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(回答先: 話はかわりますが、なんで戦争を「展覧」するのかな? 投稿者 ブッシュ小泉 日時 2004 年 1 月 14 日 21:24:31)
返事がもたついている間に、ブッシュ小泉さんに出入り禁止の鉄槌が???
間違えて、また二回も異議申し立てをしてしまいましたが・・
ともあれ、閲覧はしてくださっているのでしょうから、上記のタイトルで進めます。
私は、阿修羅も映画も展覧会も、基本的には同じ機能を有していると思います。いずれも、自らの意思で立ち入らなければ各世界に入れません。私見ですが、今回の展示会は、今起こっている戦争の悲惨を感じ取り、悲惨から義憤そして平和への構築を見出していただきたいとおもっています。おしつけではなくて、希望です。
これだけのプロパガンダがあふれるなかで、少しでも、戦争の実態を知ってもらう機会を地元に設けたというだけのことです。
余談ですが、ホロコーストといえば、「ナチのガス室」を連想することが通説のようにここでは語られていますが、私の周りの主婦層のほとんどは、そうではありません。虐殺ということも思い浮かばない人もいます。それほどの認識の差なのです。何度かふれましたが、私は周りと言葉が通じにくいのです。窒息しそうな日々を送っています。阿修羅での情報、新聞のニュースに関連して周りの知人等に話しても、その認識たるや一方通行がほとんど。日本が出兵し、大きな曲がり角に来ている今もなお、その「ゆでがえる度」はかわりません。けっして、生活にゆとりなどあろうはずがない私の目からみても、その脳天気さは、許しがたいものと映ります。こうした私の怒りの視点を、様々に判断される人がいるのもまた、ここ阿修羅での民主主義故なのかとおもいますが、言葉狩りを是認するかのごとく、管理人さんが登場するのはいかがなものかとおもうわけです。
ともあれ、前回、写真展にみえた人々とは、その後、会話がなりたつようになりました。そうした人々を、ここ阿修羅のみでなく、少しでも増やしたいと思っています。
もっとも、阿修羅も写真展もおどろおどろしい現実が展開されています。それらを単なる鑑賞ととしてあるいはゲーム感覚で突き放してみるのか、我がこととして怒りを共有し、平和を模索する声を上げるのかは、各自の受容にかかっています。少なくとも、過去、貴重な時間を割いて写真展に足を運んでくださった人々の声(感想・意見)をきくと、己の頭と心で、しっかりと戦争の何たるかを感じ取っていただいている方が多かったような気がします。
ここ阿修羅では、「大河を横切る小川」がたくましく、しぶとく流れていると確信していました。ときに、とどこおることもあれば、なにかの障害でひからびることもあるかもしれませんが、その源は、健全と在ると、今でもおもっています。
いまや、世をあげて政治から教育・経済の個々の声・営みを押しつぶさんとする大河の逆流のなかで、脈々と流れ続ける小さな声は大事にされなければならないとおもいます。そうした声・真実は、主体的に愚直に、何度も何度も、声をあげ、公開され続けなければ、たちまちのうちに埋もれてしまうものだと思います。
逆流が本流になろうとしている今こそ、抗いどき、阿修羅もまた、その意義が問われることになります。