。豆まきは今でも行われていますが、厄祓いの方はすっかりと姿を消しました。寂しいです。厄祓いは小粋な姿で、『厄はらいましょう。』と辻から辻まで流して歩き、厄年の人は呼び止めて、自分の年の数だけの、いり豆にお金を添えて白紙に包み、それで全身をなでて厄はらいに与えますと、めでたい文句の立前を調子よく言ってくれます。
あぁ〜ら目出度や、目出度やな。
目出度いことで払おなら、鶴は千年、亀は万年。浦島太郎は三千歳、
東方朔(とぉぼぉさく)は九千歳(くせんざい)、三浦の大介百六つ。
かかる目出度き折からに、如何なる悪魔が来よぉとも、この厄払いが引っ掴み、
西の海へさらり、厄(やっく)払いまひょ……。
落語 「厄 払 い」
http://member.nifty.ne.jp/kanbayashi/kamigata/rakug139.htm
抜粋
紙に豆と銭を包んでくれるんやけど、捨てるとこがないがな。最低でも一
銭入ったぁるわ。宵から細こぉ回ったら四、五十軒回れるやろ。ちょっとし
た小遣い稼ぎができるがな。包んでくれる紙は溜めといて紙屑屋に売ったら
反故(ほご)よりえぇ値ぇで売れるがな。
■あとは豆や●わて好きだんねん、豆■食べたらあけへん。これもちゃんと
銭にするねん。買ぉてくれる所があるねん
●あぁ分かった、豆腐屋へ売りに
行きまんねんやろ■せやからお前はアホやっちゅうねん。生の豆やないと豆
腐になるかいな。炒った豆は豆腐にならん●焼豆腐になりまっしゃろ。
■……、考えるだけえらいなぁ。あれは松屋町(まっちゃまち)の駄菓子屋へ
売りに行くねん。飴で固めたり砂糖で固めたりして、豆板やとか猫の糞といぅ
よぉな安もんのお菓子になんねん。捨てるとこがない。
・・・・・・・・・・・・
あと節分の「お化け」についても調べればいろいろと面白い
私は20年程前の節分におかまBARにて「お化け」を教わる。